ごあいさつ

残業の海を漂流中のモノカキ常習者の日々。いつかアトガキの港へ帰還するために。

ブログタイトルの「Beam Us Home!」は勿論、ティプトリーのあの名作「ビームしておくれ、ふるさとへ」からの引用です。作品のアトガキを書くことを目標に、創作とその周辺の日常をつづっていきます。

「DAHUFA:守護者と謎の豆人間」

中国映画史上初のPG13(中国にはレーティング制度が無いので自主規制)のバイオレンス・アクションとの触れ込みの「DAHUFA:守護者と謎の豆人間(大护法)」を見て来た。実は7月下旬の公開初日にも一回見ている。感染の拡大局面に都心の繁華街を歩くことに一抹の懸念を覚えつつも、対策には万全を尽くした、この時間に映画を見るか地元の混雑した商店街に買い出しに行くかは価値判断の問題だと自分を納得させて。自己責任と言うなら、その判断こそは自己責任の最たるものだ。ましてや一度なら(だが、価値判断において、頻度がなぜ問題になるのか?)。この間にワクチン接種を済ませて、二回目を見た。

実際、COVID-19 の第五波と重ならなければ、もっと劇場に通っただろうし、人にも大っぴらに勧めただろう。一方で、日々空気を読んで集団の中に埋没するも、体にキノコのようなものが生えてくる「疫病」に侵されると容赦なく処刑される豆人間達の姿は、偶然にも、まさに今の日本に生きる我々の状況とも重なりあい、今だからこそ、万難排して劇場で見るべきと声を大にして主張したくもある。いや、無理はしないでください、くれぐれもご安全に、我々の健康と医療をはじめとする社会的リソースをこれ以上消耗させないために、…と続けて早口で言わざるを得ないのだが(言わざるを得ない? 言わざるを得ない…)。なので、いつか機会があったら絶対に見逃さないでください、…しかしそれまで映画館は?
「自己責任でお願いします」?

 

youtu.be

王宮から出奔した太子を連れ戻すため、国の守護者で武術の達人ダフファーは山奥に分け入る。やたらと堅固に構築された城壁の先には、人に似て人に非ざる豆人間達の暮らす村があった。そこは、黒い落花生が空に浮かび、昼でも灯される灯油の悪臭に満ち、処刑と密告が日常茶飯事な、恐怖に支配された場所だ。ダフファーは太子の身を案じるが、当の本人は、人間と豆人間の少年を取り巻きにして、山の嶺を女体に見立てた山水画を描いているところだった。最初は絶対に帰らないと言い張っていた太子だが、宮女を描いてもよいという皇帝の言葉をダフファーが伝えると、ころりと前言を翻し、帰国に同意する。帰途についた二人だが…

 

勿論、あっさり帰りつくことができないので、凄腕のガンマン、謎の暗殺者、豆人間の執行人等入り乱れての西部劇ばりの追跡劇が繰り広げられることになる。

 


豆人間の存在は(邦題のサブタイトルにもあるように)謎だ。しかし、豆人間達の謎は、作中においてはもっともあからさまな謎、つまり、解き明かされるために置かれた秘密、物語を次の段階に進めるための仕掛けである。豆人間の村に「神」として君臨する人間にとっては家畜に等しいものである彼らは、言葉を得て覚醒し、革命を起こす。ただし物語の回路は単純なものではない。家畜として生かされる豆人間達のディストピアは精緻に描かれた村の周囲の生態系と密接な関わりを持つし、革命後も豆人間による豆人間の処刑は止まらない、というように。
(ひょっとするとそこには痛烈な絶望と諦念と風刺があるのかもしれない)

 


豆人間とは何ものか、という問いは当然に、ダフファーとは何ものか、人間とは何ものか、という問いをも導き出す。赤いダルマ小僧ことダフファーや彼の好敵手である黒づくめの暗殺者が何ものかは結局謎のままだ。だが、それは残されたままでも誰も困らない謎だ。社会は彼らの腕を買っているのであり、彼らが誰であるかを気にしてはいないのだから。気にするとすれば、それは本人だけだ。だからダフファーは絶えず声に出して自問自答する。そうしなければ話が進まない、というわけでは全くないのに。
(そしてそのことは勿論、登場人物達の間に横たわるアンバランスを暗示する)

 


では人間達とは何ものなのか。

 

作中に登場する人間達は、全て権力を持つ者だ。彼らは、偽りの目と口をつけ、外からは区別がつかない豆人間達と異なり、それぞれの顔と立場を持つ。だから、彼らの関係は複雑だ。しかし、からくりが明かされてしまえば、そこには謎は無い。ただ冷え冷えとした現実が横たわっているだけ。

 


豆人間の村に君臨するのは、代々神仙を自称する欧陽一族であり、現在の当主は吉安を名乗る老人だ。欧陽一族にとって、ある目的のために豆人間達を「飼う」のは家業であり、自分の代で廃れさせるのは先祖に顔向けできないことである。吉安にとって豆人間は利益を生むブタだが、手間ひまのかかる厄介な家畜でもあり、必ずしもコントロールしきれない凄腕の暗殺者といった面倒をもたらす存在でもある。とはいえ、豆人間の村という閉じた世界において、吉安老人が絶対権力者であることは明らかだ。

 


マオマオという人間がいる。彼はあたかもギャグキャラのように登場する。包丁捌きの名人になる理想を持っていて、それを実現するためにはいかなる努力も惜しまない。自分に仕事を与え、理想の実現のために力を貸してくれる吉安老人に心酔し、忠誠を誓っている。彼にとって世界は単純で、謎など無い。吉安老人マジ感謝、俺は日々修行をガンバ、豆人間ただのブタ、何故なら奴ら喋れないから、吉安様そう言ったから、死んだ家畜の死体を廃物利用ナイスアイデア、俺は包丁捌きの練習、それで吉安様商品収集、上手くいく一石二鳥…
豆人間が喋れることを知った時、マオマオは吐く。
喋る豆人間を自分の手で殺した後で、マオマオはもう一度吐く。吉安は悪態をつくが、私たち観客は一体どうすればよいというのか。

