ムジルシ的セカイ。

coalbiters2010-10-16


ワタシの8月と9月はどこのバーミューダ海域に消えたのだ? と嘆いているうちに、10月までもが神か悪魔かどこかの宇宙人に拉し去られそうな気配である。やれやれ。午後3時の影は黄金時代のごとくに秋だというのに。ということでなまりまくった体のメンテナンスがてら、都心をふらふらしてきた。
伊東屋モレスキンの手帳を買って、大学図書館で授業の課題図書

世界を変えるデザイン――ものづくりには夢がある

世界を変えるデザイン――ものづくりには夢がある

を借り、日が暮れた頃たどりついた有楽町の無印良品で見たのが(やはり授業の課題の)「世界を変えるデザイン展」であるあたり、どうしようもなく今日の先進国のしゃらくさい消費者だ。自己嫌悪のあまり布団の中にひきこもりたくなる。それもまた、救い難く今日の先進国の病理なのかもしれないけどさ。
「世界を変えるデザイン展」の第1弾は六本木あたりでそこそこの規模でやっていたようなのだが、第2弾の今回は、無印良品の店舗の一角に、さしたる宣伝もなくこじんまりと。何しろ入口に「こちら」と書いてある訳ではないから、展示を探して店内をくまなく経巡ることになる。「MUJIの視点で見つける中国」とか称して中国の陶器などを展示している横に「歓迎」ナントカと中国人観光客向けの表示がある。シュールだ。そして「世界を変えるデザイン展」では要するに、発展途上国でゴミとか身近な材料から作り、かつ製造の過程で現地の人の生活改善や経済的自立やらも実現する製品を展示しているのだけれども、無印良品の棚の間に並んでいて違和感がないあたり、違和感で頭がくらくらして来る。展示説明に書いてあった値段もちょうど無印的。モノに比べると少し高いが、「こういうの選ぶクールな自分」のために差額を払っちゃう、みたいな。
展示品は10点で、それぞれに、どういう訳で作られて、主に現地の社会にどのようなメリットをもたらしているかのストーリーが付いている。モノとしては「日本をはじめとする先進国でも十分な価値を持ち、ユニークかつデザイン性の高いプロダクトにフォーカス」という趣旨もあってか、靴とかカバンとかが多い。原料としては、廃タイヤ。ちょっと驚いたのはスリランカで作っているという、「ぞうさんペーパー」。象の糞をパルプがわりに使っているらしいワラ半紙みたいな紙。思わず小学生みたいにニオイをかいでしまった(笑)ーー昔、下水道の仕組みや役割について小学生に授業していたことがあったのだが、「下水汚泥の再利用品」(燃料やレンガからペンダントまで)を見せると、彼ら、必ずニオイを嗅ぐんだよね。勿論臭いません。
で、それらの背後には、「世界の大部分は日本のように恵まれていません」ということを如実に示す図がかかっている。各国の平均年収を横軸に、日本より状況がよいか悪いかを縦軸に、各国の人口を円の面積で示し、大半は図の右下に来ますーーというのが大方なのだが、よく見ると全てがそうではない。一番キレイに左上から右下に分布する(つまり、平均年収と比例する)のは医療費だけで、食料(摂取可能なカロリー)や消費エネルギーは先進国かどうかもさることながら、地域による特徴も大きい。識字率は平均年収の多寡に関係なく、東欧や旧ソ連圏の中央アジアなどは高い。情報へのアクセス可能性については、携帯電話の普及率が指標になっていたように思うが、日本より高い国はやはり平均年収に関係なく沢山あって、ヨーロッパだけでなく、中南米であったり、ユーラシアのそこここだったりする訳だ。つまり、「先進国と発展途上国」という図式はまだ有効であるにせよ、その実態はもっとまだらで入り乱れているということ。で、そういった射程を持つ展示のチラシが、「現地の素材や廃棄物を再利用して製造されたプロダクトの機能美とデザイン性は、わたしたちの生活に、新しくて温かみのある心地よさを与えてくれることでしょう」と結ばれるのをしみじみ眺めると、どうも私がこれまであまり想定してこなかった言葉と現実の結びつけ方が世界を覆っているのかもしれないと思えてくるのだった。確かに人文系の象牙の塔では見ないことにしている補助線の引き方=デザインかもしれない。何をやるのか今イチ判らないままに取ってしまった授業で、相変わらず何をやるのか判っていないのだが、何だか面白そうだ。と思いながらその他にもいろいろと買い込んで帰ってきましたとさ。