ハリー・ポッターの国籍問題(完)

魔法使いは近代国民国家の夢を見るか。

ということで、ハリー・ポッターの国籍問題を検証する。
ハリー少年の国籍問題を論じるとは、つまり、魔法界がハリポタ物語世界において、近代国民国家としての主権を持つや否やを考えることと同義である。
まず、「国民国家」を辞書で引くと「確定した領土」と「国民」が重要な構成要素であることが判る。ところでそもそも魔法界は「確定した領土」を持っているのか。確かにホグワーツの敷地はあるし、魔法省の建物もあるし、鉄道や煙突のネットワークなどの交通システムを備えているようではあるが、それだけでは東京近郊の私鉄会社と大差ない。一方、イギリスだけでなくフランスにも魔法学校はあるようであり、とすると魔法界というのは我々人間の国境をこえてあまねく全球的に広がっているのではないかと夢想したくなるが、フランスの魔法学校の生徒は日常的にはフランス語をしゃべっているらしく、英語はなまるのだ。従って、仮に魔法界が一つの国民国家を形成していたとしても、国語政策としてはちょっと混乱をきたしていると言えるだろう。さらに言えば魔法使いの皆さんが国民主権を享受しているかというのもはなはだ心もとなくて−−数年にわたる物語時間の中で選挙ってありましたっけ。ロックハートが何やらお愛想を振りまいていたのはうっすらと記憶しているが‥‥
といった断片的なエピソードから推測するに、国民国家としての魔法界は存在しないと言ってしまってよいのではなかろうか。大体、ハリポタ世界の悪の官僚組織の役どころである役所はその名もズバリ「魔法省」と言うのであって、魔法が当たり前の魔法界が主権を持つ国民国家として存在するのだったら、自分の役所にそんな名前はつけない、というのも傍証になり得る。
という訳で、外国からテレポートしてイギリスにやって来る魔法使いたちは、ひょっとすると何かの治外法権を持っているのかもしれないが、パスポート自体は現実の国民国家の枠組みに従って発給される筈である。なので、ハリーのパスポートは連合王国のものであり、その国籍も同様である、という結論になる。
それでは−−一応お役所らしき魔法省とは何だろうか。魔法省Department of Magicのボスは魔法大臣Minister of Magicで、作中のどこかでイギリスの首相と喋っていたと思うが、おそらくイギリスの内閣の閣僚である。いや、本当はユナイテッド・キングダムと言った方がいいかもしれないが、あえてイギリスと書く。ここも注意すべきポイントで、ホグワーツスコットランドかどこかの北の方に位置しているように描かれているけれども、確かロンドンにある筈の魔法省が所管している。連合王国内において、魔法使いたちはかつてのウェールズスコットランドといった単位ではなく、まさに近代国民国家の枠組みであるイギリスというくくりで組織されているのだ。魔法使いたちは人間との関わり方によって対立しているが、そこに地域的対立(スコットランドの魔法使いが独立を宣言するとか)がからんでいることはうかがえない*1。これこそ、魔法省を中心としたイギリス魔法界の政治行政のあり方が決して歴史と伝統を誇るものではなく、むしろ成立して日が浅いものであることを明かしているのではなかろうか。おそらくグリンゴッツ銀行の方がずっと由緒正しい筈で、それはそれで理にかなっている。多分−−以下は私の全くの推測だが、19世紀から20世紀初頭にかけてイギリスの政治の中心部と近い関係にあった魔法使いの有閑クラブが、二度にわたる世界大戦という国民動員の動きの中で徐々に変質し、国民動員本部魔法界支部としての魔法省に衣替えしたのではないだろうか。魔法界に根強い純血主義は、強烈な愛国心(イギリスに対する)と魔法使いとしての矜持(とは言え覆いがたく「国民」に同化していく過程への反発)が長い黄昏の時代にあってねじくれ発露したものと見なすこともできるだろう。首相の側からすれば、代替わりして今や世襲議員顔負けの駄目連中であるが、魔法使い問題で首を飛ばせる大臣を魔法使いの中から選んでおくことはリスクヘッジになるし、アリバイにもなる。日本の現政権が少子化とか男女共同参画とかの大臣に、出産育児経験まっただ中の小渕優子議員を選んだようなものだ。
まあ、だから、彼ら魔法使いは帽子をかぶった我々と異ならなくて、それゆえに多くのファンがあの作品に取りついたのだと考えることもできる。それが我々の日常に題材を取っているのなら、そもそも「本当にあったこと」を捏造する必要すらなかったのだから。

*1:多分。イギリス人が読むと方言の違いで判るのだ、とか言われると修正の必要が出て来るが。