 


さて、欧陽一族は代々、家業として豆人間を飼い、きわめて価値の高い産物を生み出して来た。ところで産物は秘蔵していては価値を生まない。それは取引されてはじめて価値を持つ。ならば、豆人間の村は、これまでも外部から閉ざされた場所では無かったはずだ。外の世界の要請が、村を生んだのだとしたら。

 

村の外には何があるのか。
例えば、太子が出奔して来た王国がある。

 


太子は、皇帝になりたくない、自由に絵を描いて生きたい、それが認められないから出奔したのだと主張する。彼の来歴について、彼がこれまで何を見て来たのかを作品は詳らかにしない。だが会話の断片から観客は窺い知ることができる。太子が命を狙われ、暗殺者が返り討ちにあうのは「いつものこと」であること。ダフファーが救出に来る前に、太子は一度豆人間達に捕らえられていたらしいこと。豆人間達の手足がバラバラになるのを目撃したことがあること。小姜以外の豆人間に好感情を持っていないこと。村を出る時期について、誰かと何らかの約束を交わしていたらしいこと。それにも関わらず、ダフファーと再会し条件が折り合った瞬間、即座に帰国しようとしたこと。彼が権力の中枢で、あるいはそこから遠く離れた山奥の村で見たこと、見たけれども認めなかったこと、認めようとしなかったが否定できなかったことは何なのか。

 

小鳴、実は吉安の孫でもある、太子に付き従う聡明そうな顔立ちの少年は、太子の足元に跪いて忠誠を誓う。マオマオが吉安に対してしたように。ただし小鳴は言う、「あなたに必要なのは腹心です」権力と暴力の機序を、豆人間栽培の秘密を、その軍事利用を、その他のことどもを全て心得た腹心が。
太子は吐きそうな顔をする。だが、彼は吐けない。私の方が吐きそうだ。どこに逃げ場所がある? 太子は小鳴の言葉を否定できなかったし、権力と暴力を嫌い、友情にあつい太子が、絶望の中で満身創痍のダフファーに権力者として命じた言葉が、呪詛のような「杀了他(彼を殺せ)」だとしたら。

 


さてこれは何についての、誰についての映画なのか。私たちは、私は、一体何なのか。例えば、自分の行動の結果が自分だけで負いきれるものではない世界で、自己責任の名の下に、もにゃもにゃと自己正当化を図りつつ、映画を見に行ったり行かなかったりするこの私は?
この作品においては、「バイオレンス描写凄いのに、よく中国の検閲を通ったね」と言う雑な感想では掬い落としてしまう諸々を掬いとって味わうための器を、受け手は自ら作り出さなければならない。それは作品の欠陥ではなく、作品の主題と構造からの要請だ。何故なら、一見閉ざされたディストピアと見える豆人間の村は、実は外の世界と密接に繋がっていたのだから。

 

その時、受け手が作り出す器は、様々なかたちを取り得るだろうし、その様々なかたちを私は見てみたい。

 


語り残された謎もある。女たちの胸のうち、覚醒した豆人間たちのその後、母なる落花生の脱皮の意味。それらは続編が作られるならば、そこで明かされることになるのだろう。

 


小姜について書くことができなかった。彼はこの作品の精髄であり、祈りだ。だから、彼については映画そのものを見てください。

 

>大护法概念曲「不说话」(周深)

 

>公式サイト

atemo.co.jp

「ファンタジーの美しさ」についての数千字(intermission)

intermission:「プロパガンダ」についての私的な思い出

(承前)

 

coalbiters.hatenadiary.org

 
 ということで、「羅小黒戦記」についてだ。
 と書き始めようと思ったが、なかなか筆が進まない。なので、話は少し逸れるけれども、私が一連の雑文を書くきっかけとなった「プロパガンダ」という言葉に関する、私の私的な思い出を記しておきたい。



 若い頃、というかほとんど20代が終わる頃まで、私はあることについて、日本政府も、マスコミも、創作者たちも、全てがグルになってプロパガンダを繰り広げているのだと信じていた。もちろん、そんなことがあり得ないのは、理性ではわかっている。けれども、自分には全くそうとは思えないこと、自分は全くそうはしたくないことについて、さも当然である、素晴らしいものである、当然すべきであるものとされている、それも、一つや二つの作品でではなく、ほぼ全て、ありとあらゆる場所においてだ。人間は誰もが同じように感じ考えるもの、という日本的教育の価値観を前提にするなら、合理的に考えて、それは誰もがグルになってのプロパガンダでしかあり得なかった。


 で、「あること」とは何なのか。
 それは、「男女は惹かれ合うものであり、恋愛したいものであり、セックスしたいものであり、結婚その他もしたいものであり、それはもうとにかく空気のように自然で当たり前の感覚なのだ」という異性愛規範だ。


 私は、これまでの人生において、別段異性に惹かれなかったし、誰かを「好き」と思ったとしてもそれは異性ではなかったし、異性(女性)として好かれていると知った時点で、アウトになるような人間だった。そもそも、自分の性別にしたところで、社会的に登録されているところの女性だと認識している訳でもない。結婚に関しては、我が家では「女は結婚して婚家の奴隷になり、とにかく子を産む存在なのだ」と教育されてきたので、結婚するという選択は論外で、結婚しないで済むために、ありとあらゆる努力をした。自分が性的マイノリティなのは当時は知らなかったし、他所で我が家ほど頭のおかしい教育がなされているとも思わなかったが、結婚が現に家事育児の負担を女性に負わせていることが統計上も明らかな以上、世の中に、作品としても、それ以外の言説としてもあらゆるところに浸透する異性愛規範は、(特に女性たちに向けた)洗脳のためのプロパガンダなのだと、ごく自然に考えた。



