彼らは作者に反逆する権利を手元に留めおかねばならない。

暑い。検査の結果、持病その他はさしあたり無問題らしいことが判ったので、服の下のそいつと和解して、この週末はのたくた過ごすことにする。そいつに「何が聴きたい?」と聞くとこんなのを選んで来た。

Alkohol

Alkohol

ジャケットの写真がちょっといい感じのおっさんだなと思ったらクストリッツァ監督の「アンダーグラウンド」の音楽とかやってる人らしい。「アルコホーーール!!!」という絶叫から始まる暑苦しさMaxノリノリのバルカン・ビート。外で盆踊りをやっていたので、対抗してうっかり冷房のない部屋で踊りはじめたら、意識が微妙にあやうくなる。

というのを景気づけにして、読んだ。
ハリー・ポッターと謎のプリンス ハリー・ポッターシリーズ第六巻 上下巻2冊セット (6)

ハリー・ポッターと謎のプリンス ハリー・ポッターシリーズ第六巻 上下巻2冊セット (6)

いきなり帯に「人はなんのために戦うのか……」とあって、軽くのけぞる。さて。

  • 映画はよくやっていると思う。
  • 作者には全てが許されているとしても、最低限の礼節は守らなければいけない――自分が書きつつあるものに対して。

後者はむしろ7巻を読む時の感想かもしれないと思いつつ。例えるなら、いかにも自分は客観的に書いてますというフリしてボルコンスキーの若旦那を馬に蹴られて死んじまうキャラの行動パターンに押し込んで殺すなよトルストイ、ということであり、その揚句死につつあるアンドレイに「僕はあなたをあまりにも愛している」とか臆面もなく言わせたり(「臆面もなく」がかかるのはアンドレイではなく勿論トルストイ)、果ては遺児に「パパもピエールさんが正しいと思ったんだ」とか全く根拠のない権威づけに使わせたり(むしろパパはピエールは間違っていると言うと思うぞ、ニコーレンカ)、死人の言葉を奪って自分の都合よく話を運ぶために利用するんじゃない、ということだ。作者が前面に出て語りの芸を見せるのなら、それでも一向に構わないと思うけれど。
いや、ひょっとしなくても物凄く理不尽な主張をしているのは承知しているが、民話の枠組み(スティグマを持った英雄が悪と戦い世界を救う)と現代のリアリティ(英雄はすでになく、あったとしても関係団体の利害をしょったアイドルでしかない)とノスタルジックな現状肯定(家族や友達は大切なのよ、愛は全てに勝つのだよ)という、そのままでは決して整合しないパラダイムを何の調整もしないまま引っ張って、諸般の事情により筋書きの成就があやうくなると登場人物を片端から殺して、涙で全てを水に流してしまう作者の非礼に対して、登場人物は声を上げるべきだよ。だって、それらの矛盾からは全然別のアウトプットも出せる筈なんだから。全ての矛盾を死者に押し付けて作者が予定調和を選んだら、死んだ連中はただの無駄死にじゃないか。浮かばれない。
てか、作者がもう少し汗をかけば、ハリー少年がここまで意固地で視野狭窄である必要もなくなるのではなかろうか。続く?