聖ダンスタンの日。

記憶に間違いがなければ、本日は不肖マキノの守護聖人、聖ダンスタンの命日の筈。
聖ダンスタンという人は、グラストンベリ修道院長にしてカンタベリー大司教、10世紀後半のイングランド修道院改革の立役者ということになっている*1坊さんで、その他にも歌が上手かったとか、濃ゆい顔のキリストの足元に跪く自画像を描いたとか(結構うまい)、若い頃は魔術師呼ばわりされて簀巻きにされて池(だか肥だめだか)に放りこまれたとか、国王が変わるたびに追放されては呼び戻されたとか(王冠が床に転がるのも顧みずカワイコチャンの膝の上でいそしむ新王御年15、を女の膝からひっぺがしたりしたら、そりゃ、そういうことにもなる)、マザー・グースでは悪魔の鼻面を引き回しているらしいとか、なかなか才能と個性にあふれる人物であったようです。何しろ、カンタベリーにはトマス・ベケットという一大殉教聖人がひかえており、ダンスタンの後任だか後々任だかの大司教も10世紀末〜11世紀初頭のヴァイキング襲来第二波(大王になる前のクヌートとかが暴れたやつ――記憶が正しければ)の時に殉教しているので、モノの本では大往生を遂げたダンスタンは割を食った、みたいな言われようをされていますが、いやいや、殉教すればいいって訳ではない。
それにしてもクリスチャンでもない私がどうして僭越にも守護聖人なんかにまつり上げているかと言うと、その昔卒論で10世紀後半のイングランド修道院改革を扱って、ダンスタンはじめ、ウィンチェスター司教エセルヴァルド、ウースター司教/ヨーク大司教オズワルドのお三方にお世話になったからなのでした。ご加護あっていい論文ができたので、以後こうして帰依している次第。我が家のパソコンにしろケータイにしろポメラにしろ、彼らの名前のついていないものはありません*2。いずれ聖人伝なぞ書いてご恩に報いたいと考えております。しかし10世紀のイングランドをどう料理すれば小説になるのだろう。と十年近く前から考えているような気がする。

*1:最近の研究では、改革を主に推進したのはむしろウィンチェスター司教のエセルヴァルドだったという主張もあり、私もある程度はその方が正しいと思うが、ダンスタンも何らかの役割を果たしていたと考えている。

*2:だからウチのポメラはオズウィなのだ。