2010夏ソウル一泊二日強行軍(2)

仕事は依然パミール高原あたりをうろうろしているが、ヒマラヤ山脈は越えた。昨夜、ほぼ一月ぶりくらいにサズを弾いてみた(弦がすっかり弛んでいた)。今日は小声で歌いながら街歩きをする程度には人間に戻ってきている。仕事の中身は去年と同じなので、笑っちゃうくらい1年前と同じ状況だ。さて。

承前。

断片03/大学路の話。

空港から眺めた外は雨降りだったのに、地上に出るとピーカンだった。暑い。蒸す。おまけに大量の若いのが、地上出口に至る階段を占拠して何やらビラを撒きまくっていた。黒くてピンクっぽい紙切れだったので、すわピンクビラかと警戒し、押し込まれたビラにはキャピキャピした若いのの写真が満載で、ますますいかにもそれらしいと早合点したものの、話しかけてきた兄ちゃんの説明から察するに、演劇だかパフォーマンスだかをやってるので、ヒマなら是非来てね、ということらしかった。そこは大学路と言って、小劇場のメッカみたいなところらしい。確かに地図を見ると、色のついた建物が何十と蝟集している。気温も暑かったが、どこかで大音量で音楽を流し、若者たちが行き交い、雰囲気も熱気に満ちた一帯だった。ここでゼミの一行と合流し、地下の会議室と言うか稽古部屋みたいなところでやっていた学生発表に参加する。

断片04/未来を志向する都市について――ソウル歴史博物館(1)

移動時間になって外に出ると雨。タクシーに分乗してソウル歴史博物館へ。
今回の合宿で個人的に残念だったことは、タクシーでの移動が多かったので、ソウルの地理がついに実感できずじまいだったこと。広い道なりにしばらく走り、車窓から非常に現代的な都市景観を眺め、東京よりもガタイの大きな街だなあ、時々出現する彫像とか現代アートが妙にマッチしているなあと感心しているうちに、ソウル歴史博物館に着いてしまった。雨足がひときわ強い頃だったので余計そう感じたのかもしれないが、ここも広い。博物館の建物は敷地の中に平べったく鎮座している。東京の江戸東京博物館と姉妹館協定を結んでいるという話で、イタリア人の建築家が設計したそうだけれども、江戸東京博物館ほど鬼面人を驚かす外見ではない。入り口ホールで博物館の偉いひとと待ち合わせ、説明していただく。ソウル歴史博物館は市立の博物館で、ソウルの歴史を展示している。特徴としては、所蔵品の半分以上が市民からの寄贈によるものだそうで、国宝級のものはあまりない。従って、国宝級の展示品を見たいなら国立博物館に行くべきだが、こちらではソウルの歴史や文化を紹介しているのだ、とのこと。
概略を理解したところで、まず案内されたのが三階の巨大都市模型の展示室。

暗室に輝くのは1/1,500スケールのソウル市の模型。最初に連想したのは、昔、六本木ヒルズの上層階で展示されていた都市模型*1だったが、こちらはさらに力が入っている。ボタンを押すと該当する場所が光るのみならず(その程度のミニチュアならどこにもある)、都市は何と見学者の足下にも広がっているんですぜ。

衒いなくあっけらかんとハイテクを駆使し自らの都市を荘厳する心意気は、到底タダの公立ハコモノ系博物館とは言えない。何というか、やっぱり森ビルだーーとの印象を一層強くしたのは、ソウルの未来ビジョン*2を紹介する映像を見せていただいた時。
 
博物館の偉いひとが一般の見学者に断りを入れて、日本語版のプログラムが放映された。ちなみに帰りに資料を沢山いただいたのだが、それもみんな日本語版だった。展示の解説にも日本語がある。ホームページもしかり。隣国で訪れる人が多いから、という理由は勿論あろうが、どうもそれだけではなく、翻訳への強迫観念めいた熱意があるようだ。博物館は改装中だったのだけれど、現在5カ国語(韓国語、中国語、日本語、英語、フランス語)である解説が改装なったあかつきには20カ国語にまで拡大するのだそうである。何だそのバベルの塔ぶりは。一体、世界の首都にでもなるつもりか。
――で、なれるものならなるつもりなのだろうなあ、と映像を眺めながらしみじみ思った。
多分、都市の軸を定め、ゾーニングを行い、しかるべき場所にモニュメントを置くその手法は、他の首都級の都市の都市計画と大差なく、オスマンのパリ大改造の延長線上にあるきわめてオーソドックスな夢想なのだろう。むしろ、ある都市の未来像を他の都市の未来像と区別するものがあるとしたら、それは、その夢想ないし誇大妄想を、いかにハッタリをかまして、あるいは堂々と恥じることなく、相手を丸め込むもしくは説得する、語り手の姿勢なのではあるまいか。言うまでもなく、博物館の一角を占めるこの都市模型は、市長なり行政当局のプロパガンダの一面を持つのであって、その点では、もはや忘れ去られた感のある2016年東京オリンピック招致活動と大差ない。ただ、同じプロパガンダであっても、東京が自分を褒めてもらうために媚びへつらっていた*3のに対し、ソウルの担当者は少なくとも自分の担当しているものを恥じている素振りを見せていない。私がソウルの、かなり臆面のないプロパガンダでもあるところの未来像を面白いと感じるのは、ひとえに(良くも悪くも滲み出ている)その自信を黙殺することができないからだ。少なくとも、彼らは勝負をしている訳だから。
まあ、実際のところは、東京と同様、ソウルでも「無駄な投資をせずに市民の生活にお金を回せ」という批判が強いらしく、しかも、先の議会選挙で、これも東京と同様、与野党逆転してしまったらしく、博物館の偉いひとによれば、今後都市計画がどうなるかは判らないらしい。そしてまた、博物館の偉いひとの言葉のはしばしには、プロパガンダみたいな物を歴史博物館に展示することへの批判も感じられたのだが、――そしてその批判には私も同意するのだけれど、歴史博物館が過去だけでなく未来像をも展示するのは、博物館で歴史を学ぶ上ではよいことだと思った。歴史学徒が何と言おうと、歴史をノスタルジーとかロマンとか教訓とか、現在とは無関係な自己満足を満たすための素材、程度に思っている人がおそらく世間の大部分なのであって、過去のみを取り扱い、現在(や未来)と切り離された歴史博物館は、そのような世間一般の偏見を一層助長してしまっているのではあるまいか。現在の視点を導入することで政治的なモロモロと無関係ではいられなくなるとしたら、それはリテラシーで補えばよいのだ。というか、今日びの公立博物館は、そのようなリテラシーを身につける場としても使える位でないと、仕分けされてしまうのではなかろーか――とあれこれ考えながら、都市模型展示室を後にしたのだった。続く。

*1:例えば、http://www.roppongihills.com/jp/feature/muf/i8cj8i0000013otz.htmlhttp://www.tansei.net/shisetsu/muf/main.htmを参照。森都市未来研究所のホームページへのリンクは今や乳がん検診のサイトになってしまっているようなので、現在は展示していないのかも?

*2:いや、普段の私はこんな歯の浮くような単語は使いませんが。

*3:あるいは媚びへつらうふりをしながら、それすらできずに自閉していた。