2013夏プラハ+ウィーン観光名所うすかわ編(11)

coalbiters2013-08-16

DAY4:熱中症的ウィーン

プラハ本駅→ウィーン・マイドリンク。

かくして、プラハの滞在期間は終わり、ウィーンへの移動日となる。いろいろと観光名所を満喫したけれども、そちらを優先しすぎてカフェで休憩とスーパーで買い物が思うに任せなかったのは心残りであった。宿が市民会館近くだったのに、市民会館のカフェには行きそびれたし(カフェの入り口に立ったところで、コンサートチケット売りにつかまって、「スメタナ・ホールでのコンサート鑑賞!」という観光名所的事象を優先してしまったのである)、プラハ本駅にあるというアール・ヌーボーなカフェにも辿りつけなかったし。スーパーでの買い物の方は、列車の中の昼食を買うので駅ナカにあるスーパーにかろうじて入ることができたが、そこで売っている水の値段は旧市街広場の屋台で売られていた水の1/3だった。ぼられているとは思っていたが、かなり価格差激しいなあ… このあたりは次への宿題としたい。
思えば、ウィーンへの列車の中からしてすでに暑かったのだ。空調は入っていないし(ひょっとしてあれ空調のつまみかも、と気づいたのはウィーン直前)、窓を開けても構造上あまり風が入らない。「ボヘミアの麦畑が見たかったのよ」とのたまいつつ爆睡する母の脇で、こちらは暑さに寝ることもできず茹だっていた。プラハの初日は、フジロック遭難用のヤッケを羽織るくらい寒かったのである。急激な気温の上昇は、変温動物である歯車のよく耐え得るところではない。
それでも、列車の中は、工事現場のただ中に無愛想に伸びるウィーン・マイドリンクのホームの、昼下がりの灼けた熱気に比べればまだましだった。暑さに呆然とするうちに現地係員にピックアップされて冷房の効いた車内に押し込まれ、それほど涼む間もなく、ホテルのロビーへ。チェックインの書類を書いたり係員の説明を聞いたりしながら、とにかく必死で涼を取る。
というのは、ホテルの部屋には冷房がないのである。勿論、ウィーンの夏は暑いらしい、ということは知識では承知していたが、旅行を申し込んだのは黄金週間のあたりで、初夏に盛夏の暑さを十全に想像することは不可能である。どうせ観光名所ばかり回るなら、観光に便利なロケーション、ついでにホテルも歴史があって雰囲気がある方がいいだろ、というので、冷房の無いのには目をつむってえいやっと選んでしまったのだ。
…暑い。
エレベーターのレトロな手動ドアとか、フロントの接客プロぶりとか、改装したばかりだというのに何故か栓が壊れているバスタブとか、旅行社が手配した筈なのに「MR & MRS」で予約されている不思議とか、その他の全てを吹き飛ばして部屋は暑い。窓は開いても、こもった熱気が逃げていかない。一番涼しいのはタイル貼りのバスルームで、私が猫か一人旅だったら気兼ねなくあそこで寝たのだけれども、親とはいえ同行者がいる状況で、あまり人間であることを放棄する訳にもいかないし。

オーストリアにカンガルーはいません」?

観光に、と言いつつ実は避暑を目的に、午後三時のウィーンの街に這い出す。まずは何はともあれ水を買う。ただし、ウィーン水道局が無料水飲み場を各所に設置し「水を飲め!」と命じているので、観光名所周辺ではお金がなくても水を飲みっぱぐれることはなさそうである。熱中症対策なのかしらん。

