あまりにもあからさまで、あっけらかんとしたディストピア:武雄市図書館(その1)

1:意図と見聞。

連休直前の金曜日に福岡に用事ができたので、この機会に九州の北西部を回ってみることにした。九州ははじめてで、全くもって土地勘がない。とりあえず目的地を長崎に定めて、路線図を広げて眺めていた。すると途中に武雄温泉駅というのがあって、つまりこれはあの武雄市図書館の所在地ではないか。
武雄市の図書館については、毀誉褒貶さまざまな意見があるのを横目で眺めていて、話に聞く通りであるとすればあまり評価はできかねるのではないかと思っていたが、しかし一方で、ざっくりした一般論と個別具体的状況における評価は往々にして一致しないものでもあり、実際に見てみないと何とも判断のしようがない。アクセスを確認すると、駅から徒歩15分ほどで行けるようだ。おまけに併設の歴史資料館に蘭学関係の面白い資料がいろいろ展示されているらしい。(時刻表をめくる間)ということで、9時の開館に合わせて訪問してみることにした。
田圃から次々に上がる気球や、川に悠々と佇むアオサギなどを車窓に眺めるうち、列車は武雄温泉駅へ。かなり本格的なつくりの新しい駅で、鄙びた田舎の駅に馴染みかけた目には意外な印象を受けたが、外の垂れ幕が九州新幹線西九州ルートの武雄温泉−長崎間の着工を祝していたので、今後の発展も見越してのものなのかもしれない。
南口のロータリーを抜けると、幅広の直線道路が伸びていて、単に幅広の直線道路であるにとどまらず、歩道も広く、街路樹がいい感じに成長して、眺めもよく、歩くのに気持ちよい。さらにメインストリートに交差する裏道も直線のようである。碁盤の目状の街並みから推測するに、土地区画整理をやった新市街地だろうか。その場合、街路樹の成長から考えて、それなりの時間が経過しているようだ。市街の建物の密度は高くはないが、いわゆる「荒廃したロードサイド」的なところはなく、自律したまちとして着実に成長してきたのではないかと思われる。行き先の標識なども要所にあり、私のような一見さん極まりない余所者が一人でふらふら歩いていても不安を感じないという点でユニバーサルな街並みだと思った。今後、駅前開発などをうまくコントロールしていけば、住みやすく便利なよい街として発展していくのではないだろうか。

「図書館」の表示に従って歩いていくと、川があり、橋を渡ると「図書館」に変わって「文化会館」の表示があらわれて少し混乱するが、図書館の近くまで来ていることは確からしいので、文化会館の方も見てみることにする。
するとこれが実に堂々とした建物であって、赤煉瓦状のタイルで覆われた重厚なつくりなのだった。バブル期以降の日本を席捲したハコモノ公共事業のデザインにしてはいささか鬱陶しいほどに郷土の文化への愛と誇りを主張してやまない形状とやや古びたありさまからすると、70年代後半の文化の時代にでも建設されたのだろう。文化会館の向かいは、これもまた実に立派な日本庭園が広がっていて、説明書によれば鍋島の殿様の旧居だとか。さらに図書館を求めて周囲を回ると、地名を冠した神社などもすぐそばにあり、つまり文化会館は、たまたま取得できた土地ではなくて、郷土の歴史と文化のまさに中心地(少なくとも中心地の一つ)を選んで建てられたことになる。換言するならば、武雄市には、かつて、郷土(自分の住む土地をそのように把握することの是非はここでは措く)の過去を現在と未来に結びつける思考を備えた人々が存在し、一定の影響力を持ち得ていたということだ。これは口で言うほど簡単なことではなくて、郷土愛と教養と熱意とそれなりの実行力がなければかなわない。武雄は文化的な土地柄だったのだ。と私は推測した。(続く)