 見事なまでの陰謀脳だよね、笑っちゃう。と、今なら言える。当時の私は幾つかの点では正しかったが、幾つかの点では間違っていた。
 最大の誤りは、「人間誰しも同じように感じ考えるもの」という日本的教育(だと私は思っている。「普通の人と同じように感じ考えられないのは、お前が人として間違っているからだ」と激詰めされるアレである)の世界観にとらえられ、自分の感じ方を他者にも敷衍してしまった点にあるだろう。おそらく一定数の人々、ひょっとすると少なからぬ人々にとって、異性を好きになる、ということはごく自然な営為なのに違いない。だから、世に流通する言説の多くが異性愛規範を当然の前提としていたとしても、それは単に作者の自然な感慨の発露だったにすぎなかったのかもしれず、全てを十把一絡げに「プロパガンダ」と決めつけるのは、あまりにも粗雑だった。
 とは言え、個人としての自然な考えがどうであれ、例えば日本国の政府広報が、あたかも異性愛規範のみを自明の前提として垂れ流すとしたら、私は当然に批判するだろう(もちろん、そういう意見でない人も世の中にはいるだろうが、日本は基本的人権をはじめとする諸権利を擁護する民主主義国家の筈なので)。また、とあるクリエイターが異性愛規範以外の考え方を抑圧する観点から作品を創作したと公言した場合、それに対して「プロパガンダ」だという批判はあるかもしれない。一方で、明々白々にプロパガンダとしての意図をもって作られたにもかかわらず、その意図を裏切る何ものかになっている作品、というのもあり得る。あるいは、クリエイターが、現時点における最も一般的な状況として、単に作品展開上の何らかの効果を得るための方便として選んだ可能性もあるし、むしろ現在の状況を批判的に逆照射するためにあえて選ぶこともある。
 私が当時犯したもう一つの誤りは、だから、ケースバイケースで問題を検討することをせず、その遥か手前で引き返してしまった点にある。そのような地点で呼ばれる「プロパガンダ」は、基本的には相手を攻撃し、貶める意図しか持たない。実際、当時の私は、目も鼻も口も定かならぬ、巨大な敵に飲み込まれまいと必死だった。職場の飲み会では、同僚から好みの異性について問われ、上司にはあからさまに個人名を出されてくっついたらどうだと言われ、家に帰れば「早く結婚しろ」と連呼されるくらいならマシで、油断していると見合い話が入って来たりし、あらゆるものが自分を押し潰そうとする。そうこうしているうちに、親しい友人達の結婚式の招待状が届き始める。私は混乱した。友人達を祝福したかったが、彼女らは今や敵に取り込まれてしまったのでは?


 笑っちゃう。と今では思う。悩んだ末に私が出した結論は、きわめて常識的なものだった。異性愛規範に関する言説については、引き続き批判的な問題意識を持ち続けるが、陰謀論的なプロパガンダで十把一絡げにせず、ケースバイケースで検討する。人間関係については、相手が私(及び私と同様に嫌だと思う人)に異性愛規範を押し付けない限り、これまで通り付き合う。そうでない場合は、煮るなり焼くなり切るなり、好きにすればいい。



 閑話休題
 「羅小黒戦記」を見た時、私はストレスの無さに驚いた。何より、(日本においては)アニメや漫画に漏れなくついて来て、不快に思いながらも耐え忍ぶべきオプションと私が思い込んでいた下ネタ、性的に消費される存在としての女性キャラ、あるいはけったいな声や口調で喋る女性キャラ、セクハラに類する場面、無理矢理ねじ込まれる恋愛、あるいは男らしさの誇示といった要素がないことに。それらが存在しないこと、登場人物がオリエンタリズム的な他者ではなく、それぞれに他者として尊重されて描かれていることに。その快適さは筆舌に尽くしがたかったし、それが当然なのだと思った。
 日本の全ての作品が私が感じたようなものだとは、私も思わない(だって語れるほどの量を見てはいないから)。しかし、幾つかの不快な表現があった時、オタクは隠れるのが当然という時代を経てきたオタクであった私は、その不快さについて批判するのではなく、黙ってオタクの世界から離れ、身を隠したのだった。
 それは色々な意味で間違っていた、と「羅小黒戦記」を見て私は思った。不快を葬り去って無かったことにするのではなく、不快の不快たる原因を突き止め、必要に応じて批判し、議論を深めていかなければ何も始まらないのだ。20年前には失敗したとして、また同じ轍を踏む必要はどこにも無い。



…「プロパガンダ」?



(続きます)(多分、来週以降にまた…)

「ファンタジーの美しさ」についての数千字(その2)

その2:映画「トールキン」(ドメ・カルコスキ監督、2019年)

(承前)

coalbiters.hatenadiary.org

 

 ということで、ドメ・カルコスキ監督の映画「トールキン」(2019年)について。けれどもその前に、トールキンの「指輪物語」について、簡単に言及しておきたい。


 ファンタジーを「虚構」と「現実」との間の適切な距離を設定するロジックとして定義する場合の、「指輪物語」が採用している手続き上のロジックについては前回触れた。要約するなら、写本の校訂を踏まえた作品の刊行、という学術分野での手順を枠とし、かつ原本は失われているとの言及を置くことで、書かれていることの虚構性と読者(現実)との関係をコントロールしているといったところ。
 ところで、私が言わなくても常識の範囲だと思うが、そもそもトールキンは自身が発明した人工言語に「歴史」的背景を与えるために「指輪物語」を含む神話世界を創造しているのであり、邦訳普及版単行本全7巻のうち1分冊を占める追補編も含め、「書かれていること」が、相当厳密に模倣された(作者本人は模倣ではなく、普通に研究しているつもりだったと思うが)学術的体裁の枠組みのレベルと比較してどうなのか、というのが問題になってくる。で、この点に関しては、出版された校訂本としての作りは20世紀前半の英国で専門教育を受けた研究者の著作としては妥当なものだと思うし、神話・伝説の語り直しとしても、19世紀末に生まれた英国人男性によるものとしては、特段の違和感なく読んだ(エオウィンの扱いとか、言いたいことはあるが)。
 なお、言語学的な部分については私は無知なので然るべき方々に語っていただきたいが、個人的に言及しておきたいのは、「指輪物語」は多分、英語・英文学の歴史という観点での「行きて帰りし物語」になっているのじゃないかという点だ。ホビット庄や旅の最初のあたりでは現在でも使われることわざやマザーグースが引用されているが、最終的には古英詩まで行き着く。少なくとも私自身が確認できた限りでは、「二つの塔」の上巻、エドラスを目前にしてアラゴルンが口ずさむローハンの古詩(「あの馬と乗手とは、何処へいった?…」)は、実在する古英詩のトールキンによる語り直しである。作中のそのような細部は、校訂本という枠組みを採用した作者の意図ともマッチしているし、総体として「指輪物語」はそのような観点において、きわめて美しい作品であると私は思っている。



