2010夏ソウル一泊二日強行軍(1)

ということで、仕事の山のただ中に、大学院ゼミ・韓国合宿という名前の高峰までそびえ立っていたのであった。二足のワラジ履いているからにはある程度仕方ないとはいえ、どうしてこうもいろいろかぶさって来るのか。実は、入試直前の一週間も仕事の山とモロに重なって、休日出勤して、夜の八時頃帰路について駅まで行ったところを携帯電話で呼び戻されタクシー帰りになるわ、ついにはどんづまって職場で夜明かしするわで、合格した暁には人生における忘れがたい思い出になる筈だったのに、これではありふれすぎて有難さが減じてしまう。
それはさておき。
ベルリン旅行を終えてから、今度は東京以外の東アジアの大都市を歩きたいと思い始めていた。ヨーロッパの都市は何だかんだ言っても、少人数で人口密度もそう高くはない社会を前提としている訳で、非常に興味深い異文化体験であるとしても、東京の比較対象にはなり得ない。せいぜい数百万規模の都市のインフラやコミュニティ形成のあり方で、後背地含め一千万のオーダーから始まる規模の都市を統御できると考える方が無理がある。比べて意味のある比較が出来て、お互いの相違を面白がることが可能なのは、やはり東アジアの大都市であろう云々。
それに近いし。
なので、ソウルでの合宿はまさに渡りに船だったのだが、疲労困憊の身に一泊二日の強行軍では、さすがに都市の全体像を把握するのは無理だった。
まあいいか、近いし。また来れば。
ということで、以下切れ切れのソウル旅行記

断片01/飛行機の話。

とにかくソウルは東京から近い。第一に、羽田空港はやはり便利だ(現時点での国際線ターミナルは貧弱な上に人が多くてあまり風情はないけれども)。第二に飛行時間が二時間しかない。新幹線でちと遠方へ行く感覚(逆に、ヨーロッパなどへのフライトで、どれだけ荷物状態を強いられていたかを認識した)。第三に街中を歩いていても生理的にあまり違和感がない。帰りの空港で、韓国のバラエティ番組をぼんやり眺めていたのだが、言葉が違うだけで、間合いも作りも日本の番組とほとんど同じだった(息も絶え絶えに報告するタレント・リポーターとか、息を飲んだり笑ったりする観客とか、字幕とか)。
とは言え、当然別の街なのであって、韓国の第一印象は、飛行機の窓から眺めた、田んぼの横ににょきにょきそびえるノッポなビル団地なのだった。田んぼを潰せばいくらだって宅地になりそうなところを、どうして地震が来れば潰れそうな高層ビルにする? あるいは、どうして日本ではずるずるスプロール化して、コンパクト・シティが作れない? いや、あのビル群は別段コンパクト・シティではなかったと思うけれど。

断片02/地下鉄の話。

すっかり機内持込手荷物だけの旅の気楽さに目覚めてしまったのでーー何が楽って、持ち帰れないから、土産を選ぶ心労から解放されたところが。相手はどう思っているか知らないけど(笑)ーー今回も小型リュックとボストンバッグを両肩にかけて、とっとと空港を脱出。金浦空港は地下通路で地下鉄の駅に直結しているので、頭を使う必要は全く無い。切符は、切符ではなくて一回券でもプリペイドカードで(改札を出て回収機に入れると、デポジットが戻って来る)、四か国語表記で勿論日本語もあるので、そんなに迷うことはない。ただし駅名表示はローマ字だから、ソウル市観光局が親切に作成してくれている日本語版の路線図は役に立たないのであった。プリントアウトして持って行くなら、英語表記の方がいい。学生時代、中国の地図を描いて、省の位置と省都の名前を正しく記入すれば単位を貰える講義があって、しかし教授は地名を漢字かローマ字表記でないと点をくれなかったことを思い出した。カタカナで外国の地名を覚えても何の役にも立たないと言うのである。全くその通りだ。で、カードの自販機が紙幣を認識してくれる確率は、日本の同輩よりもやや低い。
地下鉄は座席が硬いのと軌道がやや広いのを除けば日本のとあまり変わらないけれど(あれ、吊りビラってあったっけ?)、若いのがいとも身軽に年配者に席を譲るのに感心した。というか、無事に地下鉄まで乗れたので安心してへばっていたのだが、私はあそこに座っていてはいけなかったのかも。
(以下次号)