2013夏プラハ+ウィーン観光名所うすかわ編(16)

coalbiters2013-12-18

しばらく間があくうちに、暑さにうだっていたウィーンの夏はどこの別世界かという季節が到来して、ゴキブリさえも凍える寒さでは記憶もだいぶあやふやですが、ようやく最終回にたどり着きました。

DAY6-2:豪勢な建物において享受するということ(2)

オードブルとしての買い物タイム。

承前。地下鉄に乗って、開削されたドナウ川を眺め、再開発ガスタンクを見上げ、中心部に戻ってトラムでリンクを一回りする(山手線をやってくれていないので、途中で乗り換えないといけない)などしてウィーンの都市インフラを堪能した後は、忍耐力の鍛錬の時間もとい買い物タイムである。とりあえずホテル最寄がケルントナー通りなのでここで調達することにして、途中、腹が空いてきたので、旅行会社が呉れたクーポンを使ってザッハーでお茶をする。観光シーズンなので日中は混み混みだよと言われていたが、お昼時にお茶をする物好きはそんなにいないのか、いい案配に空いていた。多分美味しかったのだと思う。むしろウィーンに関して記憶に残っているのは、観光客のあしらいの上手さで、どこの馬の骨とも知らぬ相手を、いい気持ちにさせたまま、自分の側の行動のコードに引き込んで対応していくコミュニケーション能力の高さであって、能力というと個々人の才覚の有無みたくなってしまうので、むしろコミュニケーション・デザインのノウハウということなのかもしれない。正直なところ、これまでも私にとって日本は到底おもてなしの国とは思われなかったのだが――私のように世間一般の価値観やコードを共有しない人間の自尊心を損なわずに接客してくれるのは、ごく一部のベテランの店員さんだけで、大抵は一方的な押しつけか、過剰なべたべたか、何の気も働かす気がないかな気がするーー、ウィーンの観光客あしらいを経験した後では、ますますそう思う。ただし、ウィーンの観光業におけるコミュニケーション方面に関する私の好印象は、ひょっとすると必ずしも普遍的なものではないのかもしれない。一月ばかり後に職場の同僚がやはりウィーンに行って、やはり同じようなところをうろうろしてきたようなのだが、つんけんされるわ、「この値段にチップは入ってないから別途これだけ寄越せ」ときわめて横柄に要求されるわ、散々だったと怒っていた。その頃は観光シーズンたけなわの上に記録的猛暑だったらしいので店員の気が立っていたのか、あるいは年寄りを連れた上に学生に間違えられるような格好をしていた私が「おばあちゃんを案内する孝行な孫娘」と誤解されてことさらに親切にしてもらっていたのか、某旅行会社の手配力がいろいろ侮れないのか、観光客にはうかがいしれぬ場所柄みたいなものがあるのか、単に運の問題か。とはいえ、自分の経験を一般化して出羽守をやるというのも、無責任な観光客の特権ではある。

美術史博物館で「レーガーとアッツバッハー」ごっこをする。

土産を一通り買ってホテルの部屋に帰還すると午後二時。一番暑い時間帯であるからして、ホテルの部屋でうだっていることはできない。街を歩くのも暑くてかなわない。そんな時のための便利な避難先は勿論美術館である。作品を保護する必要上、人間に耐えられないほど暑かったり寒かったりすることはまずないし、まちなかよりも気楽だし、休息のためのベンチが用意され、大抵は食事をすることも土産物を買うこともできるようになっている。ましてガイドブックが大々的にプッシュするところであれば、観光客的ミーハー心を満足させることもできる。という次第で、美術史博物館に涼みに行く。
実は、美術史博物館に行くにあたってはもう一つ目的があって、それはすなわち「ボルドーネの間」にあるというティントレットの「白ひげの男」の前のソファーの周辺で、「レーガーとアッツバッハー」ごっこをしようというのだ。レーガーとアッツバッハーはいずれもオーストリアの作家トマス・ベルンハルトの『古典絵画の巨匠たち』に登場する人物で、そもそもこの小説は、いつも「白ひげの男」の前のソファーで時を過ごすレーガーにアッツバッハーが呼び出されて、アッツバッハーがこっそりレーガーを眺めながらあれこれ回想したり、あるいは二人が会ってからのレーガーの語りがえんえんと書き綴られていく、という粗筋を読んでも何の役にも立たないので本文を読むしかない作品で、しかも登場人物の美意識が気難しくて、聖地巡礼なぞというミーハー的な営為を寄せ付けない訳だが、とはいえ私だってたまには観光客的ミーハーを全開にしてみたい。

古典絵画の巨匠たち

古典絵画の巨匠たち

ということで、建物の中に入って驚いたのは、ウィーンにおいてはほぼ毎度のことながら、内部の豪勢さ。レーガーさんは強固な美意識をもったお年寄りだし、訳書の表紙になっているくだんの絵は地味だし、美しくはあってももう少し落ち着いた内装に違いないと勝手に思い込んでいた。

