非実在の存在をめぐる都市での冒険(1)

たいそうお久しぶりなブログ更新です。空白の一年の間に無事修論を仕上げて、公然たる二足の草鞋生活からは一時脱却しました。とは言っても引き続き週末創作者、日曜研究者であることには変わりないのですが。しかし、〆切が無い世界がかくも魅力的であるとは。

越中島貨物線をたどる。(2013年4月6日)

嵐の予感が大気満ちあふれる中、越中島貨物線をたどって江東区を南下する旅に出た。

20世紀から21世紀を望む。

剥き出しの線路。

土手のありさまは、到底21世紀も10年代の東京(区部)とは思えない。

「張り紙禁止 国鉄――ここはどこだ。今は何時だ。

ゴミ袋が各所に積まれた新築の住宅地の裏にひっそり残っている庚申塚。

小名木川より東京スカイツリー遠望。20世紀から21世紀に挨拶(再)。

たどり着いた先は、東京大空襲・戦災資料センター。

東京大空襲・戦災資料センター(2013年4月6日)

東京大空襲・戦災資料センターは近隣の鉄道駅からは遠く、バス路線からも一つ入った人通りの少ない通りにあった。それ程大きな建物ではないが、1階が受付・事務所と書庫(入って資料を確認すること可)、2階が会議室、3階が展示室(空襲で放されて街路を走る馬の絵が印象的)となっていて、会議室や廊下にも調査の成果物やら映像やらがあって充実している。東京大空襲が中心だが、日本各地(だけでなく中国なども)の空襲についても目配りしているようだ。展示されている調査結果は会員の手による手作り感満載のものが多いけれども、プリントアウトされていて自由に持っていけるのが親切。
今回の目的は「空襲を伝えるドイツの都市 ドレスデン・ベルリン・ハンブルク」という特別展で、空襲被害を受けたドイツの3都市の空襲に関する史跡(記念碑が大半を占める)の写真と、日本における同様の写真、ドイツでの取り組みに関する紹介からなっていた。展示だけかと思ったら、結構充実した図録も作成されていて購入することもできる。空襲関連史跡めぐりのガイドブックとして重宝しそう(そんな需要がどれだけあるかは正直不明だが)。
常設展も含めた展示を見、書庫で東京大空襲の慰霊碑めぐりパンフレットを発見したりするうち、東京大空襲のように、膨大な死者と広範囲に渡る被害がある場合、事件そのものを何らかの史跡によって見せるというのは不可能なのだということが実感できた。勿論、言問橋のような象徴となり得る場や焼けた日用品のような具体的事物も一方であるものの、それは全体のほんの断片にすぎない。あまりにも広範に破壊され、そこここで(もはや同定不可能な)死者が出たこと、事件による破壊に加えて復興による破壊によっても「そこで誰それが死んだ」という5W1H的な記憶のあり方の基盤が失われてしまい、後世の人が事件を思い返すために、任意の場所に記念碑を立てるというあり方になり、記念碑を巡る、というかたちでの歴史把握が形成されていくのだろうと。そして記念碑はその存在を認識され、その存在によって思い返されるもの(記憶なり)が記念碑の外において保存・継承されていくのでなければその意義が失われることから、思い返されるものを共有する母体としての「人びと」の存在と活動が必要なのだなあと、そのようなことをとりとめもなく考えている。
(そして、展示を見終えて外に出ると、嵐が到来していたのだった。続く)