 ただし、この作品が20世紀末もしくは21世紀になって書かれたものだとしたら、私は「…はあ?」と言ったかもしれないし、ひょっとするとボロクソにけなしていた可能性もないとは言えない。いやだって、学問的な動向も社会状況も全く違うでしょ。それで、こういう話を書く?(もちろん書いたっていい。成功すれば)というか、「自作言語にバックグラウンドを与える」という全くもって一般的ではない創作動機を抜いた場合、「指輪物語」が一見していかに「時代遅れ」かというのは、すでにル=グウィンも冗談まじりに言及しているところであって。
 ということで、ようやく、ドメ・カルコスキ監督の「トールキン」についてなのだが、その前にもう一つだけ。実を言うと、私は「指輪物語」について原作原理主義者なので、ピーター・ジャクソンによる映画作品は未見です。原作原理主義者だから、自分が小説版を読んだ時のイメージを守り抜きたいのだが、悲しいことに映像の力は強く、見ればどうしても影響を受けてしまう。なので、見ないことにしたのです。本来であれば映画版「LOTR」の存在を前提とすべきところ、以下の文章では存在しないことになっていますがそういうことです。ごめんなさい。


www.foxmovies-jp.com


 ドメ・カルコスキの「トールキン」は、トールキンの青年時代を扱った一般的な意味での伝記映画ではなくて、「「指輪物語」をはじめとするトールキンの諸作品のバックグラウンドにどのような作者の人生経験があったか?」を逆算して再構成した場合にあり得るものとしてのトールキンの青年時代、を描いた映画である、と、まずは断言しておく。そういう点では、一人のイラストレーターの伝記映画の体裁を取りながら、同性愛に対する個人の意識の変化、社会の拒絶と受容、ゲイ・カルチャーの興隆を数十年のスパンで点描した、同監督の前作「トム・オブ・フィンランド」と類似のアプローチの作品でもある。また、生きるために必要な芸術の力をストレートに称揚するのも、「トム・オブ・フィンランド」と共通している。


 さて、一般的な伝記映画として見た場合、「トールキン」の筋立ては相当に紋切り型に寄せてある。早くに両親を失い、孤児となったミドルクラス(あまり上の方ではない)出身の(言語限定)天才少年。明らかに階層が上な級友達とのお定まりの疎外と反発と友情。仲間たちとの、芸術によって世界を変えたいという望み。同じく孤児の女性との恋愛。後見人である神父との衝突。学業継続を巡るあれこれの困難。失恋と友情と師事。自分の目指す道の発見。戦争。死。そして…以上。もちろんそれらは概ねのところはトールキンの伝記的事実から取られているが、細部の枝葉の刈込みとあまりにもキラキラ美しい映像とが「本当の」とか「真実の」的な生々しさを消し去っているし、何ならあちこちかなり以上の脚色がほどこされていて、遺族非公認だ。


 では一体これは何なのか、と言ったら、先刻書いたとおり、「指輪物語」をはじめとするトールキンの諸作品を補助線としたトールキンの前半生の再解釈だ。矢印を逆にしてはいけない。作家の人生の経験を作品解釈に投影しているのではない。トールキン的マストアイテム——ホビット庄ベレンとルシアン、旅の仲間、モルドール等々——で作家の人生の出来事を解釈しているのである。しかも、ご丁寧にも、トールキン自身が1966年版「指輪物語」序文において否定しなかった作品への影響——「1914年の戦争に遭遇した経験」「1918年までには、わたしの親しい友人たちは一人を残してみんな死んでしまった」等々——をほぼ全面的に採用し、全ては、ソンムでかかった塹壕熱にうかされ意識不明のトールキンが見たと思ったもの、というエクスキューズをつけて。だからこれは、トールキンの伝記作品ではなくて、作家トールキンを素材にしたファンタジー作品なのだ。遺族が伝記として公認しないのは当然だし、それは遺族の側にとっても作品の側にとっても正当な評価と言えるだろう。


 とはいえ、人工言語が先にあり、そのバックグラウンドとして膨大な神話作品群を生んだトールキンに関して、トールキンの作品群を所与のものとして、そのバックグラウンドとしての作家の前半生を想定する、そしてそこに最大の要素として第一次世界大戦をぶち込む(ことによって間接的に「指輪物語」を再解釈する)というこの映画のアプローチは、結論だけ見れば常識的と言えなくもないが、「トールキン」に関するファンタジー、つまり「虚構」と「現実」との間の適切な距離を設定するロジックとして捉えるならば、きわめて的確な批評性を備えていると思う。
 その上で、トールキン自身が自分の作品中に様々な古い物語の語り直しを滑り込ませたように、この映画もまた、トールキンが影響を受けたであろう物語を作品の要として効果的に用いている。例えば母が子供たちに語ったシグルドの竜退治の話は、オペラハウスでのエディスとのデートの「ニーベルングの指環」に繋がり、愛する者を自身の無力により失うことを恐れるトールキンの心情を際立たせる。あるいは、泥酔して自作言語でクダを巻いていたことをきっかけに師事することになった教授とともに座って詩を朗唱している最中、「War!」という叫びとともに第一次世界大戦の開戦が告げられる場面。これは言語の才能に加え、現代語訳の文体(文学的才能)をも師に認められた瞬間、戦争という現実が未来を断ち切る、というこの映画の実質的なクライマックスだが、ここでトールキンが読んでいるのはモルドンの戦いに関する詩だ。西暦991年、モルドンの太守ビュルフトヌスが侵攻してきたヴァイキングと戦って敗死した事件を歌う古英詩は、ソンヌの泥濘にまみれて死んでゆく青年たちの予兆として、いかにもふさわしい(なお、付け加えるなら、後年トールキンはこの作品の続編を創作している)。