ギリシア・ローマ部屋だとか工芸部屋だとかいろいろあるようだけれども、まずは古典絵画、ということで階段を登る。日の字型の建物の両翼がそれぞれ南北ヨーロッパの絵画の展示室になっていて、それぞれの翼では、とにかく巨大な大作が時によっては所狭しとずどがんずどがんと掛けてあるメインの部屋部屋と、その外側の、比較的小品をテーマに沿って展示しているサブの小部屋の並びを行き来しながら鑑賞するようになっている。五枚くらいの絵があって、そのうち四枚は作者が同じだったり同じ題材だったりして、中央の一つだけ、ちょっとずらしてある、とはいえ技法あるいは色あるいは構図などを見ると共通点ありますね、みたいな感じ。大部屋の方は、時代順・画家順になっているのは判るが、それ以上の補助線は私には見つけられなかった。そのかわり、大部屋にはあちこちにソファがある。日本の博物館のような、展示室三つにつき一つ、みたいなケチなことはせず、一部屋に三つとかある。しかも、ちゃんとした居間にあるような、ほどよく詰まって柔らかい、落ち着いた色の、背もたれもある立派なソファーだ。それに、たまに観光客のグループが嵐のように通り過ぎていくほかは、人口密度は限りなく低い。だから絵を見ている振りをしながら快適に昼寝ができる。年金生活者御用達というか、レーガーさんが愛用するのも当然な居心地のよさが確保されている。
うろ覚えの記憶を頼りに書くと、昭和50年代あたりから、生活のゆとりやアメニティという観点から芸術文化の必要性を説く言説が日本では盛んになって、しかし「生活に余裕がある」ということが受け取り手にとっては(下手をすると発信者にとっても)多分経済的な余剰と誤解されていたために、失われた十年、二十年においては芸術文化への支出が贅沢なものとして切り詰められて当然という一部の主張がなされたのではないかと推測する訳なのだけれども、アメニティとしての芸術文化というのは、例えば、美術館の寝心地のいいソファーで半分寝ながら心ゆくまでよい絵を眺める、ということが気軽にできる制度や社会的環境があり、そしてそれは正当な価値あることなのだ、という認識が共有されている、というあり方を言うのではないだろうか。確かにお金があることはその実現のためにあった方がいい条件だろうけれども、人生に対するセンスや規範やデザイン感覚も同等以上に重要なのだろうと思う。ただし、そうだとすると、単に美術館といったハコを作っただけではアメニティとしての芸術文化は形成されないことになる。東京における美術館とウィーンにおける美術館は、その中身だけでなく位置づけにおいても全く別ものだし、それはプラハやベルリンやパリやロンドンと地名を入れ替えても同様だ。美術館だミュージアムだと言葉だけをとらまえて安易な国別比較から何らかな提言をまとめるような輩は(良心的でないコンサルかアカデミズムの基礎ができてない学生か、ということになるが)、何も生まないし、大きな穴の落ちることになるぞ、ということを激しく納得できたのが、ウィーン美術史博物館での最大の発見かもしれない。これを日本の文脈に持ち込むことは土台不可能だが、では日本における美術館はどういう位置づけになるのか、芸術文化との居心地のよい関係は日本において実現できるのか、というのは今後ゆるゆると考えていきたい。
それはさておき、ティントレットの「白ひげの男」の前には今も居心地のよいソファーが据え付けられており、隣の部屋の境目からこっそり観察することができ、周囲の絵は色彩豊かであることが確認できたので、私は満足した。

勿論、他の絵も見る。

アルチンボルドを見られたのはやっぱり嬉しかったし、生ブリューゲルは構成的に結構洒落ていることが判ったし、ルドルフ二世を顕彰する展示をやっていたし、同行者をソファーに置き去りにしてその他にもいろいろ見たけれども、お気に入りは次の二枚の肖像画

筆致はかなりざっくりだし、描かれた若者も何だか何も考えていなさそうな、頭の悪い感じがする(リンク先の画像では、そうでもないかもしれないけれど)のに、気になって、戻ってもう一度見てしまった。物理的には筆で絵の具を塗り付けているだけの筈なのに、どうしてこのように心を乱されるのか。作者は蜥蜴男の肖像(違う)の画家。

何かの競技の審判らしいとのことですが、何か寓意があるのかもしれません。見開かれた目がどことなく不吉な感じです。今は審判やっていますが、そのうち上司が権力闘争に破れると逃げ遅れてとばっちりを食って、首をくくられるか斬首されるかするのではなかろうか。こちらを気に入った理由は明らか。私の好みのどストライクです。作者は宗教改革の時代とて、追放されたりいろいろドラマがあるようですが、詳細は不明。

売店のお兄ちゃんにサービスの押し売りをされる。


絵画ギャラリーをざっと見ただけでも三時間近くかかったのに、カール5世のチュニス攻略を描いた巨大な絵図とか、閉ざされた扉を開けたらやっていた特別展(双子や夫婦や兄弟といった「一組」というのがテーマだった模様。珍しく混んでいたのはギャラリー・トークか何かをやっていたのかも)とか、古代ローマの胸像(というか頭だけ)で埋め尽くされた部屋とか、その他にもいろいろありすぎる。夜間開館日を狙って全館制覇するつもりで行ったのだけれども足が疲れたのであきらめてミュージアムショップへ。品揃えは物量作戦かつ正統派で土産に相応しい気がきいていてヘンテコなものはあまりない。日本語の図録などもあったが重いばかりで私的には微妙にピントを外していたので、好みのものだけ絵葉書を買うことに。「10枚買ったら2枚サービスします」と書いてあるが、どうしても気に入ったのは10枚にしかならない。レジには自他ともにハンサムであることを認めているであろう感じの素直そうな金髪の兄ちゃんが店番をしていて、私が差し出した絵葉書が10枚なのを確認すると「2枚オマケすることになってるんだ」と親切に説明してくれる。「知ってるよ。読んだよ。でも欲しくないの。ノー・サンキューなの」と押し問答して店を出ようとしたら、レジから出て来て、絵葉書2枚取って押し付けてきた。親切は有難いし、この「サリエラ」という銀器がここの目玉展示なのも知っているけど、――疲れ果てて工芸部屋をスルーしたので、私は実物を見ていないのだよ。どうしよう。

2013年7月4日の旅程。
  • 0815/ホテル出発
  • 0830/シュテファンプラッツ駅
  • 0900/アルテドナウ駅着
  • 0930/ドナウインゼル駅着
  • 1020/ガソメーター駅着
    • ガソメーター
  • 1045/ガソメーター駅
  • 1100/ストゥーベントア駅着
    • トラムでリンク一周
    • 買い物とお茶など
  • 1400/ホテル着
  • 1500/美術史博物館
  • 1945/夕食
  • 2045/ホテル着
2013年7月5-6日の旅程。
  • 1030/チェックアウト
  • 1130/ウィーン国際空港着
  • 1330/ウィーン発
  • 0730/成田着

