2009秋ベルリン+@旅行記(18)

coalbiters2009-11-06

DAY+@:ベルリン街歩き総集編(メルケルおばさんの総選挙ほか)

承前。

思っていたよりも肌の色の白い人の割合が多かった件

ベルリンには移民が多いと聞いていたので、街を歩いていたら肌の色さまざま、言葉さまざまな人に順次行き当たるのではないかと想像していた。10年くらい前にロンドンに行った時は黒茶黄色とカラフルだったし、今住んでいるところも、時間帯によっては日本語以外の言語の方が多いんじゃないかという感じなので、似たような状況なのではないかと。
が、日中の大通りメインという前提の上でだが、いわゆるドイツ人にしか行き当たらない。まあ、私は顔識別能力がほとんど欠如しているので、いわゆるドイツ人と、イタリア人の観光客とバルカン半島あたりから出稼ぎに来ている人とトルコからの移民をきちんと区別できるかというとはなはだ心もとなくはあるのだがーーしかし、多少ヨーロッパ人でない雰囲気だぞという街角は、壁の跡めぐりで歩いたシュプレー川西岸と、カール・マルクス大通りから曲がったワルシャワ通りの並びで多少見かけた程度。ちなみに、帰国後、

この本などで確認したところ、私が歩いたあたりからほんの1、2ブロックのところはもう、リトル・イスタンブールなのだとか。つまり、各人のエスニシティその他により、かなり固まって住んでいる訳で、都市の住人に関しては、一見の印象はあまり当てにならないと思った。
なお、ドイツでは失業率が高いという話であったが、少なくとも観光客視線で見た限りでは、昼間から駅の周辺にたむろっている若者やおじさんなどは見当たらなかった*1。そもそも仕事をさぼって立ち話、みたいな人も見かけない。街路にいる人は必ず何か用事をしている印象だ。用の無い奴は街に出るな。本当か? ポーランドとの国境の街フランクフルト・オーダーではことに顕著で、ポーランド側では仕事が無いのかさぼっているのか、車の脇でタバコをふかしながら延々喋っているおじさんやら、ベンチで休んでいる学生二人組などに歩けば当たっていたのに、ドイツ側では時間をつぶしている様子の人は痕跡すらない。不思議だ。それとも働けそうな人間はすでに西側に移住してしまったのだろうか。

で、総選挙。

8月末の日本の衆議院議員選の日、BBCなぞ開票と同時ぐらいのタイミングで「政権交代!」みたいな特集を組んでいたし、あまり外国に関心のなさそうなアメリカのメディアだって報道していたのに、見事にスルーしていたのがドイツで、つまり彼らは自分たちの地方選の結果に夢中だった訳だ。今度は連邦議会、CDUとSPDの連立解消をかけた総選挙ということで、あたりはポスターにまみれていた。
 
(左はCDUとFDPのポスター。右はSPD。とにかく大きい)
他に左派党(全然ビジュアル系でない文字ばかりだがあちこちに出没)、緑の党原子力マークつき、それほど目立たず)など。街頭キャンペーンも各所でさかんで、
 
ポツダム広場駅前のCDUのビラ撒き拠点(写真左)。右は赤の市庁舎前の若いお父さんお母さん子供たち動員の大集会(スタイルから見て左っぽいなあと思ったが確認できず)。あと博物館島海賊党がビラを配っていた。
ベルリンの街頭での選挙戦を見る限り、CDUがやや優勢かという印象を受けた。やはり首相を擁するってのは強い。巨大なポスターの中でもひときわ大きいCDUのポスターには、にこやかに微笑むメルケル首相(の顔面アップ)の右下にシンプルに「KANZLIN」ーー女性形ですか。それってつまり、
メルケルたん?(爆)
いや、それはおまえの妄想だと仰る方は、ヘルムート・コールのどアップに「KANZLER」と合わせてどれ程訴求力があるかを考え合わせてみて下され。政治的には激しく間違っていると思うが、選挙ポスターとしては無敵だ――鉄の女、メルケルたん。

