2009秋ベルリン+@旅行記(14)

coalbiters2009-10-27

DAY6:バルト海! バルト海

カモメの水兵さん

土曜日ということで、週末遊びに出掛けようというドイツ人で駅はごった返していた。乗ろうと決めていたロストック行きの列車は「ヴァルネミュンデ・エクスプレス」と称してロストックの外港のヴァルネミュンデまで行くのだが、見事に満席。隣の席に人が座るなんて、はじめてだよ。8時過ぎにベルリン中央駅を出て、11時前にヴァルネミュンデに着く。途中は森、牧草地、畑、風力発電の風車、水路、小さな町等々。
駅を降りるとベルリンより体感温度が2、3度は低い。さすがはバルト海。駅のすぐ横から運河になっていて、運河沿いの道を人々がそぞろ歩く。観光船が呼び込みをやっている。屋台のサンドイッチがあまりに美味しそうだったのでゲットする。あぶった鮭のぶつ切りを挟んであって堪能した。カモメが見ていたけれども、あげないのだ。内陸、あるいは湾の奥の方にはドックがあり、その他の工場があり、煙突から煙が上がっている。ヴァルネミュンデから湾というか、ヴァルノウ川の幅広の河口が十数キロ内陸に切り込んでいて、その一番奥にロストックの旧市街があり、湾の両側が港湾都市ロストックを形成しているらしい。旧東独最大の港湾都市ということだ。
 
海は青緑、砂浜は白く、色だけ見れば南国のリゾート地。凧揚げするおじさんあり、波打ち際をはだしで歩く御婦人あり。それにしても周囲で聞こえるのはドイツ語オンリーで、思い思いに楽しんでいるのは色の白いドイツ人ばかりだ。

ハンザ都市ロストック

ヴァルネミュンデからS-Bahnで20分ほど、13時前にロストック中央駅に到着。例によって市中心部まで15分ほど歩くのだが、怖いくらいに人通りのない大通りであった。変哲のない街並みが続くのだけれど、正直なところ、かなり感じの悪い印象を受けた。別段荒れたりしてはいないのだが。なので旧市街の入口の門が見えて来た時にはほっとした。しかし旧市街に入っても人がいない。市庁舎の前の広場は閑散として、野菜を売っている屋台が出ているくらい。
一体、何てところに来ちゃったんだと頭を抱えて、せめて教会でも見て帰ろうとマリエン教会の周囲を回ったところ、教会裏の大通りにこんなモニュメントを見つけた。

手前はおそらく貿易船の帆を表しているのであろう。その奥に道しるべみたいに立っているのがなかなか壮大で、行き先はベルゲン、オーフス、リガ、アントウェルペンブレーメン等々。Dalian七千数百キロという表示もあり、それだけ遠いと日本に着いちゃうよと思ったら、これは大連。どうやら姉妹都市を示しているらしい。大連はともかく、多くはハンザ貿易つながりだろう。教会の前のマンホールには誇らしげに「ハンザ都市ロストック/HANSESTADT ROSTOCK」と打ち出されている。

どの街でも教会の中が不愉快なことは滅多に無く、ロストックのマリエン教会もなかなか素晴らしかった。あまりにいい感じなので、今イチ雰囲気のよくない外の街と比較した内部の居心地の良さの落差に当惑した。せいぜい半日いたにすぎない、しかもどんどん邪推モードに引きずられている観光客の身で「雰囲気がよくない」などと無責任なことを書きたくはないのだが、私にはどうにもこの街の顔がつかめなかった。空襲でガレキの山になり戦後復興したという経緯があるにせよ、歴史の無い街ではない。実際、教会や博物館には面白いものがザクザクあるのだ。なのにそれが街のおもてには出て来ない。つまり、それらは住人のアイデンティティにとって重要ではないということではなかろうか。では何がロストック人のアイデンティティなのか。旧東独最大の港湾都市
 
