2013夏プラハ+ウィーン観光名所うすかわ編(16)

coalbiters2013-12-18

しばらく間があくうちに、暑さにうだっていたウィーンの夏はどこの別世界かという季節が到来して、ゴキブリさえも凍える寒さでは記憶もだいぶあやふやですが、ようやく最終回にたどり着きました。

DAY6-2:豪勢な建物において享受するということ(2)

オードブルとしての買い物タイム。

承前。地下鉄に乗って、開削されたドナウ川を眺め、再開発ガスタンクを見上げ、中心部に戻ってトラムでリンクを一回りする(山手線をやってくれていないので、途中で乗り換えないといけない)などしてウィーンの都市インフラを堪能した後は、忍耐力の鍛錬の時間もとい買い物タイムである。とりあえずホテル最寄がケルントナー通りなのでここで調達することにして、途中、腹が空いてきたので、旅行会社が呉れたクーポンを使ってザッハーでお茶をする。観光シーズンなので日中は混み混みだよと言われていたが、お昼時にお茶をする物好きはそんなにいないのか、いい案配に空いていた。多分美味しかったのだと思う。むしろウィーンに関して記憶に残っているのは、観光客のあしらいの上手さで、どこの馬の骨とも知らぬ相手を、いい気持ちにさせたまま、自分の側の行動のコードに引き込んで対応していくコミュニケーション能力の高さであって、能力というと個々人の才覚の有無みたくなってしまうので、むしろコミュニケーション・デザインのノウハウということなのかもしれない。正直なところ、これまでも私にとって日本は到底おもてなしの国とは思われなかったのだが――私のように世間一般の価値観やコードを共有しない人間の自尊心を損なわずに接客してくれるのは、ごく一部のベテランの店員さんだけで、大抵は一方的な押しつけか、過剰なべたべたか、何の気も働かす気がないかな気がするーー、ウィーンの観光客あしらいを経験した後では、ますますそう思う。ただし、ウィーンの観光業におけるコミュニケーション方面に関する私の好印象は、ひょっとすると必ずしも普遍的なものではないのかもしれない。一月ばかり後に職場の同僚がやはりウィーンに行って、やはり同じようなところをうろうろしてきたようなのだが、つんけんされるわ、「この値段にチップは入ってないから別途これだけ寄越せ」ときわめて横柄に要求されるわ、散々だったと怒っていた。その頃は観光シーズンたけなわの上に記録的猛暑だったらしいので店員の気が立っていたのか、あるいは年寄りを連れた上に学生に間違えられるような格好をしていた私が「おばあちゃんを案内する孝行な孫娘」と誤解されてことさらに親切にしてもらっていたのか、某旅行会社の手配力がいろいろ侮れないのか、観光客にはうかがいしれぬ場所柄みたいなものがあるのか、単に運の問題か。とはいえ、自分の経験を一般化して出羽守をやるというのも、無責任な観光客の特権ではある。

美術史博物館で「レーガーとアッツバッハー」ごっこをする。

土産を一通り買ってホテルの部屋に帰還すると午後二時。一番暑い時間帯であるからして、ホテルの部屋でうだっていることはできない。街を歩くのも暑くてかなわない。そんな時のための便利な避難先は勿論美術館である。作品を保護する必要上、人間に耐えられないほど暑かったり寒かったりすることはまずないし、まちなかよりも気楽だし、休息のためのベンチが用意され、大抵は食事をすることも土産物を買うこともできるようになっている。ましてガイドブックが大々的にプッシュするところであれば、観光客的ミーハー心を満足させることもできる。という次第で、美術史博物館に涼みに行く。
実は、美術史博物館に行くにあたってはもう一つ目的があって、それはすなわち「ボルドーネの間」にあるというティントレットの「白ひげの男」の前のソファーの周辺で、「レーガーとアッツバッハー」ごっこをしようというのだ。レーガーとアッツバッハーはいずれもオーストリアの作家トマス・ベルンハルトの『古典絵画の巨匠たち』に登場する人物で、そもそもこの小説は、いつも「白ひげの男」の前のソファーで時を過ごすレーガーにアッツバッハーが呼び出されて、アッツバッハーがこっそりレーガーを眺めながらあれこれ回想したり、あるいは二人が会ってからのレーガーの語りがえんえんと書き綴られていく、という粗筋を読んでも何の役にも立たないので本文を読むしかない作品で、しかも登場人物の美意識が気難しくて、聖地巡礼なぞというミーハー的な営為を寄せ付けない訳だが、とはいえ私だってたまには観光客的ミーハーを全開にしてみたい。

