2013夏プラハ+ウィーン観光名所うすかわ編(5)

coalbiters2013-07-22

DAY2-3:ヴィシェフラド!さんかく!!!

ヴィシェフラドは三角形をしている訳ではありません。単に、ヴィシェフラドがかっこよかったのです。

ヴィシェフラドが本格的な要塞だった件について。

承前。角にキュビスム建築のある道を登ってゆく。私の母校は結構な坂の上にあったのだが、当時を彷彿とさせるきつさである。観光名所に向かっている筈なのに人影が全くないのはいいとしても、道はつづら折れの気配を見せはじめ、切り立った岩肌が見えはじめ、そこに植物が繁茂してたいそう野趣に富む。ようやくたどり着いた上には、煉瓦造の巨大で無骨な門がこちらを睥睨している――何だこれは、立派な軍事施設ではないか。
門の前の案内板は、一帯の地図はあれども現在地が載っていないというチェコ・クオリティ(失礼)。とりあえず、中に入ってうろうろすれば、観光名所らしきところに行き当たるだろう。

内部は緑したたる静かな公園だった。金髪ポニーテールのすらっとしたお姉さんがジョギングしている。犬の散歩をさせている人もいる。同じく、散歩するお年寄り。道しるべはあるけれども、どうもよく判らない。城壁に囲まれているらしいので、最悪でも一周して元に戻る筈と城壁に上がってみる。

…うわあ。城壁の先にテレビ塔まで綺麗に並んで、まさに百塔の街の面目躍如。コンスタンティノープルみたいだ(違)。というか、まだ城壁らしきものが残っているとは知らなかった。

高速道路の高架が谷あいの建物の上を走る。

城壁の内側の切り立った壁。当方、かっこいいを連発する割には城塞の構造や機能に関しては全く無知なので、城を見慣れた方の記事にリンクを貼っておきます。

中国人らしい観光客の団体とすれ違う。二人連れで歩いている東アジア系は韓国語を喋っている。ジョギングしているお姉さんとは結局三度も遭遇した。しかし日本人らしき人とは全く行き当たらない。みんな、旅行社の効率的な「市内半日観光」に惑わされているのだろうか。

写真左はロマネスク様式の古い教会。右は、順当に地下鉄駅から来る場合にくぐると思われる門を内側から見たところ。

実はヴィシェフラドは眺望も抜群である件について。

引き続き、城壁の上をぐるりと回って、川の方へ向かう。

ごつい城壁の向こうに、対岸の建物が見え始める。

川の上のビューポイントにはさすがに観光客が群れているが、しょせんはこの程度。

川の向こうに目をやれば、はるか遠く正面にプラハ城が望まれる絶好の眺望でありまして、プラハ城でお金を払って芋洗いの刑に処せられる前に、人口過疎にしてかつ無料なヴィシェフラドで思う存分プラハの景色を堪能することを歯車としては大いに推奨したいのでありますが、どうも近場の構造物に関心が向いてしまって、説得力のある雄大な光景は撮れなかった様子。何しろ、黒々とした絶壁に半ば崩れかかった城壁やらアーチやらが幾重にもとぐろを巻いている。ちなみに、手近な斜面には葡萄が植わっていた。レストランの自家製ワインにでも使うのかしらん。

銃眼も健在。ちょっと見えづらいが、木立の向こうはモルダウ川。ヴィシェフラドのあたりは流れが大きく屈曲して、川幅もそう広くないので、ここに軍隊一個置いておけば、守りは万全であったのではないだろうか。

ヴィシェフラドにおいても、教会や墓地は相変わらず装飾過多な件について。

かようにヴィシェフラドはゴリゴリの軍事施設の名残をとどめていることが判明した訳だが、同時にここは、民族発祥の神秘の地であるばかりでなく、スメタナとかドヴォルザークとかミュシャとか、チェコを代表する芸術家の墓もあって、咲き誇るチェコ民族の文化的栄光の香りをも漂わせている訳である。

聖ペテル・聖パヴェル教会の扉。教会の前の床に20世紀初頭の年号があったので、完成したのはそう遠い昔ではないようだけれども、この奔放な色彩センスは何だろう。たとえ赤が色褪せてピンクになったのだとしても。
墓地も同様に、

可憐な墓石がある一方で、色彩も造形もたいそうドラマチックな回廊が巡らされていたりもする。強烈な色彩感覚にむせこんで、有名人のお墓探しからは早々に退散し、下山することにした。続く。