 映画「トールキン」は、このようにトールキン自身の創作上の手法を踏まえて作家トールキンの青年期を描いた点で、ファンタジーとしてスマートなロジックを備えた作品だと、私は思う。その上で、この映画が現実の暴虐に抗して芸術の力を称揚していること、について付け加えておきたい。


 トールキンは「妖精物語について」において、妖精物語の機能として、回復、逃避と慰め、喜びをあげており、特に「逃避」に関しては、主に批評においてネガティブなニュアンスを帯びる点について縷々反論を加えている。おそらく彼が「逃避」の語で言わんとしていることは、良心的兵役拒否に類したことなのではないかと思うが、トールキン現代社会嫌悪とあいまって、この部分にはいささかの混乱があるように思われる。例えば彼は、大量生産方式で作られた電気の街灯に作中で言及しないのは逃避かもしれないが、文明の利器として過渡的なものだから無視してかまわないといったようなことを言うが、さすがにそれは乱暴だろう。そして、それらの間にちりばめられた「我々はケンタウロスや竜に出会うべきなのである」「ブレッチェリィ駅の屋根の方が、雲よりも「現実的」であるのだ、と自分を納得させることはできない」といったキャッチーな断言は、この現実の諸問題に背を向け、空想の楽しみに引きこもる無責任なファンタジー愛好家のイメージを生み出しても、おかしくはない。
 実際のところ、逃避と慰め(「幸福な結末(ハッピーエンディング)の慰め」)は、敬虔なカトリック教徒でもあったトールキンの結論においては、福音と結びつく。おそらく「妖精物語について」は、ファンタジーについての普遍的なマニフェストというより、キリスト教の信仰を持ち、20世紀の世界から脱走したいと願い、かつ、言語を生んでその言語を存在せしめるための世界を創る営為に身を捧げた一人の人物の信仰箇条なのだろう。


 映画「トールキン」において幾度も幾度も波のように繰り返される芸術の力の称揚は、「妖精物語について」における現実と妖精物語の機能との相克を、よりドラマチックかつシンプルに描いたものと言える。映画の中のトールキンは電灯の醜さについて文句を言ったりはしない。しかし、映画は、環境汚染されたディストピアSFの一場面のような世紀転換期のバーミンガム、貧困と病苦、階級社会の理不尽さ、抑圧された女性(とともに家父長制の下で男性であることの圧力に苦しむ少年たち)、戦場の無残さを画面に映し出す。映し出すだけだが、受け手は確かにそれらを見ることができる。それらの現実の暴力に直面する仲間たちの間で、あるいは彼らに関わる人々の間で繰り返し疑念を示され、確認される芸術の力。そして、映画のラスト、一枚の白紙の上にペン先が置かれる時、(受け手が当然に予想する)あの一文があらわれる瞬間は、まさにトールキンが言うところの「幸福な結末の慰め」の具現化に違いない。


 ドメ・カルコスキ監督は、「かつて僕がトールキンの物語によって現実逃避することができたのと同じように、2019年のいまも、本作によって人々は現実逃避することができるかもしれない」と述べている(映画パンフレットより)。確かに映画「トールキン」は「妖精物語について」が夢見たような妖精物語なのであり、トールキンの作品の「忠実な映像化」などよりもよほどすぐれた「トールキン」映画であって、ファンタジーとしての美しさを備えた良作だと私は思う。



(続く)(続くとしても来週以降…)

「ファンタジーの美しさ」についての数千字(その1)

その1:まえせつ(用語の定義とか)


 連休に入って、布団の中でごろごろしながらTwitterを見ていたら、映画版「羅小黒戦記」を中共プロパガンダと見なす、いささか大ざっぱすぎる感想が流れてきたので、何となく自分にとって「ファンタジー」とは何か、というようなことをずっと考えていた。というのは、私にとっての「羅小黒戦記」の(数ある)魅力の一つは、現実を補助線とした場合の「ファンタジーとしての美しさ」の絶妙なバランス感覚にあると感じていたからだ。



 さしあたり定義しておくと、自分にとって「ファンタジー」とは、「虚構」と「現実」(幅広く取るためにカッコをつけておこう)との間の適切な距離を設定するロジック、なのだと思う。


 具体的に言えば、トールキンの「指輪物語」は私にとってファンタジーだ(というより、私の中では「指輪物語」が絶対の基準としてあって、それを基に自分のファンタジーの定義を考えてきたのだから、当たり前の話ではある)。我々が読む「指輪物語」は、簡単に言えば、「世に知られていない写本を(おそらくは学者である)作者が校訂した上で現代英語に翻訳したもの」だ。「指輪物語」の序章には、ホビットに関するいくつかの特徴的な事項に関する説明に加えて「ホビット庄記録に関する覚え書き」という節が含まれるが、この辺は岩波文庫とかの冒頭にある、古典のテキストについての凡例とほぼ同じである。このような学術的な手続きによって現実との連続性を担保しながら、一方で、ビルボやフロド自身が書いたとされる「西境の赤表紙本」の原本はすでに失われたとされ、原本→写本→校訂→翻訳という複数の過程の提示そのものが、ズレや虚構性が入り込む余地を示唆する、という念の入れようだ。
 あるいは、ウィリアム・モリスのケルムスコット・プレスで印刷された作品。中世風・ルネサンス風の外貌をまとった「もの」としての本を実在させることは、創作された作品を現実世界の過去と結びつける仕掛けと見ることもできる。


