液状化の東京湾岸を(ほんのちょっとだけ)歩く。

液状化の被害が伝えられる浦安市の新市街には、親戚が住んでいる。親戚の墓もある。彼岸に墓参りに行って来た身内によれば「親戚の家に液状化の被害はなく、公営墓地も無事息災であった。バスからは液状化の爪痕が望まれたが、時間も大分経ったし、もう片付いているんじゃないか」とのこと。一方で「新浦安から来るバスの床は今でも白く汚れている」という証言も。新浦安駅は実家の最寄り駅の一つなので、帰省がてら状況を確認して来た。
バスで市川市内から新浦安へ向かう。一帯は昭和も後半になってから田んぼを潰して住宅地にしているような土地柄なので、どこが液状化してもおかしくないと思うのだが、市川市内は、所々「この舗装の亀裂大きすぎやしないか?」との疑念が頭をもたげるものの、至って平常通り。これなら浦安の液状化も大したことないのではないかと思い始めたあたりで市境の川を越える。
ん? 歩道に積み上げられた土嚢。歩道の傾斜が妙に大きい。昔日のどぶさらいの日のようにわさわさと作業をしている人々。崩れた縁石。ひょっとして――
と思う間もなくバスは終点の新浦安駅ロータリーに到着した。
 
いきなり傾いだバス停標識に迎えられる。顔をまっすぐ上げて歩いていれば建物は普通に立っているし、行き交う人々も普段通りの格好をしているだけに、結構な衝撃がある。
  
写真左は、報道等で有名になったらしい駅前のエレベーター。多くの人からカメラを向けられるプチ観光名所と化していた。中央は近寄ってみたところ。右は2-30センチ建物が浮き上がってしまったので段差に板を渡していると駅下の建物。排水溝の金属板が一緒に浮いていたから、元は段差が無かったのだと思うのだけれど。以上、駅前広場。
  
この程度の段差や障害物はもはや普通なので、カラーコーンすら置かれない(写真左)。街路ではボランティアによる大掃除が進行中。かき集められた泥は土嚢に詰められて積み上げられる。空気は埃っぽく、そこはかとなく東京湾奥で言うところの潮の香りがただよう(写真中)。ぱっと見は静かな昼下がりだが、ブロック舗装されていた筈の歩道は灰色の泥に覆われて跡形も無い(写真右)。
  
写真左。アスファルトで傾斜をつくって応急処置している。土嚢が立てかけられている段差は私の膝よりも高い。50センチ超(写真左)。すっかり浮き上がってしまった車止め(写真中)。街路のあちこちがズレている。複数の構造物が複雑に連結しているので、継ぎ目のところにガタが来るらしい(写真右)。ここは普段ポンプか何かで水を循環させて水路にしているらしく、割れ目からのぞくと綺麗な水がちょろちょろと流れ続けていた。
 
傾いた公衆電話とその後ろの反っくり返ったガードレール(写真左)。歩道がえらく高くなってしまったために支えを失って今にも倒れそうな植栽囲み(写真右)。
 
 
全て新浦安駅から1ブロック内の状況。建物のエントランスが浮き上がって使用禁止になっていたり、仮設トイレが設置されるもトイレットペーパー不足で使用禁止になっていたり。駅前には「がんばろう浦安」みたいな垂れ幕がかかっていた。子供や若い人が多いので、あんまり悲壮な印象はないが、建物や地下でおしゃかになったインフラを復旧させるにはとんでもない手間と時間がかかりそう。結局人間がナマズ様の目を盗んで繁栄を謳歌しても、やつが身を一捻りするだけで、堅固な物質文明が文字通り砂上の楼閣になってしまうのだな。我々に本来許されているのは、当てにならない地面の上に薄っぺらく貼りついていること位なのだろう――なぞと、人類の卑小さを思い知らされながら帰宅した。
しかし、我々はこれだけ増えてしまったから、天の摂理がどうあれ、何とか小細工して生きないといけないのだが。