古典絵画の巨匠たち

古典絵画の巨匠たち

ということで、建物の中に入って驚いたのは、ウィーンにおいてはほぼ毎度のことながら、内部の豪勢さ。レーガーさんは強固な美意識をもったお年寄りだし、訳書の表紙になっているくだんの絵は地味だし、美しくはあってももう少し落ち着いた内装に違いないと勝手に思い込んでいた。

ギリシア・ローマ部屋だとか工芸部屋だとかいろいろあるようだけれども、まずは古典絵画、ということで階段を登る。日の字型の建物の両翼がそれぞれ南北ヨーロッパの絵画の展示室になっていて、それぞれの翼では、とにかく巨大な大作が時によっては所狭しとずどがんずどがんと掛けてあるメインの部屋部屋と、その外側の、比較的小品をテーマに沿って展示しているサブの小部屋の並びを行き来しながら鑑賞するようになっている。五枚くらいの絵があって、そのうち四枚は作者が同じだったり同じ題材だったりして、中央の一つだけ、ちょっとずらしてある、とはいえ技法あるいは色あるいは構図などを見ると共通点ありますね、みたいな感じ。大部屋の方は、時代順・画家順になっているのは判るが、それ以上の補助線は私には見つけられなかった。そのかわり、大部屋にはあちこちにソファがある。日本の博物館のような、展示室三つにつき一つ、みたいなケチなことはせず、一部屋に三つとかある。しかも、ちゃんとした居間にあるような、ほどよく詰まって柔らかい、落ち着いた色の、背もたれもある立派なソファーだ。それに、たまに観光客のグループが嵐のように通り過ぎていくほかは、人口密度は限りなく低い。だから絵を見ている振りをしながら快適に昼寝ができる。年金生活者御用達というか、レーガーさんが愛用するのも当然な居心地のよさが確保されている。
うろ覚えの記憶を頼りに書くと、昭和50年代あたりから、生活のゆとりやアメニティという観点から芸術文化の必要性を説く言説が日本では盛んになって、しかし「生活に余裕がある」ということが受け取り手にとっては(下手をすると発信者にとっても)多分経済的な余剰と誤解されていたために、失われた十年、二十年においては芸術文化への支出が贅沢なものとして切り詰められて当然という一部の主張がなされたのではないかと推測する訳なのだけれども、アメニティとしての芸術文化というのは、例えば、美術館の寝心地のいいソファーで半分寝ながら心ゆくまでよい絵を眺める、ということが気軽にできる制度や社会的環境があり、そしてそれは正当な価値あることなのだ、という認識が共有されている、というあり方を言うのではないだろうか。確かにお金があることはその実現のためにあった方がいい条件だろうけれども、人生に対するセンスや規範やデザイン感覚も同等以上に重要なのだろうと思う。ただし、そうだとすると、単に美術館といったハコを作っただけではアメニティとしての芸術文化は形成されないことになる。東京における美術館とウィーンにおける美術館は、その中身だけでなく位置づけにおいても全く別ものだし、それはプラハやベルリンやパリやロンドンと地名を入れ替えても同様だ。美術館だミュージアムだと言葉だけをとらまえて安易な国別比較から何らかな提言をまとめるような輩は(良心的でないコンサルかアカデミズムの基礎ができてない学生か、ということになるが)、何も生まないし、大きな穴の落ちることになるぞ、ということを激しく納得できたのが、ウィーン美術史博物館での最大の発見かもしれない。これを日本の文脈に持ち込むことは土台不可能だが、では日本における美術館はどういう位置づけになるのか、芸術文化との居心地のよい関係は日本において実現できるのか、というのは今後ゆるゆると考えていきたい。
それはさておき、ティントレットの「白ひげの男」の前には今も居心地のよいソファーが据え付けられており、隣の部屋の境目からこっそり観察することができ、周囲の絵は色彩豊かであることが確認できたので、私は満足した。

