2011夏山陰日焼け旅行(2)

DAY2-2:石見・銀山・世界遺産

(承前)
二両編成の快速アクアライナーで集合地大田市駅へ。列車はワンマンカーで、路線バスのような運賃表がついており、ドアは下りる乗客がボタンを押さないと開かず、時にはそもそも開かない。海沿いを走ること約30分で大田市駅に着。すでにして猛烈に暑かったが、山陰の字面の先入観からにわかに信じられず、半信半疑のまま石見銀山行きのバスに乗る。途中、路肩に表示されている気温が31度、32度と確実に上昇していくのを、なおも信じがたい思いで眺める。我々の予定には銀山の散策が組み込まれている筈ではなかったか。
狐につままれたような思いでバスを下り、ガイドさんについて歩き出すところで大分先まで売店は無いとの情報を得て慌ててペットボトルを買い足す。それにしても、その辺りは多少町並みの整った変哲のない田舎町という風情で、鉱山の遺構は一体どこにどのように存在しているのだろうか。歩くと書いてあったのをなめてかかってサンダル履きなんだけど。

(写真は鉱山遺構の入口にある全体図。これを見て事態の深刻さに気づきはじめた)

石見銀山と言えば、世界史的にはボリビアポトシ銀山と並ぶ大航海時代の銀の産地であって、大量の銀が出回ったことによる世界経済へのインパクトと合わせて言及される。従って、世界遺産である石見銀山を語るにあたっての第一の補助線はポトシ銀山だ。
ただし、二大銀山と並べて済ましてしまってはいけないらしく、世界遺産としての意義と特徴を詳らかにしないといけないらしい。それゆえに、環境破壊と奴隷労働のポトシに対し、自然調和にして社会保障の石見という対比が生じる。薪が要るので植林しましたとか。社会保障は万全でしたとか――万全であっても30歳を超える職人はまれだったようだが。ともあれ、確かに文化庁のホームページにある推薦書にはそのようなことが書いてある。

しかし、ガイドさんの話の力点はどうも微妙にずれているようで、戦国時代の周辺大名による銀山の支配権(あるいは銀の流通に対する支配権)をめぐる分捕り合戦であったり、江戸時代の鉱山技術発祥の地としての意義だったりするのだった。日本史は門外漢なので詳しくないのだが、甲斐出身の大久保某という、家康に取り立てられて初代の奉行になった人物の超優秀な技術官僚ぶりとか。石見の職人が生野や佐渡にどのように技術を伝えたか、云々。結局のところ石見銀山の最盛期は戦国末から江戸初期の初期というごく一時期であって、あとは鳴かず飛ばず、明治以降もぱっとせず早々に閉山した上、そもそも技術と経済の話なので、立ったキャラクターに寄りかかるという訳にはいかない。そうすると、必ずしも歴史に興味を持っている訳ではない見学者の関心を引くためには、徳川家康による江戸幕府の統治システムにコミットするという戦略は有効なのだろう。それもあってか、石見銀山周辺の人々はそこが天領であったという事実になみなみならぬプライドを感じているらしかった。大森の町並みには「天領」と書かれたぼんぼりが家々の軒先に据えつけられていて、さらには「天領のうた」なる石碑まで立っていたりする。「周辺の連中より気風が開けている」「トクガワ・ジャパンを支える屋台骨」「江戸時代なりのグローバル・プレイヤー」的天領メンタリティ? 私の出身地も天領だったところなので、微妙に判らなくはない機微ではあるが。はて。

(写真はお食事処の前に立っていた石碑。天領のうた。全国の天領の中でも石見銀山がいかに重要であったかを歌っているもよう)

ちなみに、石見銀山の我々の見学ルートは片道2.5キロのハイキング・コースだった。世界遺産に登録された頃には観光バスが列をなして奥まで入り込み、押すな押すなの大騒ぎだったらしい。これではいかんということで車の乗り入れを制限して、徒歩(又は自転車又は自転車タクシー)で回るようルールを定めたのだとか。よって、高齢者は、よほど健脚でない限り、なかなか難儀であると思う。一番いいのは、働き盛りの教育熱心なパパママが小学生の息子又は娘を連れて最低一日半くらいかけて遊びたおすパターンであろう。山登りもできるし、理系文系のバランスの取れた学習もでき、夏休みの自由研究はばっちりだ。世界遺産センターのような施設も設置されているようだし、インターネット上にも説明資料が公開されている。事前に予習してそのような素振りも見せずにうんちくを垂れれば、子供からの評価が高まることも期待できよう。さらには昔ながらの町並みもある。ただし、問題がない訳でもなくて、その教育熱心な両親が日本語を解さないとなると、学習面での効果は薄くなるかもしれない。というのは、現場の案内板には日本語しか書いていないからだ。あるいはまた、世界遺産センターのような施設に行きっぱぐれると、後日の学習に役立ついかなる冊子も入手できないということがある。売店で土産物的おかしやアイスや絵葉書を売るのは大変結構なことだと思うけれども、どうしてそこに「石見銀山」なるA6版20頁くらいのリーフレットの類すら存在しないのか。地元では観光地化に反対する動きもあるようだが、これではよろしくないニュアンスを含んだものとしての観光地そのものではないか。
――等々、多少の不満はあれども、石見銀山見学は私にとっては非常に興味深く、楽しい経験だった。という時点で気づいていなければいけなかったのだが、何の因果か、私の好むものはすべからく世間的にはマイナーになるという不幸な法則がある。帰宅後、さらに調べるためにぐぐって判明したのは、石見銀山=がっかり名所/観光地という意見がかなり見受けられるということで……(以下次号)