2016夏マルメ・スコーネ・麦畑ぼんやり行(6)

coalbiters2016-08-21

不況、ウォーターフロント開発、都市再生(承前)

ヴェストラ・ハムネンで道に迷う。

 という次第で、見るべき観光名所は観光客らしく観光したと思ったので、旧市街のあるであろう方向目指して歩き始めた。地図は見ていない。そもそもマルメのどこに何があるというような地図情報を含んだ日本語の観光ガイドブックはごく少ないのだ。下手をするとマルメ自体がアウト・オブ・眼中だったりする。なので現地の観光案内所で地図を入手するつもりだったが、前日は到着した時にはすでに閉まっていた。とはいえ、再開発地区だから、基本的には直交する道路で構成されており、道に迷ってとんでもないところに出る危険は少なかろうとも踏んでいた。
 確かに、現在位置と目的地の方向さえ見失わなければ、大した困難はない。
 しかし、うっかり失念していたが、私は基本的に方向音痴だったのだ。結論から言えば、現在位置を誤解していたし、目的地の認識も間違っていた。
 何故か再び近づいてくるターニング・トルソ(実は当然そうあるべきだったのだが)、いつまで経っても辿り着かない運河、道を聞く才覚はないからいなくてもいいのだが、それにしても少ない人通り(車通りは多少ある)、いい加減疲れてきた足腰、だがどこまで行っても設置されてないベンチ、いくら自転車サイズ以上の街だとしても、旧市街の五分の一のレベルでいいから置いてくれ! と逆ギレ気味になったあたりで、おっさんが二人ほど釣り糸を垂れているヨットハーバーみたいなところに行き当たったので、一休みがてらグーグル地図のお世話になることに。ビバ、レンタルWi-Fi

 自分の正しい位置情報を把握し、ヴェストラ・ハムネンの規模を大分小さく見積もっていたことを思い知らされ、うんざりしながら歩き始める。日頃の運動不足がたたってかなり疲弊していたので、このあたりの記憶はあまり無い。とにかく最短距離を目指して脇目もふらず。
ようやく中央駅の近くまで戻ってきたことが確信できたあたりで、せっかくだから水辺を歩いてみようと道を逸れたら、対岸に怪しげな廃工場みたいなのがあった。グーグル先生は何も教えてくれないが、これを見落としては私の目は節穴だと直感が告げたので、写真を撮りまくる。



他にも、使われているようには見えない線路が街中に残っていたりする。かつての貨物線か何かなのだろうか。

地図の偉大な力を借りる。


マルメの海側の地図。中央部の水域の横の灰色のあたりがGamla Dockan。右下に見えるのがマルメ中央駅(Malmo C)。左側がヴェストラ・ハムネン(文字の上のくねっとした青い物体がターニング・トルソ)。左下にマルメ城。
 観光案内所で無事地図を手に入れ、歩いた道に色を塗ってみた。くだんの廃工場のあたりはGamla Dockan(旧ドック)と呼ばれているらしい。その近くにKockumsというバス停があり、さらには公園やフィットネス・クラブみたいなものにもKockumsの名前が冠されているところを見ると、この辺がコックムス社の牙城であっただろうことは何となく推測できる。さらに海沿いのあたりには旧ではないDockanの地名もある。おっさん二人が釣りをしていたヨットハーバーのあたりだ。ひょっとするとコックムス造船所の巨大クレーンがあったのはここではないかと思うが、位置関係を明示した資料がないので、確証が得られない。

博物館に証拠を集めに行く。

 地図でわからなければ、博物館で確かめよう。マルメ市の博物館としては、マルメ城の中にあるマルメ博物館(歴史博物館・美術館と自然博物館、地下に水族館がある)、その近くにある技術海事博物館などが一群の博物館として、共通の入場券で入れるようになっている。
 技術と海事が一つの博物館になっているところに造船業の盛んだった痕跡を見たくなる訳だが、同じ建物の右と左を占める両者の人気の差は歴然としている。技術博物館は動力源と乗り物の歴史についての展示で、自転車や自動車の他に戦闘機や潜水艦も展示され、かつ潜水艦は中に入れるということもあって見学者の人気は高く、小さい子供を連れた家族連れや若い男性のグループが熱心に展示に見入っている。古い自転車の展示の前で「これ、すげえ作りだ、かっけー」みたいに感心している若者などもおり、さすが自転車大国だとこちらも感心した。
 一方、海事関係のコーナーは、そもそも1階部分を「マルメの百年」みたいな展示に占拠され、地下と2階にかろうじて残っているのだが、それもところどころ他の展示に侵食されている始末。

