2013夏プラハ+ウィーン観光名所うすかわ編(1)

coalbiters2013-07-15

まえせつ。

いかにして行き先は決まったのか。

6月末から1週間ばかり、プラハとウィーンに旅行した。母と娘の二人旅である。「親子で仲がよろしくて」と言われる。「母娘だと気楽でいいでしょ」とも言われる。確かに気楽ではあるが、我が親子は別に仲がよろしい訳ではないのである。何しろ、趣味や関心の向きは見事に真逆だ。そんなら一緒に旅行しなくたってよいのではないかと思う訳だが、世の中にはよんどころない事情というものも存在する。よって、母が嬉々として提示した当初のプランは、

のごとき、旅行社のフルパッケージ・ツアーであった。各都市1泊ずつ、移動は全行程バス、ガイドつき、自由行動は合計でせいぜい1日とか何とか。冗談ではない。私は体力が無い上に車酔いが非道いのだ。そんな民族大移動みたいな旅程には耐えられない。おまけに日頃職場で集団生活に埋まっているというのに、何だってたまの休みまで集団行動しなければならないのか。それにさ、フルパッケージだと、自分の見たいものを心ゆくまで見られないよ。
ということで、周遊はせいぜい2都市まで、航空券とホテルと間の移動手段だけ旅行社が手配するツアーに落着した。手配内容を見ると自分で予約した方が早いんじゃないかという気もしないでもない微妙な線だが、母のでかいスーツケースを引っ張って空港をうろうろするのも面倒くさいし、心くすぐるオマケみたいのも充実しているらしいし、何より昔は日本の名前を冠した公社を称していた旅行社、に対する無条件の信頼、みたいなのが一部の消費者には厳然として存在するようなのであり、そうするとコトはもう、安全安心議論で言うところの安心の領域なので、合理性の話をしても無駄なのである。
さて、かくしてツアーは予約した。次は、大幅に増えた自由時間を有意義に使わなければならぬ。現地でガイドブックを広げてごそごそしていたら時間はあっという間に経ってしまう。「旅程案を組むから、行きたいところをリストアップして渡して」と母に依頼した。しばらくして渡されたリストは、

であった。その時の私の内心のorzをご想像ください。念のため、再度ガイドブックを渡して、見たいところに印を付けてもらった。「定番コース」「初心者が最低限見るべきはココ」なルートが丸で囲んであった。
「…あのさ、せっかく自由時間の多い日程にしたんだから、何があってもここだけは!みたいのは他に何かないの? 誰の音楽が好きだから住んでた家を見たいとか、小説の舞台を見てみたいとか、シシィの足跡を辿りたいとか…(これでは定番すぎてあまりにあんまり…)」
「特にどこというより、その都市だったら誰もが必ず行くところに行きたいの。旅行行った話をした時、相手が知らないところじゃしょうがないでしょ」
orz
…そうだった、忘れていたが、我が母は「みんなの関心がよい関心」信者だったのだった。私が旅行後自分が鬱に陥る可能性を真剣に心配しはじめた瞬間である。

本旅行の目論見書。

とは言え、母が観光名所を見たいというのなら仕方ない。観光名所を回ろうではないか。母と成人した娘の旅行で娘がポーター兼ガイドとなるべきことは、世の摂理である。それに、計画を立てることは、私にとって趣味みたいなものだ。しかし、日頃ラッシュアワーに揉まれているというのに、何だってたまの休みにまで観光地で芋洗いの刑に遭わなければならないのかと思うと、モチベーションの流失おびただしい。大体、長年の「半日で市内名所観光」の積み重ねで効率重視のスキルを磨き上げて来た旅行社のツアーには、「とりあえずささっと見て一定の満足感を得る」という点において、個人がどれほど逆立ちして努力したって勝てっこないのである。とすれば、個人が観光名所をめぐる場合、「ふらふらぐずぐず(見落としもあろうけれども)よそ見して脇道に逸れるメリット」を最大限に生かすべきではないか。つまり、観光名所には行くが、その場の興味の赴くままに、という名目のもと、定番フルコースはあたう限り積極的に外すのである。
例えば、ミハル・アイヴァスの傑作プラハ小説「もうひとつの街」

もうひとつの街

もうひとつの街

は、カレル大学だの旧市街広場だのペトシーン公園だのクレメンティヌムだの、その他プラハの観光名所をひととおり網羅してツアーの副読本になりそうな構成でありながら、見知らぬ文字で書かれた本との出会いを皮切りにした探求の途上、それぞれの(今や観光名所でもある)場所で生じる時に皮肉なエピソードの積み重ねのうちに、街のうすかわが剥けて、その裏の、普段は見ようとしていない不思議な、意思疎通の困難そうな、しかし確乎として存在する別世界があらわになり、その結果、この街、に対する主人公の認識は決定的に変容していく。
こうして、観光名所のうすかわ一枚先を見ること、が私自身の旅行の目的になったのである。成果は自分のスキルに極めて依存する訳ではあるが。勿論、公称していたところの本旅行の目的は別にあって、それはおおむね以下のとおりであった。

  • 朝食のほかに、一日一食はレストランないしカフェでまともな食事を摂ること。
  • 湯船のある風呂での入浴。
  • 平均的観光客が行くべきまっとうな名所の観光。及び、平均的観光客が行うべきまっとうな買い物。
  • 可能なら、コンサートなどに行ってみること。オフシーズンであるからには、観光客向けでかまわない。
  • 出来るだけ、まちあるきをすること。
  • プラハでは、前回旅行時の食事(某マクドナルド)の仇を撃つこと。
  • 同じく、カフカ博物館を見ること。
  • 同じく、人形劇を鑑賞すること。
  • ウィーンでは、ドナウ川に行ってみること。
  • 同じく、ガソメーター(再開発ガスタンク)を見ること。
  • 同じく、美術史博物館に行って、ティントレットの『白ひげの男』のあたりで「レーガーとアッツバッハーごっこ」(cf.ベルンハルト『古典絵画の巨匠たち』)をすること。

…と、仰々しいマニフェストを掲げたところで、以下次号。