2013夏プラハ+ウィーン観光名所うすかわ編(13)

coalbiters2013-08-26

DA5-2:熱中症的ウィーンへの帰還

リンク歩き後半戦。

まだ午後も早いので、昨日挫折したリンク歩きの続きをやりつつ王宮に行くことに。ドナウ運河を上にした地図で左上、ショッテンリンク駅で下車して地上に上がる。早くも暑い。運河の横には例によって立派な街路樹が植わりトラムが走る大通りがあるのだが、道路と堤防に遮られて運河の岸に下りることも、川面を眺めることもままならない、ように見える。ガイドブックには夏場はビーチになると書いてあった筈なのだが。かくして、水の上を渡ってくる涼しい風に吹かれての優雅な散歩、という目論見はもろくも崩れ去る。よって、ウィーン最古の教会、の後ろ姿(蔦にまみれていい感じ)が見えても正面に回る気力はなく、路地巡りをする余力はさらになく、区切りのいいところを目指して時計回りにひたすら歩く。とはいえ、それでは張り合いがないので、とりあえずオットー・ヴァーグナーの建築を一つの目標としてみた。

これは朝方利用したカールスプラッツ駅の駅舎。居並ぶ向日葵がチャームポイント。

ショッテンリンク駅近くのドナウ運河にあるカイザーバード水門監視所。中景にある、一部を青く塗られた四角い建物。よく見ると青と白の境目あたりには白線で波模様が描かれている。

リンク沿いにある郵便貯金局の建物。写真では判りづらいが、石板に五月蝿いくらい鋲が打ってあり、それがシンプルでありつつインパクトのある装飾ともなっている。

中に入ると、今なおフランツ・ヨーゼフ帝が睥睨していた(写真左)。反対側の壁の石には、大戦中に死んだ職員(多分)の名前が刻まれている。

現役の建物なので冷房を期待したものの、ガラス天井の温室効果で中は暖かかった。ガラスなのは天井だけでなく、床もそう。柱はアルミニウム製だそうで、とても百年前の建物とは思えないデザインである。立派なカメラ構えた建築系らしき男性がにこにこしながら激写しまくっていた。奥の方にオットー・ヴァーグナーの博物館があったが、同行の母の視線を受けて断念。ガラス天井の下では楽友協会などを設計したテオフィル・ハンセンの展示をやっていた。今年が生誕二百周年であるらしい。

王宮で世界遺産について考察する。

市立公園までたどり着いたところで、またしても暑さでギブアップし、地下鉄で王宮方面に向かって移動する。地上に出てみれば、相変わらず強烈な日射しの下に人はいっぱいだし、建物はごちゃごちゃしていて、入り口っぽいところでは「ここは入り口じゃない」と追い払われ、とりあえず入れてくれる入り口から入ったところがシシィ博物館だった。ゆかりの品を展示するだけでなく、部屋を仕切って暗くして雰囲気を出したり、鉄道の客室を再現してあったり、壁にシシィの言葉が書かれていたり、彼女を主人公にした映画等の紹介をしたり、と、古めかしい建物には似つかわしくなく、今風の展示を心がけている。確かに、ウィーンへの観光客のうちの一定割合はこの女性に関心があると思われるので、王宮という観光地に、さらに輪をかけた観光施設としてこのような博物館を作ることに一定の合理性があるには違いないのだが(棒読み)、それでは、現代のオーストリア人にとってこの女性はどのような存在なのだろうかと考え始めると、どうもさっぱりよく判らない。何だか別の世界のことのように淡々と、客の関心のみを汲んだ展示である。ただし、それを言うなら王宮自体がそのように扱われているような気がしなくもない。「ハプスブルクの王宮」はどんとそこにあるけれども、それが現在のオーストリアという国家、あるいはそこに暮らす人々とどのような関わりがあるか、ということは展示する側も観光する側も、あえて気にしていないような印象を受ける。多分、と言うまでもなく、ハプスブルク帝国の遺産は、現在のオーストリアが、単に自分の土地にあるからという理由だけで占有するにはいろいろと大きすぎるのだろう。だからこそ、世界遺産指定されることに意義があるのかもしれない。正直、奈良京都が世界遺産であるとか、富士山が世界遺産になるとかいうことには、さっぱり実際的意義を見出せない私だが(自他共に日本の伝統、として認めているのだから、世界の遺産にしなくても、日本国が自分で努力して守っていけばいい)、「自国のお国自慢に使いたいが、おおっぴらにやると、いろいろ近隣に角も立つし、何より今時ダサ過ぎる」過去の帝国の遺産を、「世界遺産」と称して万人に開かれた体裁を取って、堂々と自国の観光収入稼ぎの道具にする、というのは、なかなかに賢い錬金術だと思う。今日日は、クレバーでクールなら全ては許されるのだ。
シシィ博物館の続きはフランツ・ヨーゼフの居室で、空気が澱んで暑苦しいので、お勤めご苦労様です、と内心で呟きながらさっさと通り過ぎる(また、そういう感じの部屋なのだ)。ただし、その後の階下へ下りる石の階段は寒いくらいに涼しかったところから逆算すると、あれはむしろ冬の保温性を評価すべきなのかもしれない。続く。