 ひょっとすると、写本(ないしは稀覯本の外見をまとった印刷物)はファンタジーを成立させるためのもっとも手っ取り早い手段なのかもしれない。いざとなれば、それらは捏造することだってできる。
 ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」も、世に知られていない写本の発見と作者(のみ)による閲覧、写本の喪失を作品の前提に置いているという点で、ファンタジーの形式を踏んでいる。もっとも、冒頭部分におけるエーコの写本の取り扱いはほとんどクリシェであって、トールキンほど写本の取り扱いの学術的な側面には重きを置いていない(本編が写本を扱った物語であるにもかかわらず)。それは多分、エーコトールキンのようには「第二世界」の実在性に切実な意義を見出していない一方で、「虚構」と「現実」をつなぐアイテムとしての写本のいかがわしさにより自覚的であったためだろうし、エーコ自身も(私含め)読者も、「薔薇の名前」を積極的にファンタジーとして受け取ってはいないと思う。ただし、トールキンが手続きを厳密に踏んだために、他の作家たちはそれを省略することが可能になったということは言えるかもしれない。


 もちろん、別のやり方もあって、例えば、作品内の「現実」と「別世界」とを通行可能にするアイテムを設定するのだっていい。「ナルニア国物語」の洋服箪笥、「はてしない物語」のバスチアンが読む本などがそうだ。ハリー・ポッターシリーズにおけるホグワーツ特急も同様の役割を担っている。ただし、ハリポタシリーズは、「現実」とおぼしき世界に虚構が混在するという点で、「虚構」と「現実」の関連により精密さが求められるにもかかわらず、その部分の処理がかなり雑なので、私の定義からすると、少なくとも良いファンタジーではない。

 

 付言するなら、私の定義からすれば、「これは商業的にファンタジーとして流通しているジャンルの作品だからファンタジー」というロジックの作品も、ファンタジーとして成立しうる。しかし、まあ、…それもいいけど雑だよね、という話。ファンタジーとして美しいか美しくないかといえば、私の考えでは美しくない。



 以上が、自分にとってのファンタジーの定義だ。ただし、今回あげた具体的な例は、手続きに関する部分にすぎない。当然、「では話の中身はどうなのか」という疑問は生じるし、生じるべきだとも思う。そして、この点について私は、ファンタジーにおいては「書かれていること」は「手続き」との関係性の中で判断されるべきだと考えている。
 ひょっとすると、このような考え方は小説なり映画なりの作品を読み解く上では必ずしも一般的ではないのかもしれない。むしろこれは自分が専攻した歴史学の方法論に近い問題意識ではないか、とも思っている。歴史学というのは、(過去のどこかの段階で捏造ないし改竄ないし誤記されたものも含む)有象無象の史料を基に、先行研究や史料批判を踏まえた上で「どこまでなら言えるのか」「どのような説明が最も適切なのか」を何らかの文章等のかたちに落とし込んでいく営為だ。手続きと最終的なアウトプットのクオリティは厳密に関連している。逆に、そこがガバガバであれば、何でも好き勝手なことが言えてしまうというのは、昨今の歴史修正主義の隆盛を見ても容易に理解できると思う。
 世間でファンタジーと呼ばれる作品の多くは、直接・間接に神話・伝説から題材を取っている。そして神話・伝説の研究と受容は、19世紀から20世紀において、歴史の場合と同様に、ナショナリズムと密接に結びついて発展してきた。そのことはファンタジーを読む上で批判的に頭に入れておいた方がいいし、歴史の分野で未だにナショナリズムと結びついて歴史修正主義が活発である以上、歴史学の方法論を応用したロジックの読解、という視点からファンタジー作品を読むことは、あながち無意味でもないだろう。



 といったあたりを前説として、次回以降、2019年に公開された2つの映画、「トールキン」と「羅小黒戦記」を「ファンタジーとしての美しさ」という観点から考えていきたいと思う。



(続く)(ちゃんと続くかな)(体力が続けば…)

2016夏マルメ・スコーネ・麦畑ぼんやり行(6)

coalbiters2016-08-21

不況、ウォーターフロント開発、都市再生(承前)

ヴェストラ・ハムネンで道に迷う。

 という次第で、見るべき観光名所は観光客らしく観光したと思ったので、旧市街のあるであろう方向目指して歩き始めた。地図は見ていない。そもそもマルメのどこに何があるというような地図情報を含んだ日本語の観光ガイドブックはごく少ないのだ。下手をするとマルメ自体がアウト・オブ・眼中だったりする。なので現地の観光案内所で地図を入手するつもりだったが、前日は到着した時にはすでに閉まっていた。とはいえ、再開発地区だから、基本的には直交する道路で構成されており、道に迷ってとんでもないところに出る危険は少なかろうとも踏んでいた。
 確かに、現在位置と目的地の方向さえ見失わなければ、大した困難はない。
 しかし、うっかり失念していたが、私は基本的に方向音痴だったのだ。結論から言えば、現在位置を誤解していたし、目的地の認識も間違っていた。
 何故か再び近づいてくるターニング・トルソ(実は当然そうあるべきだったのだが)、いつまで経っても辿り着かない運河、道を聞く才覚はないからいなくてもいいのだが、それにしても少ない人通り(車通りは多少ある)、いい加減疲れてきた足腰、だがどこまで行っても設置されてないベンチ、いくら自転車サイズ以上の街だとしても、旧市街の五分の一のレベルでいいから置いてくれ! と逆ギレ気味になったあたりで、おっさんが二人ほど釣り糸を垂れているヨットハーバーみたいなところに行き当たったので、一休みがてらグーグル地図のお世話になることに。ビバ、レンタルWi-Fi

 自分の正しい位置情報を把握し、ヴェストラ・ハムネンの規模を大分小さく見積もっていたことを思い知らされ、うんざりしながら歩き始める。日頃の運動不足がたたってかなり疲弊していたので、このあたりの記憶はあまり無い。とにかく最短距離を目指して脇目もふらず。
ようやく中央駅の近くまで戻ってきたことが確信できたあたりで、せっかくだから水辺を歩いてみようと道を逸れたら、対岸に怪しげな廃工場みたいなのがあった。グーグル先生は何も教えてくれないが、これを見落としては私の目は節穴だと直感が告げたので、写真を撮りまくる。



