2013夏プラハ+ウィーン観光名所うすかわ編(8)

coalbiters2013-08-01

DAY2-6:フィギュア都市プラハーー観光名所のアイドルたち

承前。つまり、プラハの魅力であり特徴でもあるものは、都市の表面に今なお見て取ることのできるさまざまな時代、さまざまな様式の痕跡であり、それらの唐突な出会いにあるといっていい。例えば、(まだ全体の2割も読み進んでいないのだが)A.Thomasの「Prague Palimpsest」はプラハという都市、さらにはプラハという都市についてのテキストを、パランプセストーー重ね書きされたものとしてとらえ、時代時代の関心が過去から引き継いだものの何を生かし強調し、何を消し去ろうとしたのかを読み取ろうとする。

Prague Palimpsest: Writing, Memory, and the City (English Edition)

Prague Palimpsest: Writing, Memory, and the City (English Edition)

一方、阿部賢一『複数形のプラハ』は、「コラージュ」というとらえ方を提案し、言語や国家に還元しつくされることのない20世紀はじめのプラハの文化的状況を描き出す。つまり、ミュシャと別の場所ではキュビスムの絵画が描かれ、絵画だけではなくて写真も撮られ、チェコ語で書くユダヤ人の作家が、独立に湧く共和国広場でチェコ語で挨拶してくるドイツ系住民のドイツ語を聞き取る、といった世界だ。カフカもまた、そのような世界においてはone of themであるとも言える。
複数形のプラハ

複数形のプラハ

しかしながら、都市の観光名所的界隈においては、また異なる状況が出現している。ホテルの部屋に置かれていた案内チラシは

の三択であり、観光名所近辺の土産物屋におけるプラハの象徴は、城とか時計台とかのマグネット、ピンの類を除けば、やはり圧倒的にモーツァルトカフカミュシャの三択なのだった。確かにバランスのとれたセレクションであることは認めないわけにはいかない。多分、プラハを訪れる観光客であれば、どれか一つくらいには引っかかるであろう。そして、それぞれがそれぞれなりに、プラハのある時代、ある文化、ある芸術の分野を象徴してもいる。とはいえ、そうであったとしても、また、カフカの生活圏が現在のプラハの観光名所あたりと見事なまでに重なっているとしても、さらには、共産圏だった時代には冷遇されていたのでカフカの名前がひょっとするとアンチ「悪しき時代」の象徴みたく機能しているのかもしれないとしても、広場やらカフェやらあらゆる場所にカフカの名前が冠され、カフカに関する彫像があちこちに置かれ、プラハの街路を踊るように歩くモーツァルトの隣に、やはりいつもの帽子をかぶって散歩しているカフカのポップなイラストが並んでいたりすると、胸うちに呟いてみない訳にはいかないのであるーーカフカの作品は、かくも万人に読まれ、愛される類のものだったっけ? と。

カフカ博物館。

カフカ博物館は、カレル橋からも視認可能なマラー・ストラナ側の川のそばにある。観光名所的ロケーションとしては申し分ない。博物館の前には、何故か小便小僧ーーというには老成しすぎた、二人の全裸放尿青年の彫像があって、念の入ったことに絶えず腰を振っては小便をまき散らしている。ママにおしっここぼしちゃダメよ、とか言われなかったのだろうか。カフカとどのような関係があるのかさっぱり判らないが、観光客は大喜びである。

博物館の内部は黒を基調として、窓もない。空調もないらしく、空気はむっと澱んでいる。これは別に博物館が演出した効果ではなかろうと思う。博物館の展示品は、大半はレプリカながら、カフカの人生と作品を手際よくまとめている。作家の博物館につきものの家系図、恋人との手紙なども備わっている。とはいえ、この博物館の最大の特徴は、演出されたその雰囲気であって、全般的に、三半規管に訴えかけるような感覚的な不安の表現が優勢である。例えば、百年前のプラハの写真は水面に映ったものであるかのようなゆらぎの加工がほどこされている。あるいは赤く照らされた階段や、黒くてらてら光りながら並ぶ郵便ボックスなどは、(全体主義的な?)官僚機構に押しつぶされる実存的精神の悲劇みたいな、高踏的な不快感をもたらす。カフカが中国文学に関心を抱いていたことを紹介する小部屋は、何だかぼんやりした白い光の中のとりとめのない空間だ。タオの精神を象徴しているらしく思われるが、そのような中国表象は、現実の中国の文学のイメージとしてはあまりにもシンプルかつエキゾチックであり、カフカ自身の中国理解ともズレがあるような気がしてならない。というか、そもそも、カフカの作品は曖昧で情に訴えるよりは、表現明晰で頭に来るものだと思うのだが、どうだろうか。
カフカが中国文学(漢詩など)をどのように読んだかを分析した研究としては、下のようなものがある。

カフカの“中国”と同時代言説―黄禍・ユダヤ人・男性同盟

カフカの“中国”と同時代言説―黄禍・ユダヤ人・男性同盟

結論として、カフカ博物館は、生真面目なアプローチといい、演出過多なディスプレイといい、明らかに力入りすぎ、やりすぎであって、部屋を見せたいのか展示を見せたいのか判断のつかないことの多いこの都市においては無駄な異彩を放っていた。カフカを夭折した実存主義の聖人であるごとくに扱う解釈は全く納得いかないが、観光名所のアイドルとするには、そのような解釈がよかろうと博物館の関係者が考えた、ということを知り得たことは一つの収穫だろう。つい半年前まで、勤め人と大学院生という二足の草鞋を履いて、昼は仕事、夜は論文執筆というカフカ的生活を送っていた歯車としてはーー当然、カフカの二重生活を参考に時間割を組み立てた訳だけれどーー、作者としてのカフカではなく、小説を書く生身の人間としてのカフカは、単に「バカ」だと思っているのでーー自分で試してみれば判りますが、あんな生活を何年間も続けたら、どんなに剛健な人間だって死にますし、結核にもなりますな。普通は試してみなくてもその辺のことわりは判るので、それを実地にやってしまうような奴は、やはりどこかバカなのですーー、もうちょっと突き放した、プラハ風のカフカとの関わりが何年後かには出て来ることを期待したい。続く。