2013夏プラハ+ウィーン観光名所うすかわ編(9)

coalbiters2013-08-07

DAY2-7:フィギュア都市プラハーー動く人形たち

からくり時計義務鑑賞。

かくして、カレル橋の上で多幸症的な東アジア系観光客の一家に呼び止められて写真を撮ったり、物乞いが何故かほとんどもれなく抱きかかえている、静かで大人しい毛の長い大きな犬たちを眺めたりしながら、旧市街の方に戻って来る。カレル橋から旧市街広場へ向かうあたりは観光名所的メイン・ストリームなので、一帯は観光客の流し素麺というか、回転寿司というか、おちおちふらふらと自分勝手には歩いていられない。人でごった返す旧市街広場に押し込まれたところで時刻はまだ午後の四時過ぎなので、翌日の夜に出掛ける予定でいた人形劇の劇場の場所を確かめに行ったところ、劇場の前で関西弁を話す押しの強いおばさん(+一部おじさん)の集団と行き会い、一緒に戸口に押し込まれて、気づくと当夜のチケットを買っている。再び戻って来た旧市街広場は人に満ち、屋台や周辺のレストランや土産物店も盛況だ。人の少ない空間を求めてあたりを見回すと、旧市街庁舎の建物の中にギャラリーがあって写真展(本日マデ)をやっていることに気づいたので、そこに這入り込む。「(念のために確認するけど)あなたは写真展のチケットを買うのよね」「そうです勿論(他の観光名所と間違えている訳ではありません大丈夫)」といったやり取りを経て、プラハのさまざまな場所のさまざまな光景を切り取った写真たちを見る。一部観光絵葉書的題材や構図もあったものの、大半は観光名所であってもその細部をクローズアップするとか、アングルを工夫するとか、モノクロ調で一部の色だけ強調するとか、あるいは観光客にはあまり目がいかない何気ない都市の建造物をちょっと気が利いた感じに切り取ってあったりして、面白かった。さらに言えば、ここも建物が面白くて、古い建物の壁の一部を剥いでその下の状態(より古い時代の壁とか壁画とか)を見せたりしていて、建築好きには二倍楽しめると思う。市庁舎の続きに、黒壁に絵を描いた建物などあるのだが、その絵も二階から至近で見られたりする。もちろんほぼ貸し切り状態。
さて、覚悟を決めて外に出ると、時刻は午後五時の十分前ほどで、市庁舎の前は黒山の人だかりであった。毎正時に動くからくり時計を見ようとスタンバった観光客の皆さんである。ええー、とかうーとか言う歯車の抗議は黙殺され、まだ熱い日差しの下で待つことしばし、死神の人形が綱を引き、各種聖人?がぞろぞろ現れ、最後に鶏が時を告げてショーは終了。観光客はにこにこしながらいっせいに拍手をする。何なのだこのノリは。後でもれ聞いたところによると、どうやら建物の中からも見ることもできるらしいので、次の機会があれば、是非からくりの裏側をのぞいてみようと思う。

(写真は翌朝、まだ人通りのない時分の時計前の様子)

人形劇「ドン・ジョヴァンニ

ホテルで一休みしてから、国立マリオネット劇場へ。地下の劇場は百人も入れば満員になる小さなもの。チラシ(あまり品がいいとは言えない)で積極的に宣伝しているし、客も見るからに観光客だし、事前に読んだ感想の中にも「観光客向け」と言うのが幾つかあったので、正直なところ、あまり期待はしていなかったがーー誰だ面白くないとか言っているのは、単にあなたに見る目がないだけだろ。と言いたい立派な作品だった。
まず、ライブの公演として素晴らしい。何より、見ていて楽しい。音楽はオペラ公演のCDを使っているので、耳にも快い。反応を求められるので、その場にいてその時間を共有すること、客として参加することを嬉しく感じることもできる(そういう意味では、完全に受け身の立場に身を置こうとする客には、確かに面白さが判らないかもしれない)。客との関わりが、俳優(というか何というか)のコミュニケーション力に依存する偶発的なものではなく、演出に深く組み込まれていることも好ましい。客への反応のうながしと客の反応とを、手を変え品を変え、徐々にレベルを高めて繰り返すことで、バックグラウンドを必ずしも共有しない観客は、人形劇の観客へとおのづから訓練されてゆく。写真で見ると野暮い人形が、一見荒っぽい、滑稽さを強調しているような人形遣いの中で、可愛さや色っぽさその他の魅力を感じさせずにはおかない技術力も高く安定したものだ。全く、何だって、人形ドン・ジョヴァンニの入浴シーン(一体どんなサービスシーン)で、フル・ヌードのドン・ジョヴァンニ人形に色気を感じてドキドキしなければならないのか。それを言うなら、内容上存在する結構きわどいシーンも平然と舞台上で人形同士に演じさせており、カタログの歌では「前世紀のモノクロポルノ写真」みたいな垂れ幕が踊り出したりするし、全くもって子供向きではない。酸いも甘いも噛み分ける大人が鑑賞すべきものである。
さらに言えば人形が演じるだけではない。紙くずが放り投げられ、水がかけられ、しまいには黒子であるはずの人形遣いが舞台上に姿をあらわし、後片付けまでされてしまう。そして、それらもまた、単に人目を驚かすためのこけおどしではなく、作品に対する解釈の必然と密接に結びついている。クライマックスに登場する顔のない黒子は、それまでに人形サイズの世界に目が慣らされている観客には、ほとんど破壊的な巨大さであるーーそして、実際にドン・ジョヴァンニの世界を破壊する。片付けられるうちに魔法のように生気を失ってゆく人形は、作品の中で提示される人間たちのどうしようもない盲目性と限界性と、それと紙一重の魅力とそのはかなさと、まあつまり、滑稽と悲惨のようなものをむき出された物質性において補強する。確かに、人形劇を「舞台で人形によって演じられる劇」として我が身から隔離して鑑賞したい向きにとっては憤ろしいものかもしれない。しかし、作品としても公演としてもさまざまなレベルで丁寧に作り込まれた良作であり、私にとっては様々な示唆を得ることができた、素晴らしい時間だった。ぶらーぼ。

(劇場の入り口でお迎え下さるタイトル・ロール氏)
劇場を出ると午後十時。ようやく日が暮れた頃あいで、空の青がたいそう美しかった。

2013年6月30日の旅程。
  • 0715/ホテル発
    • 共和国広場/カロリヌム/エステート劇場
    • ヴァーツラフ広場
    • 新市街市庁舎/カレル広場/プラハ工科大学/聖キリルと聖メトディウス教会
  • 0930/ヴィシェフラド
  • 1130/カフェ・スラヴィア
  • 1330/ヴルトボヴスカー庭園
    • 聖ミクラーシュ教会
    • ヴァルトシュテイン宮殿
  • 1500/カフカ博物館
    • 旧市街広場/天文時計
  • 2000/人形劇「ドン・ジョヴァンニ
  • 2200/ホテル着