他にも、使われているようには見えない線路が街中に残っていたりする。かつての貨物線か何かなのだろうか。

地図の偉大な力を借りる。


マルメの海側の地図。中央部の水域の横の灰色のあたりがGamla Dockan。右下に見えるのがマルメ中央駅(Malmo C)。左側がヴェストラ・ハムネン(文字の上のくねっとした青い物体がターニング・トルソ)。左下にマルメ城。
 観光案内所で無事地図を手に入れ、歩いた道に色を塗ってみた。くだんの廃工場のあたりはGamla Dockan(旧ドック)と呼ばれているらしい。その近くにKockumsというバス停があり、さらには公園やフィットネス・クラブみたいなものにもKockumsの名前が冠されているところを見ると、この辺がコックムス社の牙城であっただろうことは何となく推測できる。さらに海沿いのあたりには旧ではないDockanの地名もある。おっさん二人が釣りをしていたヨットハーバーのあたりだ。ひょっとするとコックムス造船所の巨大クレーンがあったのはここではないかと思うが、位置関係を明示した資料がないので、確証が得られない。

博物館に証拠を集めに行く。

 地図でわからなければ、博物館で確かめよう。マルメ市の博物館としては、マルメ城の中にあるマルメ博物館(歴史博物館・美術館と自然博物館、地下に水族館がある)、その近くにある技術海事博物館などが一群の博物館として、共通の入場券で入れるようになっている。
 技術と海事が一つの博物館になっているところに造船業の盛んだった痕跡を見たくなる訳だが、同じ建物の右と左を占める両者の人気の差は歴然としている。技術博物館は動力源と乗り物の歴史についての展示で、自転車や自動車の他に戦闘機や潜水艦も展示され、かつ潜水艦は中に入れるということもあって見学者の人気は高く、小さい子供を連れた家族連れや若い男性のグループが熱心に展示に見入っている。古い自転車の展示の前で「これ、すげえ作りだ、かっけー」みたいに感心している若者などもおり、さすが自転車大国だとこちらも感心した。
 一方、海事関係のコーナーは、そもそも1階部分を「マルメの百年」みたいな展示に占拠され、地下と2階にかろうじて残っているのだが、それもところどころ他の展示に侵食されている始末。

展示されていた自動演奏の人形楽団。20世紀初頭にイギリスから輸入されたものだそう。
 船の構造や船室の展示の奥から大歓声が上がって何かと思えば、地元マルメのサッカーチーム、マルメFFの特集コーナーが設置してあったりする。館内に響き渡る歓声が気になって2階に上がる親子連れもいたので、客寄せとしてはよく考えられているが、ちょっとあざとい気がしないでもない。なお、マルメ市民の強烈な地元愛のみを当てにしているらしく、他の展示には英語表記もあるのに、ここは当然のようにスウェーデン語表記のみだった。ともかく、海事関係の展示は人気がなく、あまりじっくり見る人もいないのだが、確かにやや古めかしく、魅力的とは言い難い。ひょっとすると、海事博物館としては終息させ、工業都市マルメの近代史の展示に模様替えしていくつもりなのかもしれない。
 博物館の一角に、コックムス・クレーンの写真があったので近寄ってみた。何の説明もないが、「マルメ港で働いていた人たち」の特集であるらしく、港湾労働者、船舶仲立人、コックムス造船所の女性労働者の証言が写真つきで紹介されていた。コックムス社の女性は、職場に女性が初めて入ることになったので、賛否両論の大激論が交わされたこと、その後どこに行っても女性が職場に入り込むことへの抵抗を受けたことなどを語っている。港で働いていた残りの二人がどちらも港の匂いに言及していたのが印象的だった。スパイスやチョコレート、あるいはオレンジ、最悪なのは魚粉とか。そう言えば、技術博物館の潜水艦の展示にも、艦内の匂いについてほのめかしてあった。「あなたは潜水艦の全てを体験することができますが、匂いだけは例外です」みたいな。しかし、船舶仲立人だった老人が言うように、「今は何の匂いもしない」

過去の痕跡の一端にようやく辿り着く。


 博物館を見ても、港湾を中心とした工業都市としてのマルメを把握しきれずにいたので、ミュージアムショップで何やらコックムスの名前を冠した本が売られているのを見て、読めもしないのに即座にゲットした。200ページ強のハードカバーなのに、オーレスン・リンクの片道切符より安かったこともある。それにしても貨車の写真ばっかりだなと思ったら、コックムス社は造船業の他に貨車製造なども手がけており、今ではむしろ貨車製造が柱になっているらしい。ただし、それについても生産拠点を近年マルメから20キロばかり離れたトレレボリに移転したようで、ひょっとするとGamla Dockanの廃墟ぶりはそのためなのかもしれない。
 とはいえ、多少は工場の敷地や造船業についても触れていて、埋め立ての進展や、コックムス・クレーンの位置なども確認することができる。やはり、おっさん二人が釣りしていたヨットハーバーがかつてのドックで、その先端にクレーンが設置されていたらしい。

1910年代から1930年代頃の工場の配置図。Gamla Dockanのあたりだけでおさまっている模様。

1940年代後半の様子。ヴェストラ・ハムネンの大半がすでに埋め立てられていることがわかる。

1970年代。コックムス・クレーンが設置されている。クレーンは対岸のコペンハーゲンからも見えたという。出典はいずれも「Kockums pa sparet」より。

技術海事博物館の潜水艦。第二次世界大戦中、スウェーデン純国産の潜水艦をマルメとカールスクローナの造船所で分担して作ったとのことで、この艦はカールスクローナ製、退役後マルメに運ばれ展示された。

港の片隅に係留されていた古めかしい船。こちらは潜水艦よりさらに古く、19世紀末にマルメの造船所で作られ、役目を終えて故郷に戻ってきたものらしい。過去の栄光は、爽やかな光景の中にばらばらに溶け込んでいる。

もはや港というより内陸の運河のようになった水辺。灯台の下に集う少年たちは、状況証拠からして多分Pokemon GOをやっていた。

2016夏マルメ・スコーネ・麦畑ぼんやり行(5)

coalbiters2016-08-14

不況、ウォーターフロント開発、都市再生(承前)