最終日は、ほっと気が抜けた私のカラダさまが腹痛週間に突入してしまい、薬を飲んでもらちがあかず、貴重な朝の自由時間はベッドの上でごろごろするうちに過ぎ去ってしまう。空港まで送ってくれる日本人のガイドさんは、「オーストリアの人が日本人に好意的なのは、第二次大戦を一緒に戦ったから」という、ドイツなら一部当てはまるかもしれないが(それにしてもそろそろ賞味期限切れだろう)オーストリアでそれはどうなのかというネタを披露してくれて、ああ日本が近づいてきたなと(不本意ながら)実感する。
しかし、土地柄というのはどこかで聞いたような小咄では到底とらえきれぬ玄妙さを持つのであって、京成線の車内にかような広告を見出した時、

私は満腔のため息とともに、「いま、帰っただよ」と呟いたのであった。
おしまい。

第17回文学フリマに出店します。

11月4日、東京流通センターで開催される第17回文学フリマに出店します。スペースはA-31、サークル名はCoal Biters、新刊は「虫とかかわる」シリーズ(になる予定)の第1作「予告」です。念のために注意を喚起しておきますと、本作は全編、例の口にすることをはばかられる四文字単語だらけです。というか、台所の流しの裏とかにいたりする、例の四文字名前の虫をめぐって話が進んでいくのです。くだんの四文字を見ただけで泡を吹くとか蕁麻疹が出るとかいう方には残念ながらおすすめできませんが、その他虫の出ないサンプル掌編なども用意しておりますので、お暇な方は是非お立ち寄りください。
(絶賛校正中のため、告知のみにて失礼)

2013夏プラハ+ウィーン観光名所うすかわ編(15)

coalbiters2013-10-06

DAY6-1:インフラ的ウィーン探訪

ドナウ川へ行く。

ドナウ川へ行く」は同行者のリクエストで、当初はウィーンから鉄道を使ってブダペストまで遠出して、そこで堪能するつもりだったのだが、旅行計画の企画も佳境に入った6月頭に洪水のニュースがあったので、結局取り止めになってしまったのだった。しかし、「ドナウ川へ行く」というミッションが消えてなくなる訳ではない。という次第でウィーンのドナウ川へ行くことになった。
とは言え、地図を見ると市の中心部からはやや離れているし、蛇行の果てに近代技術であっさり河川改修されてしまったような案配で、太い川と細い川がまっすぐ平行に流れているし(東京の東側在住の人間なら、「あ、荒川放水路!」と言うと思う)、おそらくはそういう次第であまり観光名所ではないようなので、都会志向の観光ガイドブックの扱いはすこぶる冷たい。とりあえず、地下鉄の駅に「Donauinsel」とか「Alte Donau」とかあるので、そこに行けば近くに川があるだろう、という適当さで地下鉄に乗る。

ドナウインゼル駅のホームより。川の真上にある。都営新宿線東大島駅みたいな感じ。線路に平行して歩行者と自転車用の通路があり、自転車の人が結構な速度で横を疾走してゆく。
再び地下鉄に乗って(地下鉄と行っても、この辺では高架を走っている訳だが)、セキュリティの厳しそうな国連都市を足元に見つつ、アルテドナウ駅へ。

ここも駅から水面が見えるが、これは駅から5分くらい歩いたあたり。反対側は交通量の多い幹線道路なのだけど、ここだけ切り取れば、郊外田園の風情。ただし、旧と名のつくだけあって、盲腸川どころか今や実態は巨大水たまりであるらしい。なお、ウィーン近郊のドナウ川の改修史については、ここが参考になる。

ドナウインゼル駅で下車して、中洲島を散策。散歩道やサイクリングロードが整備され、川べりは存外ワイルドな感じの緑が快く、鳥も多く、走りに来る人や遠足に来る幼稚園児の他は人も多からず、いい環境だった。中心部の観光に飽きたら、お弁当を持って息抜きに来るのがよいと思う。

おまけ。ドナウインゼル駅の壁に描かれていた絵。落書きだと思うけれども、クオリティが高いのでちょっと判断に苦しむ。

再開発ガスタンクへ行く。

中心部のシュテファンプラッツ駅まで戻り、路線を乗り換える。駅の壁には広告や映像ニュースが流れていて、列車を待っている間はしきりとエジプトのことをやっていて、しばらくニュースから離れた生活をしていたので、一体何だろうと思っていた。ともあれ、目的地はガソメーター駅だ。
ガソメーターとはーー

ウィーンのシンメリンクは、かつて首都の重要な工業地帯でした。そのシンボルとも言うべき4基のガソメーター(旧ガスタンク)が、建築家4チームの設計で、モダンな都市センターへと生まれ変わっています。
1899年の建造当時ヨーロッパ最大規模のガスタンクだった歴史的建築は、1999年から2001年にかけて抜本的に修復されました。
ジャン・ヌーヴェル、コープ・ヒンメルブラウ、マンフレート・ヴェードルン、ウィルヘルム・ホルツバウアーなどの建築家がそれぞれ1基のガソメーターを担当、4基のガソメーターは、産業革命後の都市発展を象徴する歴史的な外観を保存しながら、ウィーンの新たな都市センターへと増改築されたのです。(以下略)

つまり、再開発ガスタンクである。機能停止した百年前のガスタンクを改修して、集合住宅兼ショッピングセンター+αにしてしまったのだ。これは萌える。
勿論、このガスタンクは「高さ75メートルで、プラーターの大観覧車が完全に中へ納ま」る巨大さなので、遠望するのは結構たやすい。プラハからの鉄道の中からも見えたし、空港に向かう高速道路からも見えた。しかし、ガスタンクの足元で上を見上げて「ほえー」と感嘆するためにかかる移動時間は、たった10分かそこらなのだ。行かないと損である。

