ボロジノ顛末その2、あるいは歯車ゾンビはいかにして露命をつなぐか。

歯車状態をはるかに過ぎ、ゾンビもはや脱皮して、化け猫と化して幾星霜。奇声を発しながら深夜のパソコンに向かって絶賛修羅場中です。一月に及んだマキノ的ボロジノもそろそろ終盤戦。しかしオーディン大神も「死んで焼かれてしまってから女を誉めるべきだ」とおっしゃっておられることですし、気を抜かずにラストスパートがんばるだよ。ううう。
という訳で体はゴム人形のようでツボを押しても全く反応しないわ、何を食べても味が感じられないわ、一方で脳ミソはもの凄い勢いで回転したまま止まらないので喋り出したら止まらない上にろれつが回らないわ、すっかり廃人と化した今日この頃、さしもの妄想力も枯れ果ててきたので、勤務時間と睡眠時間以外は本をむさぼり読んでかろうじて栄養補給。人はパンのみにて生きる訳ではないのじゃよ、とか偉そうに言ってみても、これでは所詮は単なる活字ジャンキーだ。
ミラーニューロンの発見―「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 (ハヤカワ新書juice)
例のうっかり思いついてしまった二次創作の補助線のために読んでいたら、いきなりスネイプ先生が登場してのけぞる(笑)。「私は決してスネイプが好きではないが、彼のハリーへの返答は、他人の心の理解についての私の見解をみごとにまとめてくれていると言わざるを得ない。そう、心は本ではないのだ。」――って、まさにそのテーマで書くつもりでしたワタクシ(爆)。それにしても、「好きではない」とかわざわざ断りを入れられながら、実在の研究者に同意されるスネイプ先生の図ってのはツボすぎる。あんなに学者として優秀だと描写されているのに、物語上の役割はついに「徹底的にコケにされる救われない下っ端敵役」を離れられなかったかと思うと、かわいそ過ぎて涙も出ないが、その辺の分析はまた後日。
ヘロドトスとトゥキュディデス―歴史学の始まり (historia)
山川の、地味ながら充実したヒストリア叢書の一冊。ヘロドトスとトゥキュデデスの対比から、古代の歴史学(あるいは学未満)と比較しての近代歴史学のあり方へ至る構成と筆致は堅牢にして怜悧。こっちも二次創作の補助線つながり。てか二次創作やめて、オリジナルにした方が早いんじゃない?と胸のうちで理性がしきりとささやいている。
古代ギリシアの女たち―アテナイの現実と夢 (中公新書)
で、ネット上で検索したら、十年以上探していた同じ著者のこの本が出ていたので、ポチッと押してしまった。うう、ようやくゲットしたよ(感涙)、先生。古代ギリシアアテナイ)の女性という、乏しい史料と立ち位置の設定の難しいテーマ(ジェンダー)からなる困難な題材にもかかわらず、厳密に論理構成し、史料を丁寧に解読すれば、歴史学が歴史からどれだけの知見を引き出し得るかを示した名著。これが長らく品切れというのは、どう考えても中公新書にとってはマイナスだ。
古代ギリシアの同性愛
これも補助線として。カバーの絵がなんなので、外してみたが、表紙も似たようなものであった。このスケベ親父め、そんなところをなでなでしていては、電車の中で読めないじゃないか。