2011夏山陰日焼け旅行(3)

intermission:がっかり遺産に関するささやかな考察

仕事修羅場の山で遭難しかかって妄想的な幻に救いを求めたりしているうちに、九月も半分過ぎてしまった。私の無印の温度計が正しいなら、この期に及んでも室内は摂氏30度あるのだけれど。ともあれ一月以上ぶりの旅行記の更新だ。放置している間に「石見銀山+がっかり遺産」なる検索をかけてこのブログに辿り着いたふとどき者もあるようであるが、石見銀山に関する風評被害の拡大に組するのは心外であるとここに明言しておく。
ということで、がっかり遺産/名所/観光地についてである。先の記事を書いてから、世の人々はどのような感想を抱いたのであろうかと検索してみて知ったのが、「がっかり遺産/名所/観光地」なる概念だった。どうも読んで字の如く、期待して行ったのに前評判ほどでなくがっかりした観光地といったようなニュアンスのようで、観光地の一ジャンルをなしているらしく、

  • 見所とされているものがそれほど立派でなく、しょぼい。あるいは判りづらい。
  • 案内板が不十分だったり説明不足だったりして、観光すべき場所が判りづらい。
  • 交通や宿泊の便が悪いなどにより、観光客に各種の不便をかける。
  • 観光客に対して親切でなく、むしろ迷惑げだったりする。

などを構成要素としていると推測される。石見銀山の場合、

  • 銀山の遺構が広範囲にわたって存在し、一カ所で集中的に見られないため観光地としてのアピールに欠ける。
  • ハイライトとなる間歩(採掘坑跡)も狭くて地味。
  • そもそも産業に関する遺構であるため、政治経済のみならず理工系の素養も含めた一定程度の理解力が必要。
  • パーク&ライド方式を取っているため、近くまで自家用車で行くことができず、歩かなければならない*1
  • しかも結構本格的にハイキングしなければならないがそのことが十分周知されておらず、途中の地図も不十分。

といった部分が槍玉に上げられる様子。石見銀山に関しては、確かに最後の項目、自分がどんな場所を歩いて行く予定なのか/現に歩いているのかに関する情報不足に関しては、できればもう少し工夫してほしいと私も思うが、その他については同意はしない。むしろ、私が興味深く感じたのは、「がっかり遺産/名所/観光地」という言葉を鏡にした場合に見えて来る、世間一般に流布されているらしい「あるべき観光地」イメージの方だ。
「がっかり遺産/名所/観光地」に怒っている方々が何に怒っているかというと、「観光地なのにわかりやすく理解させてくれない」「観光地なのに地元の人がもてなしてくれない」という点が不満なのらしい。ということは、彼らは「観光地とはわかりやすく理解できるものである」「観光地にはホスピタリティがみちみちている」という確固たる信念を持って観光地に向かっていることになる。で、その期待を裏切られると、そのことを含めて面白がるのではなく、怒り出す訳だ。換言すれば、彼らは「観光地とは、誰かがよきにはからってくれるのをひたすら享受する場所」と考えていることになる。
――そりゃ、「ウチは観光地と思ってやっている訳じゃありませんから」と怒る地元の人も出るだろうなあ。
「がっかり遺産/名所/観光地」という概念が生じる思考回路においては、観光とはおそらく、何らかの権威(マスコミでの紹介など)により提示された価値を自分自身が共有し、内面化する過程から満足を得る行為、だったりするのだろう。こう書くと、戦前の大本営発表を信じ込む(もうとする)大日本帝国臣民みたくてたいそうグロテスクだけれど。想像の共同体を強化するための観光。うーん。
ということで閑話休題石見銀山はこんなところでした。

銀山の遺構に行く途中の風景。よく手入れされた普通の農村といった趣。

発掘中の遺跡。

発掘後の遺跡。下河原吹屋跡。写真には映っていませんが、説明板はちゃんとあります。

銀山の遺構に行く途中の風景。確かお寺だったと思う。屋根の下、壁が透かし彫りのようになっているのが面白いと思った。

銀山の遺構に行く途中の道ばた。普通に墓石が。

これは明治時代の遺構。日清戦争だかの時に銀の採掘を再開しようと思ったけれども駄目だったらしい。

間歩の跡。こういうのが沢山ある。基本的に立ち入り禁止。

龍源寺間歩。ここは入って見学できる。

おまけ。銀山の遺構に行く途中の道ばた。暑い日だったので猫もだれだれ。

*1:ただし、世界遺産に登録された当初は観光バスが連なって奥まで入り込んで来ていろいろ大変なことになったので、地元自治会がパーク&ライド方式導入に努力した、といういきさつが「ガイアの夜明け」で放映されていたらしい。http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber/preview080826.html