駅を出たところに、いきなり遠慮会釈もなくそびえ立つガスタンク。でかっ。

こんな感じに縦に4基並んだガスタンクに、現代建築がくっついている。左上のE棟は外壁のカラフルなシネコン。周辺には駐車場があったりして、建物はこんなにインパクト大なのに、雰囲気はふつうの(高級というよりは庶民的な)大型モールという感じで、違和感が半端ない。


メーターがそのまま残されていたり、作業用出入口っぽいのがあったり。

こういうアングルから撮ると、昔日の工業地帯の表情がしのばれます。ガスタンクなのに、上に銃眼っぽい装飾をしてしまうあたり、城塞建築のイメージを踏襲しているのか。

ちなみに、現在の周辺はこんな感じ。ガソメーターと同時期とおぼしき煉瓦造の建物と、20世紀後半的な煙突が共存した工業地帯。

ガスタンクの横には、対抗しているのか、こんな奇抜な建物群が。斜めに建てるのが流行っているのか?

入口を見つけて、いよいよガスタンクの中に。下層に店舗や音楽学校等公共的な施設が入り、タンクをとっぱらった上層が吹き抜けをぐるりと囲んで集合住宅になっているのはどれも同じだが、デザインはそれぞれ異なっている。

これはD棟。吹き抜けに木が生えている?

次はC棟。吹き抜けの下のガラス蓋はドーナツ型。

B棟の下の蓋もドーナツ型だが、これはドーナツの真ん中の穴から上を見上げたところ。

最後にA棟。ここは地下で地下鉄駅と接続している。ということで、そのままエスカレーターで下りて、ツアーはお終い。なお、上層の集合住宅のつくりは、ここで紹介されている。学生時代だったら秘密基地っぽくて楽しいのではないかと思う。

その他のアングラ建造物。

インフラ遺構ではないにせよ、実用本位の建造物の遺構は中心部にも幾つかあったりする。

シュトゥーベントア駅前の昔の城壁の名残り。

ガラスに反射して見づらいが、シュテファンプラッツ駅構内にも大聖堂の地下遺構を展示している場所があったり。じっくり解説を読んでいたかったが、土産物購入ミッションが控えているため、涙をのんで離脱。以下次号。

2013夏プラハ+ウィーン観光名所うすかわ編(14)

諸事情により間が空いてしまいましたが、復活しました。あと数回、お付き合いください。

DAY5-3:豪勢な建物において享受するということ(1)

ウィーンと言えば音楽の都だが、音楽の季節は6月末で終わってしまい、7月は音楽的には夏休みなのだった。「…ということなので、オペラを楽しんだりはできないけど」「いいわよ、音楽にはあまり興味ないもの」ということで、当初は音楽関係は全く予定に組み込んでいなかったのだが、旅の計画の常として、「でも楽友協会ホール行ってみたい」「ニューイヤーコンサートやるホールを是非見たいわ。内部を見学できるツアーに参加したい」「むしろ、夜そこでコンサートを!」「…観光客向けだよ?」「いいのよ、音楽にはあまり興味ないもの」そうですか、という訳で、気がついたら楽友協会ホールの黄金の間で観光客向けコンサートを聴くことに。折角なら一等席を奮発しよう、ということで事前にネットでチケットを予約していきましたが、別に予約しなくても、街中で普通に買えますな。何しろ、夜の歌舞伎町の客引きかという人口密度で、やる気のないコスプレした各種観光客向けコンサートのチケット売りが中心部をうろうろしている。日本語喋っていると見れば日本語で話しかけ、脈がないと見るや、次の観光客に韓国語で話しかけるなど、手慣れたものだ。

楽友協会ホールで演奏会を観光する。

いったんホテルに戻って一休みした後、18時過ぎに出発。疲れてしまったので街歩きはせず、カール教会前の広場でぼけっと時を過ごす。目の前の教会は堂々として美しいし、広場は程よい広さで、十分な樹々とベンチがあり、ベンチには人々が鈴なりになって(しかし席が不足する程ではなく)、それぞれに夕涼みしていて、たいへんよい時間だった。この時間帯になると吹く風も涼しく、成程これでは冷房のない夏の室内がいかに劣悪であろうとも、冷房の普及は遅々たるものにならざるを得まい、と思わせられる。
やがて開場時間になったので、楽友協会ホール(道路を渡った向かいである)に移動。予約券をチケットと引き換える。かなりの大混雑である。そして、噂には聞いていたが、内装がすごい。

30分ほど入り口のところにすし詰めになって豪勢な建物を堪能させられた後で観光客は演奏開場に導き入れられる。ここも見事にきんきらきんである。そして、自分の席を確保するや、略奪に励む蛮族の勢いで写真を撮りまくるお客の皆さん。いや、私もちょっとは撮りましたけども。