展示されていた自動演奏の人形楽団。20世紀初頭にイギリスから輸入されたものだそう。
 船の構造や船室の展示の奥から大歓声が上がって何かと思えば、地元マルメのサッカーチーム、マルメFFの特集コーナーが設置してあったりする。館内に響き渡る歓声が気になって2階に上がる親子連れもいたので、客寄せとしてはよく考えられているが、ちょっとあざとい気がしないでもない。なお、マルメ市民の強烈な地元愛のみを当てにしているらしく、他の展示には英語表記もあるのに、ここは当然のようにスウェーデン語表記のみだった。ともかく、海事関係の展示は人気がなく、あまりじっくり見る人もいないのだが、確かにやや古めかしく、魅力的とは言い難い。ひょっとすると、海事博物館としては終息させ、工業都市マルメの近代史の展示に模様替えしていくつもりなのかもしれない。
 博物館の一角に、コックムス・クレーンの写真があったので近寄ってみた。何の説明もないが、「マルメ港で働いていた人たち」の特集であるらしく、港湾労働者、船舶仲立人、コックムス造船所の女性労働者の証言が写真つきで紹介されていた。コックムス社の女性は、職場に女性が初めて入ることになったので、賛否両論の大激論が交わされたこと、その後どこに行っても女性が職場に入り込むことへの抵抗を受けたことなどを語っている。港で働いていた残りの二人がどちらも港の匂いに言及していたのが印象的だった。スパイスやチョコレート、あるいはオレンジ、最悪なのは魚粉とか。そう言えば、技術博物館の潜水艦の展示にも、艦内の匂いについてほのめかしてあった。「あなたは潜水艦の全てを体験することができますが、匂いだけは例外です」みたいな。しかし、船舶仲立人だった老人が言うように、「今は何の匂いもしない」

過去の痕跡の一端にようやく辿り着く。


 博物館を見ても、港湾を中心とした工業都市としてのマルメを把握しきれずにいたので、ミュージアムショップで何やらコックムスの名前を冠した本が売られているのを見て、読めもしないのに即座にゲットした。200ページ強のハードカバーなのに、オーレスン・リンクの片道切符より安かったこともある。それにしても貨車の写真ばっかりだなと思ったら、コックムス社は造船業の他に貨車製造なども手がけており、今ではむしろ貨車製造が柱になっているらしい。ただし、それについても生産拠点を近年マルメから20キロばかり離れたトレレボリに移転したようで、ひょっとするとGamla Dockanの廃墟ぶりはそのためなのかもしれない。
 とはいえ、多少は工場の敷地や造船業についても触れていて、埋め立ての進展や、コックムス・クレーンの位置なども確認することができる。やはり、おっさん二人が釣りしていたヨットハーバーがかつてのドックで、その先端にクレーンが設置されていたらしい。

1910年代から1930年代頃の工場の配置図。Gamla Dockanのあたりだけでおさまっている模様。

1940年代後半の様子。ヴェストラ・ハムネンの大半がすでに埋め立てられていることがわかる。

1970年代。コックムス・クレーンが設置されている。クレーンは対岸のコペンハーゲンからも見えたという。出典はいずれも「Kockums pa sparet」より。

技術海事博物館の潜水艦。第二次世界大戦中、スウェーデン純国産の潜水艦をマルメとカールスクローナの造船所で分担して作ったとのことで、この艦はカールスクローナ製、退役後マルメに運ばれ展示された。

港の片隅に係留されていた古めかしい船。こちらは潜水艦よりさらに古く、19世紀末にマルメの造船所で作られ、役目を終えて故郷に戻ってきたものらしい。過去の栄光は、爽やかな光景の中にばらばらに溶け込んでいる。

もはや港というより内陸の運河のようになった水辺。灯台の下に集う少年たちは、状況証拠からして多分Pokemon GOをやっていた。