(写真はウィーン工科大学近くの水飲み場
シュテファン大聖堂は予想通り涼しいが、カタコンベツアーなどに行く気力はすでに無い。ベンチに座って天井を眺め、体力をやや回復したところでリンク内側の土地勘を得るためにケルントナー通りに戻る。暑い。そして人がいっぱいである。よろよろしながらグラーベンを歩き、あれが王宮かとか言っているうちはよかったが、路地探索を思い立ったあたりで道を見失い、リンクの反対側まで突き抜けてしまい、それに気づかず引き返したり、どこかのパサージュに入り込んだり、別の道をたどってやはりリンクに出てしまったりと迷走する羽目に。プラハと比べて建物が大きいので失念していたけれども、ウィーンのリンクは歩いて回っても一時間かそこらとすれば、内側を直進したところで1キロちょっとしか無い訳なのだった。
(ちなみに、ウィーンの土産屋には「NO KANGAROOS IN AUSTRIA」と書かれた自虐なマグネットやらTシャツが売られているのだが、ーーいやいやいるだろ、これだけ暑いんだから)

ウィーン大学の信じがたい環境のよさについて。

リンクに出てしまったのなら仕方ない。そこから反時計回りに一回りすることにする。とはいえ暑い。ふくらはぎがこわばって自由にならない感覚があり、時々頭が地面に向かって引っ張られるような感じもする。ひょっとしてこれは噂の熱中症というやつではあるまいか。涼しいところで休まないとまずいのではないか。

そこに頃合いよく出現したのがウィーン大学で、涼しげな水色と白のバナーで、我が大学がいかに伝統があるか、我らはいかにクールでクレバーな集団であるのか、ということをさりげなくもなくPRしている。例えるなら、フレームの細い四角メガネをかけた秀才ハッカー系理系青年が、文系の彼女に対して自分の研究の達成を回りくどく、得々と説明しているような風情である(偏見失礼)。何となく愛おしい。というか、石の建物の中は涼しいに違いない。

…ええと、これは大学だよな。入り口の壁には歴代の出身者の言葉などが引用されて現役の学生を挑発しているところを見ると、確かに大学であり、案内表示がやたら親切であるところから察するに観光客は排除されていないらしい。

芝生の美しい中庭には大きな木が陰をつくり、風がたいそう心地よい。回廊にはその道を極めた先達の胸像がずらりと並んでいるが、それに加えてカフェまで営業していて、まことに快適な勉強環境と言えよう。写真の胸像は、ドップラー(左)とシュレジンガー(右)だそうです。

そして構内はこのような華麗さ。一体どこのオペラ座か。表示によれば、歴史学とか古代史とか、私にも馴染みのある人文系の学部であるらしい。私はこれまで、母校の古めかしい石造の校舎にそれなりの風情を感じていたが、この日を限りに撤回することとした。あれは単に手入れが行き届かずにボロいだけである。
その隣の市庁舎は前面がほぼ巨大スクリーンに覆われてしまっている。市庁舎前広場には屋台が立ち並び、人が群れ、立錐の余地も無い。夏の期間は夜にフィルム・フェスティバルをやるらしく、そのポスターが当然のようにクラシック音楽だったりオペラだったりバレエだったりするのが新鮮だった。その後も緑が濃い所で休みつつ進むが(そして緑が濃い所は周囲の熱気と場違いな涼しい風が吹くのだが)、いよいよ体調がおかしなことになってきたので、国立歌劇場に戻ってきたところでリンク歩きは切り上げて、冷房ガンガンのデパ地下に避難する。食事をしに行く余裕はもはや無く、総菜の類を買い込んでホテルの部屋で茹だりながら食べたのだった。教訓。疲労とウィーンの暑さを馬鹿にしてはいけない。続く。

2013年7月2日の旅程。
  • 0800/プラハ本駅着
  • 0839/プラハ本駅発
  • 1315/ウィーン・マイドリンク駅着
  • 1345/ホテル着
  • 1500/ホテル出発
    • シュテファン大聖堂
    • ウィーン大学
    • リンク歩き(市庁舎/国会議事堂/自然史博物館/美術史博物館/王宮/国立歌劇場)
  • 1800/デパ地下で買い物
  • 1830/ホテル着