タブレットでぱちり、のおばさま。

他人とアングルが被っても気にしない。
何と言う躁状態。「私たちは!あの有名な!楽友協会ホールの中にいる同志なのよ!」とでも言わんばかりの多幸感。こういうのを観光地ユートピアとでも名付けるべきだろうか。いろんな人がいるが、欧米系とアジア系が大半だ。前者は夫婦で来ている人が多く、服装はラフなものから結構気合いの入ったものまで様々だが(旅の目的か街中で客引きに引っかかったかの差だろう)、ともかく夫婦でレベル感は揃っている。対するに、アジア系で一番目立つのは、多分中国人の団体客で、こちらは団体だから複数の家族なのだが、男女で服装のレベルが雲泥の差で面白い。母親と(多分ピアノかバイオリンかバレエを習っていそうな)娘はばっちりドレスアップしているのに、父親と思しき人はそこらのTシャツだったりする。何だこの既視感。バブルの頃までの日本の団体旅行みたいな。「レストランとか演奏会は正装すべきなのよ!」「そうカリカリすんな。俺達客なんだから問題ないだろ」とか。多分。そうこうしているうちにホールは聴衆でいっぱいになる。これはちょっとびっくりした。実はプラハの最後の夜にも、チェココルナを消費するためにちょっとこじゃれたところで食事でもするかと街に出たところ、コンサートの客引きに引っかかって、市民会館のスメタナ・ホールという、これも建物は豪華で音響も最高なところで演奏を聴くことになったのだが、可哀想なほどの客の入りで(50人もいなかったのではないかと思う)、観光客向けコンサートというのはそういうものかと思っていたのだった。単にプラハの観光業者はゆるくて、ウィーンの同業者は観光業に対するプロ意識が違う、ということなのか。
コンサートは、モーツァルトの時代のコスプレをしてモーツァルトの有名な曲を演奏するという趣向で(しかし、最後は何故かラデツキー行進曲)、オペラの抜粋では、男女二人とは言え、歌手が多少の演技を交えて歌う。演奏そのものは、下手ではないけれども、魂が震えるといったほどでもない。何というか、つい最近まで20年ほど、冷戦後もしつこくレニングラードの名を冠してほぼ毎冬来日公演していたバレエ団がありましたが、そこの(プリンシパルではなくて)ソリストがガラ公演で主役を張っている感じ、というのが私にできる最も正確な説明である。上手いけれども声量に乏しいとか、声量は十分で態度も堂々としているが、表現は極めて大味で、いい奴だけど残念ながら伸びしろはあまりなさそうだとか、頑張っているけれどもどこか音がぼやけてしまうとか。といった演奏技術上の弱点をキャラを立てることで補って、エンターテインメントとしては、何だかものすごく楽しい経験であったぞ、と思わせるところとか。
ということで、意味不明に楽しい時間ではあった。指揮者兼オーボエ奏者のおじさんが特に芸達者で、とんがったりいい加減だったりする若手とひねくれたベテランの組織を率いて孤軍奮闘する苦労人のリーダーみたいな風情があり、そう思うと、森脇真末味描くところのロックバンド漫画がおのずと連想されてきたりするのである。
『緑茶夢』

緑茶夢(グリーンティードリーム)―スラン (小学館文庫)

緑茶夢(グリーンティードリーム)―スラン (小学館文庫)

とか、
『おんなのこ物語』とか。才能はあるけどやさぐれている若者とか、今の仕事は単なる腰掛けで成功を夢見ている女の子が友情に目覚めるとか、観光客相手のコンサートなんか芸術じゃないと怒る青年演奏家と、これはこれまで芸術に縁が無かった人々に芸術を届ける活動なのさと実はひそかな理想に燃えるリーダーと、一層ビジネスライクに、効率的に金儲けをしようとする出資者の青年実業家の三つ巴の愛憎劇とか、一回30ページ12話完結くらいで、読んでみたいではないか。客席の人間模様も忘れてはいけなくて、私の席の近くにいたおじいさんは、先入観で想像するに、ちょっとしたスーパーマーケットのチェーンを築き上げて引退した田舎の名士みたいな感じで、曲の間は全身を耳にして聴き、曲が終わるたびに大喜びして全身で喝采するのだが、同伴の若い女性(娘? 若い妻? 愛人?)はといえば、たえずつまらなそうに室内を眺め回し、演奏中でも傍若無人にシャッターを切っていたりするのだった。外伝も入れて全15話、書き下ろしつきで単行本3巻。いかがでしょう。
コンサートの終了は22時。さすがに暗く、涼しい。建物からぞろぞろ溢れ出る人の群れにまぎれ、夜道の危険など全くなさそうなまったりとした大通りを歩いてホテルに帰る。続く。

2013年7月3日の旅程。
  • 0730/ホテル出発
    • カールスプラッツ駅/カール教会/ウィーン工科大学
  • 0750/カールスプラッツ駅
  • 0810/シェーンブルン駅着
  • 0815/シェーンブルン宮殿
    • 宮殿/ネプチューンの噴水/グロリエッテ/日本庭園/温室/昼食
  • 1230/シェーンブルン駅着
  • 1250/ショッテンリンク駅着
    • ドナウ運河/カイザーバード水門監視所/ルプレヒト教会/郵便貯金
  • 1350/シュトゥーベントア駅着
  • 1355/ヘレンガッセ駅着
  • 1400/王宮着
    • シシィ博物館/皇帝の居室
  • 1530/デパ地下で買い物
  • 1545/ホテル着
  • 1800/ホテル出発
  • 1915/楽友協会ホール着
    • コンサート(2015-2200)
  • 2215/ホテル着

2013夏プラハ+ウィーン観光名所うすかわ編(13)

coalbiters2013-08-26

DA5-2:熱中症的ウィーンへの帰還

リンク歩き後半戦。

まだ午後も早いので、昨日挫折したリンク歩きの続きをやりつつ王宮に行くことに。ドナウ運河を上にした地図で左上、ショッテンリンク駅で下車して地上に上がる。早くも暑い。運河の横には例によって立派な街路樹が植わりトラムが走る大通りがあるのだが、道路と堤防に遮られて運河の岸に下りることも、川面を眺めることもままならない、ように見える。ガイドブックには夏場はビーチになると書いてあった筈なのだが。かくして、水の上を渡ってくる涼しい風に吹かれての優雅な散歩、という目論見はもろくも崩れ去る。よって、ウィーン最古の教会、の後ろ姿(蔦にまみれていい感じ)が見えても正面に回る気力はなく、路地巡りをする余力はさらになく、区切りのいいところを目指して時計回りにひたすら歩く。とはいえ、それでは張り合いがないので、とりあえずオットー・ヴァーグナーの建築を一つの目標としてみた。

