ヴェーセン名古屋公演あるいは愛知県日帰り紀行(2)

ヴェーセン@カフェ・カレドニア(愛知県春日井市

承前。スウェーデンのトラッド・バンド、ヴェーセンを追っかけて愛知県にやって来たところ。寄り道も済んだので、一路、公演会場のある春日井市に向かう。
会場のホームページには「駅から車で5分」という徒歩移動者にはいささかの不安を誘う情報しか載っておらず、しかし地図を見れば曲がるところさえ間違えなければ大通りを直進すればよい感じだったので心を強くして行ったものの、最寄駅の高蔵寺駅前のバスターミナルが巨大すぎてさっそく方向を失う。誰かに聞こうにも、人の子ひとり見当たらない。午前中に行った田原市でも町中でほとんど誰にも行き会わなかったのだけれど、世の中はそれほどまでにシャッター商店街化しているのだろうか。ともあれ目当ての国道に出て歩き始めて気づいたことは、制限速度50kmと書いてあるということで、仮に時速50kmで5分走るとしたら、それなりの距離になる筈なのである。自分が無意識のうちに東京の路地裏速度(時速30kmと言いつつ自転車を追い越せればいい方)で計算していたことに気づいて内心青ざめる。しかし30分ばかり歩いたところで無事会場に着き、しかも私は何を勘違いしていたのか、開場時間を1時間早く思い込んでいたので、到着第一号になってしまったのだった。ヴェーセンの三人すらまだ来ていない。仕方ないので周囲をぶらぶら散策する。何の変哲もない住宅地だが、やたらと喫茶店率が高いような気がする。戻って来ると丁度ヴェーセン一行が到着したところで、会場も開いていた。

40席限定と言う話だが果たして40人入れるかというほど小さな会場。今回は開店20周年記念のコンサートなのだそう。最前列の丸椅子をゲットし、美味しいケーキを食べつつ、チューニングするメンバーを眺めつつ、開演を待つ。メンバーは換気扇の音が気になるらしく、紐を引っ張って切ってしまったが、空調も入っていたので残念ながら小さな唸りは完全には消えなかった。

よって、完全な沈黙の中からという訳にはいかなかったけれど、オープニングはこの曲でしっとりと始まる。ミッケのヴィオラが主旋律を離れてふっと上昇する瞬間や、ローゲルのギターの一つ一つの音がくっきりと立ち上がって聞こえ、三人の演奏者の音が対等に絡み合うのがはっきりと見えて、あっという間に演奏に引き込まれた。それらの音が生まれる場所からほんの1メートルばかりのところで全身浸っていられるこの至福。
彼らの演奏は勿論CDで聴いても滅法かっこいいのだが、しかし音痴の私の耳には、どうしてもウーロフの弾くニッケルハルパの主旋律がメインに聞こえて、ミッケとローゲルが伴奏というか、間の手を入れている印象になってしまう。けれども、ライブで、至近距離で、彼らがリズムを取るために足を踏み鳴らしたり、バチバチと(というかニヤリと)アイコンタクト取ったり、同じ弓使いだったり別々の所作だったりするそれぞれの動作に従ってそれぞれの場所で音が生じるさまを見ると、どれが主旋律だといった聞き方は全く無意味になることが判る。いつもライブで思い知らされて、記録された音を聴きながらその印象をなぞっているうちに身体感覚が薄れてしまい、いつしかかっこいいの意味を取り違えてしまって――この旋律がかっこいい、とか、疾走感がたまらない、とかいう風に――、またライブで思い知らされる。私がヴェーセンの音楽を好きなのは、曲としてのかっこよさもさることながら、ライブにおける互いの応答の鋭さ、的確さなのだ、と。しかもそれは定められた答えをなぞるようなものではなくて、確かに一定の型、いやむしろゲームのルールはあるのだけれど、その中で、今この瞬間にどの解が一番かっこよくて面白いかをその都度選び取っていくようなものなのだ。
そして、そのような音楽を聴くためには――あるいは、そのように音楽を聴くためには――、聴衆もただ享受者として受け身でいる訳にはいかず、演奏者達が最もクールな解を提示できるように、反応によって彼らの(つまらなさへの)逃げ道を塞いでいかなければならない。そういう意味では聴衆もまたプレイヤーなのであって、この日の公演は、とても親密な、よく聴く聴衆に恵まれた素晴らしい時間だったと思う。最初、聴衆は聴くことにややせっかちだった(拍手のタイミングが少し早かった)が、公演が進むにつれて必ず一息分、空白の時間が生まれるようになっていった。多分、没入から賞賛へ、皆が意識を切り替える時間を必要としたからだと思う。カフェの開店二十周年(今年結成二十二周年とかのヴェーセンは、俺たちより若いねとか言って笑っていたが)の記念にふさわしい祝祭的なコンサートだった。ありがとう。

(ウーロフのニッケルハルパ二種。右の方が古くて、捩れかかった音が何とも美しい)

2011年11月3日の旅程