勿論、他の絵も見る。

アルチンボルドを見られたのはやっぱり嬉しかったし、生ブリューゲルは構成的に結構洒落ていることが判ったし、ルドルフ二世を顕彰する展示をやっていたし、同行者をソファーに置き去りにしてその他にもいろいろ見たけれども、お気に入りは次の二枚の肖像画

筆致はかなりざっくりだし、描かれた若者も何だか何も考えていなさそうな、頭の悪い感じがする(リンク先の画像では、そうでもないかもしれないけれど)のに、気になって、戻ってもう一度見てしまった。物理的には筆で絵の具を塗り付けているだけの筈なのに、どうしてこのように心を乱されるのか。作者は蜥蜴男の肖像(違う)の画家。

何かの競技の審判らしいとのことですが、何か寓意があるのかもしれません。見開かれた目がどことなく不吉な感じです。今は審判やっていますが、そのうち上司が権力闘争に破れると逃げ遅れてとばっちりを食って、首をくくられるか斬首されるかするのではなかろうか。こちらを気に入った理由は明らか。私の好みのどストライクです。作者は宗教改革の時代とて、追放されたりいろいろドラマがあるようですが、詳細は不明。

売店のお兄ちゃんにサービスの押し売りをされる。


絵画ギャラリーをざっと見ただけでも三時間近くかかったのに、カール5世のチュニス攻略を描いた巨大な絵図とか、閉ざされた扉を開けたらやっていた特別展(双子や夫婦や兄弟といった「一組」というのがテーマだった模様。珍しく混んでいたのはギャラリー・トークか何かをやっていたのかも)とか、古代ローマの胸像(というか頭だけ)で埋め尽くされた部屋とか、その他にもいろいろありすぎる。夜間開館日を狙って全館制覇するつもりで行ったのだけれども足が疲れたのであきらめてミュージアムショップへ。品揃えは物量作戦かつ正統派で土産に相応しい気がきいていてヘンテコなものはあまりない。日本語の図録などもあったが重いばかりで私的には微妙にピントを外していたので、好みのものだけ絵葉書を買うことに。「10枚買ったら2枚サービスします」と書いてあるが、どうしても気に入ったのは10枚にしかならない。レジには自他ともにハンサムであることを認めているであろう感じの素直そうな金髪の兄ちゃんが店番をしていて、私が差し出した絵葉書が10枚なのを確認すると「2枚オマケすることになってるんだ」と親切に説明してくれる。「知ってるよ。読んだよ。でも欲しくないの。ノー・サンキューなの」と押し問答して店を出ようとしたら、レジから出て来て、絵葉書2枚取って押し付けてきた。親切は有難いし、この「サリエラ」という銀器がここの目玉展示なのも知っているけど、――疲れ果てて工芸部屋をスルーしたので、私は実物を見ていないのだよ。どうしよう。

2013年7月4日の旅程。
  • 0815/ホテル出発
  • 0830/シュテファンプラッツ駅
  • 0900/アルテドナウ駅着
  • 0930/ドナウインゼル駅着
  • 1020/ガソメーター駅着
    • ガソメーター
  • 1045/ガソメーター駅
  • 1100/ストゥーベントア駅着
    • トラムでリンク一周
    • 買い物とお茶など
  • 1400/ホテル着
  • 1500/美術史博物館
  • 1945/夕食
  • 2045/ホテル着
2013年7月5-6日の旅程。
  • 1030/チェックアウト
  • 1130/ウィーン国際空港着
  • 1330/ウィーン発
  • 0730/成田着

最終日は、ほっと気が抜けた私のカラダさまが腹痛週間に突入してしまい、薬を飲んでもらちがあかず、貴重な朝の自由時間はベッドの上でごろごろするうちに過ぎ去ってしまう。空港まで送ってくれる日本人のガイドさんは、「オーストリアの人が日本人に好意的なのは、第二次大戦を一緒に戦ったから」という、ドイツなら一部当てはまるかもしれないが(それにしてもそろそろ賞味期限切れだろう)オーストリアでそれはどうなのかというネタを披露してくれて、ああ日本が近づいてきたなと(不本意ながら)実感する。
しかし、土地柄というのはどこかで聞いたような小咄では到底とらえきれぬ玄妙さを持つのであって、京成線の車内にかような広告を見出した時、

私は満腔のため息とともに、「いま、帰っただよ」と呟いたのであった。
おしまい。