これは朝方利用したカールスプラッツ駅の駅舎。居並ぶ向日葵がチャームポイント。

ショッテンリンク駅近くのドナウ運河にあるカイザーバード水門監視所。中景にある、一部を青く塗られた四角い建物。よく見ると青と白の境目あたりには白線で波模様が描かれている。

リンク沿いにある郵便貯金局の建物。写真では判りづらいが、石板に五月蝿いくらい鋲が打ってあり、それがシンプルでありつつインパクトのある装飾ともなっている。

中に入ると、今なおフランツ・ヨーゼフ帝が睥睨していた(写真左)。反対側の壁の石には、大戦中に死んだ職員(多分)の名前が刻まれている。

現役の建物なので冷房を期待したものの、ガラス天井の温室効果で中は暖かかった。ガラスなのは天井だけでなく、床もそう。柱はアルミニウム製だそうで、とても百年前の建物とは思えないデザインである。立派なカメラ構えた建築系らしき男性がにこにこしながら激写しまくっていた。奥の方にオットー・ヴァーグナーの博物館があったが、同行の母の視線を受けて断念。ガラス天井の下では楽友協会などを設計したテオフィル・ハンセンの展示をやっていた。今年が生誕二百周年であるらしい。

王宮で世界遺産について考察する。

市立公園までたどり着いたところで、またしても暑さでギブアップし、地下鉄で王宮方面に向かって移動する。地上に出てみれば、相変わらず強烈な日射しの下に人はいっぱいだし、建物はごちゃごちゃしていて、入り口っぽいところでは「ここは入り口じゃない」と追い払われ、とりあえず入れてくれる入り口から入ったところがシシィ博物館だった。ゆかりの品を展示するだけでなく、部屋を仕切って暗くして雰囲気を出したり、鉄道の客室を再現してあったり、壁にシシィの言葉が書かれていたり、彼女を主人公にした映画等の紹介をしたり、と、古めかしい建物には似つかわしくなく、今風の展示を心がけている。確かに、ウィーンへの観光客のうちの一定割合はこの女性に関心があると思われるので、王宮という観光地に、さらに輪をかけた観光施設としてこのような博物館を作ることに一定の合理性があるには違いないのだが(棒読み)、それでは、現代のオーストリア人にとってこの女性はどのような存在なのだろうかと考え始めると、どうもさっぱりよく判らない。何だか別の世界のことのように淡々と、客の関心のみを汲んだ展示である。ただし、それを言うなら王宮自体がそのように扱われているような気がしなくもない。「ハプスブルクの王宮」はどんとそこにあるけれども、それが現在のオーストリアという国家、あるいはそこに暮らす人々とどのような関わりがあるか、ということは展示する側も観光する側も、あえて気にしていないような印象を受ける。多分、と言うまでもなく、ハプスブルク帝国の遺産は、現在のオーストリアが、単に自分の土地にあるからという理由だけで占有するにはいろいろと大きすぎるのだろう。だからこそ、世界遺産指定されることに意義があるのかもしれない。正直、奈良京都が世界遺産であるとか、富士山が世界遺産になるとかいうことには、さっぱり実際的意義を見出せない私だが(自他共に日本の伝統、として認めているのだから、世界の遺産にしなくても、日本国が自分で努力して守っていけばいい)、「自国のお国自慢に使いたいが、おおっぴらにやると、いろいろ近隣に角も立つし、何より今時ダサ過ぎる」過去の帝国の遺産を、「世界遺産」と称して万人に開かれた体裁を取って、堂々と自国の観光収入稼ぎの道具にする、というのは、なかなかに賢い錬金術だと思う。今日日は、クレバーでクールなら全ては許されるのだ。
シシィ博物館の続きはフランツ・ヨーゼフの居室で、空気が澱んで暑苦しいので、お勤めご苦労様です、と内心で呟きながらさっさと通り過ぎる(また、そういう感じの部屋なのだ)。ただし、その後の階下へ下りる石の階段は寒いくらいに涼しかったところから逆算すると、あれはむしろ冬の保温性を評価すべきなのかもしれない。続く。

2013夏プラハ+ウィーン観光名所うすかわ編(12)

coalbiters2013-08-21

DAY5-1:熱中症的ウィーンからの逃亡

シェーンブルンは丘の上まで登るべきこと。

冷房のないホテルの部屋にも、さすがに扇風機は備え付けられていたので、一晩中首振りさせていたところ、朝目が覚めたらあっさり事切れていた。連続運転しすぎてへたばったらしい。やわなものである。
さて、今日はまずシェーンブルン観光である。朝8時15分にチケット売り場が開くので、それまでに到着しなければならぬ。ということで、午前7時半のウィーンの外気はひんやりとして上着も欲しい感じ、街中は掃除と給水の時間帯で、歩道を動くのはゴミ掃除の人とスプリンクラーと、地下鉄駅から吐き出される勤め人の皆さんくらい。前日の第一印象は(主に暑さのせいで)最悪だったが、落ち着いた朝の風情で、この街のイメージはかなり改善された。

(カールスプラッツ駅前で絶賛仕事中のスプリンクラーたち)
48時間券を買ってホームへ。ウィーンの地下鉄では次の列車が到着するまでの時間(「あと何分」)を掲示していて、ストレスが無くていい感じだった。どうせ数分待てば次が来るのだから、東京の鉄道もラッシュ時に「3分遅れております。大変申し訳ございません」なんてうざいアナウンスをせず、表示方法を変えればいいのに。シェーンブルン方面の列車は、ラッシュとは反対らしく、しかし観光客であろう人々でかなり込んでいて、車内検札があり、案の定何人かの若者がとっつかまっていた。ラッシュの車中でやる訳にはいかないだろうし、やっても大して成果は無いだろうから、当局にとってはきわめて合理的かつ効果的な対応と言えよう。
シェーンブルン駅から宮殿の入り口までは、大きな道路に沿って数分歩くのだが、そこに早くも何台ものバスが横付けされている。大半は中国人のツアーだが、日本人のツアーもあり、欧米の人々のツアーもある。すなわち、シェーンブルン宮殿は団体旅行のメッカである。チケット売り場のおばさんやお姉さんのよどみない対応によって、個人旅行者もまた続々と入場者に変換されてゆく。

