2013夏プラハ+ウィーン観光名所うすかわ編(6)

coalbiters2013-07-23

DAY2-4:フィギュア都市プラハ――都市に棲息する石や金属のいきものたち

さて、人の少なく空気の美味しいところからプラハ城を思うさま遠望する、という本日最初のミッションを無事達成し、歯車たちは山を下る。ただし、地元民らしき人の背中を追っていったら、駐車場から私道とおぼしき道に抜けたので、ひょっとすると正規のルートではなかったかもしれない。

川に面した方のヴィシェフラドの麓にも、キュビスム建築がある。今回、ルートを決めるにあたって参考にしたのは、このカタログ。旅先に携えて行った訳ではないので、うろ覚えの記憶から近場の建物が幾つか脱落してしまったのが残念だ。

チェコのキュビズム建築とデザイン1911-1925 -ホホル、ゴチャール、ヤナーク- (INAX BOOKLET)

チェコのキュビズム建築とデザイン1911-1925 -ホホル、ゴチャール、ヤナーク- (INAX BOOKLET)

時刻は午前11時。どこかで川を渡って、対岸のマラー・ストラナ地区に行きたいが、その前に腹を満たしたい。ということで、川沿いを観光名所の集積する方向に引き返す。

プラハ@洪水後。


(写真は川沿いの水位観測計。水位計は生きているようだが、時計は多分止まっている)
中欧の川沿いの諸都市は6月頭から相次いで洪水に見舞われており、プラハも2002年以来の大洪水という話だったので、一時期は心配しながら動画サイトで当地のニュース映像らしきものを探したりしたのだった。一月近く経ったこの頃には、人々は普通に親水テラスをそぞろ歩いたり、白鳥に餌をやったりして、ニュースの中の増水した川の印象は影も形も無いが、よく見ると洪水の痕跡はそこらに残っている。川へ下る道の石畳は白っぽい目の細かい砂に埋まって見えないし、その真ん中に流木が放置してあったりするし、そもそもあちこちで石畳の石が流されてしまったらしい(写真左)。そして、集められて山なす土砂(写真右)。

洪水のせいかどうかは知らないが、橋も修理中。というか、端から崩れて欄干がないのでは…

そういうちょっとした不具合に目をつむれば、ほどよく装飾された建物の並びを眺めつつ川に沿ってぶらぶら歩きするのは、なかなか楽しいものである。

新市街から対岸をのぞむ。よくよく見ると、日本だと「ファンシーすぎて悪趣味」呼ばわりされかねない色使いだが(うすみどりとピンクだよ)。

新市街側の建物も、負けずにうすみどりとピンク。しかも彫像つき。

おや、珍しく色使いを抑えた気の利いた感じの現代建築ではないか、と思ったら、ダンシング・ビルの側面だった。二人で踊っているというより、モルダウ川から上がって来た烏賊型エイリアンに吸い付かれて失血死しつつあるあわれな犠牲者といった風情ですな。

都市の細部のビオトープ

そして、建物だけではなく、建造物のちょっとした細部もまた無意味なまでに作り込まれ、愛でられているようなのである。プラハの人々――少なくとも、市の建設当局やその他の建築家たち――は、大半の時代を通じて、今に至るまで、都市の表層を飾り、意味を与えることに膨大かつフェティッシュな情熱を傾けているらしい。

奥の建物のベランダの柵と呼応する、川沿いの欄干。

ベンチを支えるドラゴンたち。

旧市街の両替屋のガラス扉から飛び出す魚と水鳥の把手。

それから、これは前回2009年のプラハでの写真だけれども、併せて是非紹介したい、マラー・ストラナ広場あたりの車止め。あろうことか、全員顔が違うのです。「馬鹿だろ」と言って大笑いしながら、作った人を抱きしめたい。

という次第で国民劇場のところまで川沿いを散策して、一休みにケーキでもと国民劇場向かいのカフェ・スラヴィアに入ったら、結構お腹が空いていることに気づいたのでうっかり別腹分まで食べてしまい、ケーキは食いっぱぐれてしまったのだけど、頼んでみたトルコ・コーヒーは美味しかった。いい感じに放置してくれる雰囲気だったので、ここで三時間ぐらいメモつけていてもいいんじゃないかと思ったものの、観光名所巡りをする観光客にそのような贅沢な時間の使い方は許されず、歯車は後ろ髪を引かれる思いで店を出て、対岸へ渡るのであった。続く。