DAY8&9:TXL→CPH→NRT

チェックアウトのためにロビーに降りていけば、新聞の一面にはメルケル首相の満面の笑み。飛行機は午後イチの便なので、頑張れば市内観光できた筈だが、前日歴史博物館でもらって来た悪寒が抜けず、とっとと空港へ行ってベンチで時間をつぶす。帰路については、あまり書くこともない。テーゲル空港のセキュリティ・チェックに引っかかって荷物を開けさせられたくらい。結局、ユダヤ博物館含め、成田以外のチェックには全て引っかかったことになる。機内持込不可だと言うから、十年来愛用のカッターナイフを日本に置いて、丸腰で旅していたのに一体何でだ。
往路にはスシとパンとケーキとか、バーガーとソバとチョコポッキーとか訳のわからんセレクトをしていたSASだが、帰りの食事は洋食に統一されていて、つけあわせのブロッコリーが非常に美味しそうだったので喜んで箸をつけたら、形を保っているのが奇蹟なほどでろでろになっていた。茹ですぎだ。機内誌で「機内食の容器はスカンジナビアン・デザインなんです」と自慢していたのは、まことに自分のことをよく判っていると言えよう。あまりの不味さにうっかり感動してしまった。
機内で配られた税関の申告書に職業欄があるのに気づいて非常に不快になり(公務員だとあんまり見ないけどフリーターだと厳しくチェックするとか、その逆とかやってるのか。やってないなら不必要な個人情報ってやつだ)、たまたまボールペンが見当たらなかったので駄目モトで鉛筆で書いて出したら受付けられてしまって、ますます不愉快になる。役所の書類が鉛筆書きOKってあり得ないだろう。空欄でおとがめなしなら、その項目そもそも要らないだろう、とか。お役所仕事としては正しいかもしれないが、それはプロの役人のすることじゃない。それとも、空欄にして出すような輩はブラックリストに載せて、何かあると優先的に捜査するのだろうか――でもそれってシュタージじゃ、と帰国早々、ストレスがたまり出すのだった。形式とか権威にもたれかかって安心しているだけで、実はちっとも実効性ないんだから。

2009年9月28&29日の旅程。

結論。

ということで、ほとんど衝動的に行って来たベルリン、途中、強烈な違和感にかられたり、論理的に起こり得る事態を想像してどんどん怖くなったり、大いに意地悪解釈をしたりしたが、それも含めてたいそう面白い街だった。文句なく楽しむなら議論の余地なくプラハだけれど、文句つけつつ楽しみたい向きにはベルリンをプッシュしたい。色々とアンバランスだし、路上ではあらゆる表象(用語正しい?)がバトルを繰り広げているし、時々信じがたく悪趣味だし。とりあえず、次回に積み残した課題は、

  • 美味しいケバブを食べること
  • こじゃれたカフェでベンヤミンとか読みながら優雅にお茶すること
  • 舞台芸術に親しむこと
  • 理科系の博物館や現代系の美術館を見て回ること
  • モダニズム建築を見て回ること、その他各時代の建築様式もチェックすること
  • 20世紀前半までの歴史をふまえて街歩きすること、その他各時代の廃墟を巡ること
  • ベルリンの地下世界を探索すること

ううむ。一度じゃ済まなさそうだ。
(なお、先日実家の大掃除をしていたら、今は亡き大叔母が1972年だか3年だかにヨーロッパ3週間ツアーに参加した時のアルバムが出て来て、東西ベルリンを観光していたことが判明。西側と東側から見たブランデンブルク門とか、巨大レーニン像とか、現役だった壁とか、今となっては貴重な写真があったので、スキャンに成功したら紹介したいと思います。大分先になるかもですが)

*1:例えば新宿にしたって、日中に歩けばくりーんではいてく、びゅーてぃふぉーなじゃぱん、であるし、近所の無職青少年は表通りなぞにはおらず、裏通りのパチンコ屋の前に座っている、という状況は念頭に置いておくとしても。