想像を絶するほど巨大ではないが、宮殿の名に恥じぬ程度には十分大きいので、母は大いに満足したようだ。8時半の開場とともに、団体客にまぎれて入場。宮殿に辿り着くまでが仕事と心得て、宮殿の部屋部屋に関するガイドブックの説明は読み飛ばしてきたので、中に入っても有り難みがよく判らない(おかげで一部の部屋は見そびれたような気がする)。どれも似たような豪華ではあるがもさっとした部屋で、観光客で混み合い、開いている窓は少なく、従って室内の印象は閉鎖的で空気は何となくよどんでいる。とりあえず、マリア・テレジアさんの頑固というかブレないシノワズリ趣味だけは印象に留めたあたりで、出口。まだ1時間くらいしか経っていない。
折角なので庭園をゆっくり散策することにする。日射しが強くなってきたので、木立の間を歩くのだが、木々が大きすぎて何も見えない。仕方ないので宮殿前の広小路みたいなところに戻って、宮殿の反対側にある噴水まで行く。時間が早いので、噴水はまだ始まっていない。さらに足を伸ばすことにして、噴水の後ろの丘を頂上のグロリエッテ目指して登ることにする。結構急かつ長大な坂道だが、ジグザグに折れるたびに森の蔭に入るしベンチも所々にしつらえてあるので、熱中症でくたばる気づかいはない。ジョギングで登る猛者に幾度も追い越されても、気にしない。何しろ見下ろす景色がすばらしいのだ。

家族のデジカメを借りて行ったら消し忘れた時刻表示が邪魔だが、それ以外はさえぎられることなくウィーンの市街が一望できる。右の方にそびえる尖塔はシュテファン大聖堂という認識でよいのだろうか。こうして見ると、ウィーンの旧市街は一応何となく丘の上にあるということがよく判る。王宮の中心軸に沿って続く緑も見えるけれど、これが何なのかは判らなかった。

てっぺんのグロリエッテ。何だか意図のよく判らない書き割りのような建物。空はここでも綺麗である。
丘を下り、噴き出し始めた噴水を眺め、木立の下をぶらぶら歩く。風は信じがたく涼しく気持ちよいのだが、全体のスケールは騎乗とか馬車の人向けで、徒歩の人向けではないように思う。すれ違う人が英語だかドイツ語だかで「ジャパニーズ・ガーデン」と言ってゆくので何だろうと思っていたら本当に日本庭園が現れる。1913年シェーンブルクの庭師作とのこと。丁度百年前だ。

そのすぐ先には巨大な温室があって修繕中。いつまでにどれだけの費用がかかる。よって寄附をお願い、と大きな看板が言っていた。

温室と言えども両翼があってたいそう威厳がある。機能的な一方で細部は蔓のようにカールしていたりして、心憎い感じである。

再び宮殿に戻って来て、テラスから庭園を望んだところ。足元では昼近いぎらつく太陽の下、高校生くらいの少年少女たちが先生の指揮にあわせてモーツァルトなどをぶんちゃかブラスバンドで演奏していた。シェーンブルンの庭園で演奏することが本邦の甲子園みたいな位置づけにあるものかは判らないが、どこの国にもスポ根というものはあるのだなあと思ったものである。彼ら、熱中症にならなければいいけど。
ということで、お昼を食べ、売店をひやかし、ますます増えゆくバスの列の脇を通って地下鉄駅へ。暑いさかりのウィーンに帰るのだ。続く。

2013夏プラハ+ウィーン観光名所うすかわ編(11)

coalbiters2013-08-16

DAY4:熱中症的ウィーン

プラハ本駅→ウィーン・マイドリンク。

かくして、プラハの滞在期間は終わり、ウィーンへの移動日となる。いろいろと観光名所を満喫したけれども、そちらを優先しすぎてカフェで休憩とスーパーで買い物が思うに任せなかったのは心残りであった。宿が市民会館近くだったのに、市民会館のカフェには行きそびれたし(カフェの入り口に立ったところで、コンサートチケット売りにつかまって、「スメタナ・ホールでのコンサート鑑賞!」という観光名所的事象を優先してしまったのである)、プラハ本駅にあるというアール・ヌーボーなカフェにも辿りつけなかったし。スーパーでの買い物の方は、列車の中の昼食を買うので駅ナカにあるスーパーにかろうじて入ることができたが、そこで売っている水の値段は旧市街広場の屋台で売られていた水の1/3だった。ぼられているとは思っていたが、かなり価格差激しいなあ… このあたりは次への宿題としたい。
思えば、ウィーンへの列車の中からしてすでに暑かったのだ。空調は入っていないし(ひょっとしてあれ空調のつまみかも、と気づいたのはウィーン直前)、窓を開けても構造上あまり風が入らない。「ボヘミアの麦畑が見たかったのよ」とのたまいつつ爆睡する母の脇で、こちらは暑さに寝ることもできず茹だっていた。プラハの初日は、フジロック遭難用のヤッケを羽織るくらい寒かったのである。急激な気温の上昇は、変温動物である歯車のよく耐え得るところではない。
それでも、列車の中は、工事現場のただ中に無愛想に伸びるウィーン・マイドリンクのホームの、昼下がりの灼けた熱気に比べればまだましだった。暑さに呆然とするうちに現地係員にピックアップされて冷房の効いた車内に押し込まれ、それほど涼む間もなく、ホテルのロビーへ。チェックインの書類を書いたり係員の説明を聞いたりしながら、とにかく必死で涼を取る。
というのは、ホテルの部屋には冷房がないのである。勿論、ウィーンの夏は暑いらしい、ということは知識では承知していたが、旅行を申し込んだのは黄金週間のあたりで、初夏に盛夏の暑さを十全に想像することは不可能である。どうせ観光名所ばかり回るなら、観光に便利なロケーション、ついでにホテルも歴史があって雰囲気がある方がいいだろ、というので、冷房の無いのには目をつむってえいやっと選んでしまったのだ。
…暑い。
エレベーターのレトロな手動ドアとか、フロントの接客プロぶりとか、改装したばかりだというのに何故か栓が壊れているバスタブとか、旅行社が手配した筈なのに「MR & MRS」で予約されている不思議とか、その他の全てを吹き飛ばして部屋は暑い。窓は開いても、こもった熱気が逃げていかない。一番涼しいのはタイル貼りのバスルームで、私が猫か一人旅だったら気兼ねなくあそこで寝たのだけれども、親とはいえ同行者がいる状況で、あまり人間であることを放棄する訳にもいかないし。