今となってはあまりよく見えない近過去

 マルメにはかつてコックムス社の造船所があって、1世紀以上の長きにわたってその城下町として栄えたらしい。しかし、1970年代の造船危機のあおりを受けて1980年代には造船所は閉鎖され、さらに1990年代初頭のスウェーデンの経済危機の影響もあり、マルメの経済は深刻な打撃を受けたが、工業から知識集約型産業への転換、オーレスン・リンクの開業により、近年新たな発展を遂げている−−というのが、ここ数十年のマルメの産業・経済の動向に関する概略であるようだ。特に造船産業の終焉に関しては、「マルメの涙」と称されるエピソードがあり、1970年代に設置されたコックムス社の巨大クレーンが造船所閉鎖後も撤去費用が出ないのでそのまま放置されていたところ、紆余曲折の末、韓国の現代重工業が購入することになり(購入費用はたった1ドル)、2002年に解体されて蔚山に運ばれたのだが、その模様をスウェーデン国営放送が葬送行進曲つきで放映したとか何とか。
 そのあたりの事情をぐぐっている時に見つけたYou Tubeの映像。廃工場の雨音をひたすらに拾って、佗しいこと限りない。

 とはいえ、かくいう次第で使われなくなった港の一部を、住宅、大学、メディアセンターやインキュベーション施設等々の街として再開発して盛り返してきたのが今日のマルメであるから、対外的にはその成果が大いに喧伝されており、辛い過去の日々などおくびにも出さないので、一見の観光客がうかうかしていると痕跡のしっぽすら掴めずに終わってしまう。

持続可能地区ヴェストラ・ハムネンと対岸の産業港

 マルメの観光スポットと言えば、何番目かには必ずターニング・トルソが出てくる。曰く、スカンジナビアで一番高い建物である、著名な建築家サンティアゴ・カラトラバによるデザインで、上に行くに従ってねじれ、最上階と地上では90度のズレがある独特の姿をしている、最近出来た(2005年竣工)等、観光名所の条件を備えた存在ではある。スカンジナビア随一とはいえ高さは約190メートルなので、日本の基準から行くと物凄く高いというほどではないが、マルメには他に超高層ビルと呼べるような建物が全くないので、ランドマークとして大いに目立つのは事実だ−−見える場所からは。
 しかしながらそのランドマークは、マルメ中央駅からも、街の中心部の大部分からも見えない。つまるところ、中心部からはやや離れているからであり、所在するヴェストラ・ハムネン地区がかなり広大だからであり、それは一帯が再開発された港湾地区だからである。旧市街は徒歩サイズの街で、油断していると目的地を通り過ぎかねないが、こちらでは延々歩いても、目的地に辿り着けない。自動車か、最低限自転車は必須である。

ターニング・トルソ。真下から全体像を撮るのはさすがに難しい。

(少し離れて全景を撮ってみる)

(ターニング・トルソ前の公園から反対側を撮る。結構空き地というか草地が多い)

 ターニング・トルソ周辺は、ある程度は街並みが出来ているものの、空き地や工事中のところも多く、現在進行形で開発されている様子。公園に植えられている植物はハーブばかりで、花が咲き乱れる今の季節はたいそう良い香りがする。

 広さ約160haのヴェストラ・ハムネン地区の再開発は、2001年に開催された住宅博覧会におけるモデル住宅の建設と販売を嚆矢とし、持続可能な都市の実現に向けて、再生可能エネルギーの利用、屋上緑化、自動車を使わない交通体系の整備などを行ってきている云々という情報は事前に把握していて、一体どんなものだろうと興味を持っていた。が、現地に行くと、やたらガラス張りの斬新なデザインの建物が群れをなしているばかりで、素人の悲しさ、どのあたりが環境配慮型なのかよくわからない。ガラス張りだと採光性はいいだろうが、冬は寒くないのだろうか。それとも断熱がしっかりしていて暖かいのか。再生可能エネルギーと言っても、風が強いから風力はともかくとして、太陽光は冬場は使い物にならないのではないか。帰国後更に調べてみたら、地中熱だか海水だかの熱をヒートポンプで取り出して、地域冷暖房システムに活用したりしている模様。それにしても、地域で消費するエネルギーの100%を地元の再生可能エネルギーで対応するというのは大したものだ、例えば東京の臨海部の開発でも同様のことが可能なのだろうか、と2020年東京五輪の選手村の開発計画(晴海五丁目西地区再開発計画)を眺めてみたりしたが、すぐに難しいのじゃないかと素人考えで諦めた。晴海五丁目西地地区の面積はヴェストラ・ハムネンの1/10程度なのに、地区人口は多分同じくらいだ。10倍の人口密度の持続可能性を維持するのは、並大抵の工夫では済まないだろう。



 住宅地の前面は人造の海岸になっていて、沢山の人が思い思いに過ごしている。この日は午後になって雲が出てきて、私はウィンドブレーカーを着て震えていたのだが、元気に海に飛び込んでいる連中もいた。交互に飛び込んで、その様子をお互いにスマホで撮りあっている。


 何やら秘密基地のようなところで音楽を鳴らしていた少年たち。ターニング・トルソはヴェストラ・ハムネン地区ではどこからでも見える。

 ヴェストラ・ハムネンは直訳すれば「西港」の意だが、マルメには「北港」と称する地区もあり、こちらは今でも現役の港湾施設が連なっている。風力発電の風車も立っているが、諸々の資料によれば、これがヴェストラ・ハムネン地区に電力を供給しているらしい。

 対岸の港湾地区を眺めつつ海辺の公園をどんどん進み、突端まで行ったら街外れ感半端なかった。安定の港湾地区クオリティとも言えるが、港湾地区クオリティは一般的に他所者には少々おっかないので、ここらで中心部に向かって引き返すことにする。ターニング・トルソとその下の新興住宅街はここからも見えるが、何やら別世界のおもちゃ箱みたいだ。(続く)