王様を待ち続けるのも大変だが、歯車の雑談にも限りがない(2)

ええと、全然関係ないことを書き散らしていますが、「英国王のスピーチ」を見てきたというお話です。承前

つまり、私が一連のプロムス最終夜の映像から得た教訓は次のとおりであった。

  1. ブリテン愛国心の発露を侮るな。
  2. BBCの運営愛を侮るな。

とりあえず、前の方の教訓は関係ない。

wikipedia他のネット上のソースによると、プロムスという音楽祭自体は1895年に始められ、指揮者ヘンリー・ウッドの指導よろしく、順調にレパートリーを拡大し、今に至る一世紀以上の歴史を誇っているのだそうである。BBCの名を冠しているのは、この放送局が1927年にプロムスの運営を引き継ぎ、戦時中の一時期を除いて、現在まで運営を続けているからということらしい。当時のプロムスの会場が当時のBBCの本部の真向かいにあったのだとか。
ちなみにBBC自身の創設も同じ1927年である。正確には、その年に国王の特許状に基づく公共放送になったので、前身があるのだけれども、それにしたって1922年だ*1

したがって。
英国王のスピーチ」の冒頭、ウェンブリーでの博覧会の開会式は国王ジョージ5世自身が、中〆は兄貴が、この閉会式では弟王子(後のジョージ6世、我らが主役)が閉会の言葉を読み上げますーーという大舞台で思いきり吃ってしまい、大失敗というシーン。会場には太古の昔からそうであったかのごとく、さも当然の顔をして放送機器が備えつけられていたけれども、「放送」というメディア自身、まだ生まれたてのほやほやだったのだ、実は。何しろ、この時点では放送開始から2年しか経っていない。

それなのに、英国王室は猛然とラジオと結びつく。ラジオばかりか速やかにテレビとも。あたかも太古の昔からそうであったかのごとくに。あるいはBBCが王室に抱きつく。上にリンクしたページの項目を拾うだけでも、

  • 1924:ジョージ5世による最初のラジオ演説(ウェンブリーの大英帝国博覧会にて)
  • 1932:ジョージ5世による最初のクリスマス放送
  • 1936:エドワード8世による退位演説(次男坊があんなに頑張ったのに、BBCの30年代のアイコンは兄貴なのが泣ける……)
  • 1937:ジョージ6世戴冠式(最初のテレビ中継)

そもそも、

……BBCの初代会長サー・ジョン・リースは、彼自身、ページェントや君主のロマンチックな信奉者だったので、これまでは不可能だった、儀式への参加感覚をもたらすニュー・メディアの力を素早く察知した。したがって、1923年のヨーク公の婚礼以来、「耳で聴くページェント」はBBCの特別ニュース番組として定着した。*2

1923年のヨーク公は勿論後のジョージ6世である。好むと好まざるとにかかわらず、映画が取り上げる時期よりも前に、実在の「バーティ」の方はすでに王室放送の「伝統」のいい素材になっていたのだった。

……1932年に制度化され、即座に「伝統行事」として採用されたクリスマス放送は、個々の家庭でくつろいでいる臣民に語りかける、国民の父としての君主のイメージを高めた。ジョージ5世の放送が大成功を収めたので、彼の次男は吃音のハンディキャップにもかかわらず、この「伝統」を継続せざるを得なかった。*3

ジョージ5世の崩御は1936年だから、その「伝統」はたった数年にすぎない筈なのだが。
王室が第一次大戦後においても国民の支持を得たいと思い、大英帝国が自身の繁栄を確信したいと願い、ニュー・メディアが王室の人気にあやかって自らの地位を確立したいと考えたとすれば、ジョージ5世の先例とその息子による継承の努力の物語は同時に、BBCというーー王室を放送するーー組織の成長と勝利の物語でもあると言えるだろう。大英帝国の隅々にまで国王の声を行き届かせ、臣民に国王と国家を愛させ、そして動員するまでの。

これはYou Tubeで拾って来た、ジョージ6世戴冠式行列を撮影する自局のテレビ隊を自慢げに紹介するBBCの映像。大時代がかったコスチューム行列の横で、しばしば構図に割り込んで台無しにするカメラは、映画のクライマックスでジョージ6世が放送室に向かう際、常に均整の取れた画面をその時だけ混沌とのたうって占拠していた放送機材の配線の束を思い出させないだろうか。王室の生活にとっては異物の、しかしその支えなしには王室も国家も立ちいかなくなりつつある、ある仕組みの不穏なあらわれとして。
だから、まあ、BBCにとっては、国王は全ての準備の上でつつがなく原稿を読む存在であってくれれば、それでよかったのだろうね。

ありゃ、まだ終わらなかった。次に続く。

*1:ちなみに、日本におけるラジオの放送開始は1925年だから、BBCとそれほど変わらない。

*2:デイヴィッド・キャナダイン「コンテクスト、パフォーマンス、儀礼の意味ー英国君主制と「伝統の創出」、1820ー1977」(『創られた伝統』所収)より。

*3:同上。