オーストリアにカンガルーはいません」?

観光に、と言いつつ実は避暑を目的に、午後三時のウィーンの街に這い出す。まずは何はともあれ水を買う。ただし、ウィーン水道局が無料水飲み場を各所に設置し「水を飲め!」と命じているので、観光名所周辺ではお金がなくても水を飲みっぱぐれることはなさそうである。熱中症対策なのかしらん。

(写真はウィーン工科大学近くの水飲み場
シュテファン大聖堂は予想通り涼しいが、カタコンベツアーなどに行く気力はすでに無い。ベンチに座って天井を眺め、体力をやや回復したところでリンク内側の土地勘を得るためにケルントナー通りに戻る。暑い。そして人がいっぱいである。よろよろしながらグラーベンを歩き、あれが王宮かとか言っているうちはよかったが、路地探索を思い立ったあたりで道を見失い、リンクの反対側まで突き抜けてしまい、それに気づかず引き返したり、どこかのパサージュに入り込んだり、別の道をたどってやはりリンクに出てしまったりと迷走する羽目に。プラハと比べて建物が大きいので失念していたけれども、ウィーンのリンクは歩いて回っても一時間かそこらとすれば、内側を直進したところで1キロちょっとしか無い訳なのだった。
(ちなみに、ウィーンの土産屋には「NO KANGAROOS IN AUSTRIA」と書かれた自虐なマグネットやらTシャツが売られているのだが、ーーいやいやいるだろ、これだけ暑いんだから)

ウィーン大学の信じがたい環境のよさについて。

リンクに出てしまったのなら仕方ない。そこから反時計回りに一回りすることにする。とはいえ暑い。ふくらはぎがこわばって自由にならない感覚があり、時々頭が地面に向かって引っ張られるような感じもする。ひょっとしてこれは噂の熱中症というやつではあるまいか。涼しいところで休まないとまずいのではないか。

そこに頃合いよく出現したのがウィーン大学で、涼しげな水色と白のバナーで、我が大学がいかに伝統があるか、我らはいかにクールでクレバーな集団であるのか、ということをさりげなくもなくPRしている。例えるなら、フレームの細い四角メガネをかけた秀才ハッカー系理系青年が、文系の彼女に対して自分の研究の達成を回りくどく、得々と説明しているような風情である(偏見失礼)。何となく愛おしい。というか、石の建物の中は涼しいに違いない。

…ええと、これは大学だよな。入り口の壁には歴代の出身者の言葉などが引用されて現役の学生を挑発しているところを見ると、確かに大学であり、案内表示がやたら親切であるところから察するに観光客は排除されていないらしい。

芝生の美しい中庭には大きな木が陰をつくり、風がたいそう心地よい。回廊にはその道を極めた先達の胸像がずらりと並んでいるが、それに加えてカフェまで営業していて、まことに快適な勉強環境と言えよう。写真の胸像は、ドップラー(左)とシュレジンガー(右)だそうです。

そして構内はこのような華麗さ。一体どこのオペラ座か。表示によれば、歴史学とか古代史とか、私にも馴染みのある人文系の学部であるらしい。私はこれまで、母校の古めかしい石造の校舎にそれなりの風情を感じていたが、この日を限りに撤回することとした。あれは単に手入れが行き届かずにボロいだけである。
その隣の市庁舎は前面がほぼ巨大スクリーンに覆われてしまっている。市庁舎前広場には屋台が立ち並び、人が群れ、立錐の余地も無い。夏の期間は夜にフィルム・フェスティバルをやるらしく、そのポスターが当然のようにクラシック音楽だったりオペラだったりバレエだったりするのが新鮮だった。その後も緑が濃い所で休みつつ進むが(そして緑が濃い所は周囲の熱気と場違いな涼しい風が吹くのだが)、いよいよ体調がおかしなことになってきたので、国立歌劇場に戻ってきたところでリンク歩きは切り上げて、冷房ガンガンのデパ地下に避難する。食事をしに行く余裕はもはや無く、総菜の類を買い込んでホテルの部屋で茹だりながら食べたのだった。教訓。疲労とウィーンの暑さを馬鹿にしてはいけない。続く。

2013年7月2日の旅程。
  • 0800/プラハ本駅着
  • 0839/プラハ本駅発
  • 1315/ウィーン・マイドリンク駅着
  • 1345/ホテル着
  • 1500/ホテル出発
    • シュテファン大聖堂
    • ウィーン大学
    • リンク歩き(市庁舎/国会議事堂/自然史博物館/美術史博物館/王宮/国立歌劇場)
  • 1800/デパ地下で買い物
  • 1830/ホテル着