左の写真は1472年製という天文時計。ヨーロッパ人(ヴァイキングを除く)がアメリカ大陸を知る前に生まれた時計だ。教会の中ではいろいろな時代がごっちゃになり、ワンダーランドの様相を呈していた。右の写真はバロックあたりだろうか。
目抜き通りであるクレペリナー通りは歩行者天国でごった返していたが、個性は無い。15時前にロストックを出発する列車があったので、それに乗ればベルリンに戻ってオペラが見られるかもしれないなあと思いつつ(本屋で貰ったベルリン・ドイツ・オペラのチラシによると、その夜タンホイザーをやる筈であった)、一応博物館ものぞいてみることにする。
 
歴史文化博物館は修道院の建物を転用していた。入口には「Harmonia mundi」なるポスターが(入場無料ナリ)。一体何のコンサートと思ったが、よく見ると「ブラーエ、ケプラー、1600年頃の世界像の革命」なる副題がついている。中に入ると、19世紀に至るまでのロストック大学天文学科所蔵の観測機械や16-17世紀の地理書、天文書の類が続々。バルト海沿岸最古の大学の名は伊達ではない。ちなみにバンヴィルの「プラハ 都市の肖像」によると、ティコ・ブラーエは一時ロストックに滞在していたこともあったらしい。常設展には中世の木彫り彩色の聖人像が展示されていて、こちらもたいそう見応えがあった。キリスト様とかマリア様とか、余計なものをそぎ落とされた表情は柔和で美しい。能面のようなかっこよさだ。中世は暗黒時代で美術は生硬で非人間的とか言う教科書執筆者め首を洗って待ってろよ、と思った。
常設展の最後に置かれたロストック市街の模型を見て、この都市に対する違和感の一部は解消された。ヴァルノウ川は鉄道駅の反対側にあるのだ。ハンザ都市においては当然川の方が表玄関であるから、鉄道駅に近い市庁舎前広場に人気が無いのは当たり前で、教会の「裏」にあると思った姉妹都市への里程標は、教会の「前」に置かれていたのだった。川岸まで大した距離はなさそうだったので、降りてみることにした。岸辺は駐車場になっていてお世辞にも美しく整備されているとは言えないが、今でも人の流れの中心のようである。そこに駐車場があるからという理由だとしても。
疑問が氷解したとは言え、また土曜の午後だからとは言え(目抜き通り以外の店は土曜は昼で閉まるらしい)、駅までの人気のなさはただごとではない。ともあれ無事に駅に戻って、列車の中で売店で買ったサンドイッチをもぐもぐ食べていると、外から馬鹿騒ぎが聞こえて来た。複数が大声で叫ぶわ歌うわ、傍若無人きわまりない。しかし注意する人は誰もなく、皆無視を決め込んでいるようだった。東洋人を見つけたらからんできそうな類の声音だったので(外国人排斥野郎とか、男尊女卑主義者とか、ああいう輩は何故か皆、わざとらしいこけおどし声が好きだ)小さくなってよそを向いていた。何しろロストックでは、かつて難民収容施設襲撃事件とか起こしているから。幸い車内には入って来なかったが、かような迷惑行為を誰も注意しない社会はやはり感じ悪かんべと思った訳である。親しい仲間で家にこもって、公道のことは見て見ぬ振りする場所柄なのだろうか。まあ、東京も似たようなものだが。

2009年9月26日の旅程。

  • 7:34/ベルリン東駅発
  • 7:42/ベルリン中央駅着
  • 8:14/ベルリン中央駅発
  • 10:51/ヴァルネミュンデ着
  • 12:20/ヴァルネミュンデ発
  • 12:40/ロストック
    • マリエン教会
    • 歴史文化博物館
  • 16:33/ロストック
  • 19:15/ベルリン中央駅着
  • 19:34/ベルリン中央駅発
  • 19:45/ベルリン東駅着