2010夏ソウル一泊二日強行軍(3)

1年前の今頃は、丁度大学院の願書を書いていたのだなあと考えると感慨ぶかい。願書を出さないと試験を受けられないという常識をすっかり失念し、暢気に旅行記など書き綴っていたところ、ふと調べてみたら〆切一週間前で、慌てて書類を取り寄せて何とか間に合ったのだった。おかげで、去年のベルリン旅行記は、途中、1週間ばかり日付が飛んでいます(笑)。いや、諦めないで頑張ってよかった。
で、諦めないで頑張ったので、と順接にすべきか、のに、と逆接にすべきか、今年は滅多矢鱈と忙しく、いまだに仕事の山から下山できていないのである。希望的観測としては、八号目くらいまでは降りてきている筈だが。以上言い訳。

断片05/過去の露出する都市ーーソウル歴史博物館(2)

輝かしい未来ビジョンなどというものを歴史博物館の中で見せられてびっくりした訳だけれど、ソウルにあるのは光り輝く未来だけではなかった。近代以降の建物が遺構として都市の真ん中に顔を覗かせ、現在を脅かす点において、ソウルはベルリンと似ている。ユーラシアの東と西において。ソウル歴史博物館の中庭の前で博物館の偉いひとが立ち止まった。博物館は慶煕宮という昔の宮殿の上に建っているのだそうである。宮殿は日本が占領して京城中学校を作る時に大方壊してしまったらしい。通りの向こうも宮殿の敷地で、数年前に発掘して一部復元したとのこと。一応博物館が管理しているそうだが、ロケばっかりやっていて、独自のプログラムを組むことができず、我々は市議会から叱られている、と偉いひとは不機嫌そうであった。駐車場には防空壕の跡もあるので、次の世代に悲しい歴史を見せたいが、所管が違うとかいったこともあって活用できていないらしい。悲しい歴史というのは、日本に支配されていたことだけでなく、その後は「右翼が左翼を」然る後に「左翼が右翼を」処刑した、といったことも含めてだそうだ。「右翼が左翼を、左翼が右翼を」という呪文のような説明は、翌日の西大門刑務所歴史館でも聞いたのだった。いろいろといたたまれない。
 
(写真左はソウル歴史博物館の中庭。写真右は西大門刑務所の建物。周囲は高層団地に囲まれている)

断片06/文化官僚熱く語るの巻。

時々居心地の悪さを覚えつつ、宮殿の儀礼などの説明は非常に興味深く聞きつつ、1時間ばかりの博物館ツアーを終えてロビーに戻って来ると、次のアポの相手が迎えに来てくれていた。雨模様の市内を十分ほど歩いて、洒落た雰囲気のカフェへ。フランシスカン・チャーチ何とかと書いてあったような気がするので、教会の文化施設なのかもしれない。今度の説明者は日本で言えば文部科学省の若手官僚といったポジションで、日本に留学したり、仕事で某県庁に在籍していたりもしたそうで、流暢な日本語でやはり輝かしい理想を熱く語る語る。「公式の見解は冊子を見てください」の一言で片付けられ、後はいかに文化が重要か、そしてその重要な文化を振興するために韓国政府はどのような政策を行っているのか。芸術だけでなく、文化産業、文化都市等々、で、4都市が文化都市として選定され、彼は光州のプロジェクトを担当しているのだった。

空港だけでなく、文化でもハブですよ。羽田再国際化、とか言って巻き返しを図った気になっているようでは遅い(笑)。ちなみに、読んどけと言われた公式冊子はこちらからダウンロードできます。勿論日本語版もあり。
ええと、熱い語りを一生懸命メモしていたのだが、文化政策にも韓国の事情にも疎く、時間も経ってしまったので、正確に文章を起こせる自信はない。よって、メモったキーワードを列挙してみると、「人材が集まる魅力ある都市/アジア文化殿堂:ポンピドー・センター的な複合的文化施設/街を7つの文化圏に分ける/レジデンス系プロジェクトもできれば/交流・協定により光州へ/年間予算は2000億ウォン程度。韓国では橋一つが1000億ウォン程度なので予算が多いとは言えないが、文化政策的には多い*1/20年間のプロジェクト/中国はこちらがアジアと主張すると妬くw/シンガポールも主導権を握るために英語でやっているらしい/北朝鮮が統一されれば次はアジアの時代!」……だそうです*2。向かうところ敵なしと言うか、怖いもの知らずと言うか(笑)。日本の官僚も夏の時代にはこんな感じだったのだろうか。ちなみに、日本における文化戦略はこんな感じ。

いや、国の威信を賭けた一大プロジェクトと次年度予算の概算要求レベルのプレゼンを並べるのは意地悪かもしれないが、きちんと練り込んだ計画なら、単年度予算であってもこんなしょぼい文面で打って出たりはしない筈。日本の過去の栄光に幻惑されて文句垂れる面々は、今の日本には大法螺を吹く才覚も無いらしいという現実を直視した方がいいと思うよ。
とは言え、官僚氏が熱く語れば語るほど、語られる理想が輝かしければ輝かしいほど、鼻は法螺臭さを嗅ぎ当てるもの。日本に留学中の韓国人の記者が同席していて、容赦なく厳しい突っ込みを入れ始める。官僚氏は歯切れが悪くなり、次第に剥がれ出すメッキ。曰く、アジア文化殿堂は2010年に完成する予定だったが、市民の反発があって遅れた――でも、ポンピドー・センターだって10年遅れた、と官僚氏。市民の反対にはフェスティバル等を開催して子供達から洗脳に努めているそうである。そもそも文化とかアジアとか言うが、どのような定義で使っているのか?――既存の定義によるのではなく、我々の事業の対象範囲がアジアの新しい定義になる、位の勢いの答えを返す官僚氏。日本だったら仕分けられるの確定ですな。光州の民主化運動の記憶を利用し、地元にお金を落とす政治家利権のプロジェクトなのでは(民主化運動関連の土地を地下化して墓呼ばわりされているそうな)――夏暑くないように地下化して公園にする予定だったが、地元との話し合いで設計変更した。確かに今はハコモノにお金がつぎ込まれているが……施設整備が終わった後、どこまで予算とプロジェクトが続くか心配だが……2014年がプロジェクトにとって重要な年なので、そこで取り返しのつかないことにならないよう、何とか巻き返したいと思っている……とにわかに苦悩の表情を見せて弱気になる官僚氏。何だかえらく正直なお役人だ。
結局のところは全てのプロジェクトと同様、文化交流都市・光州も、輝かしい理想に向けて地を這うone of themにすぎない。なので、話を聞いていて一番心に残ったのは、官僚氏の職業的誠実さだった。大統領が変わるとがらりと方向が変わる韓国にあって、20年間の息の長いプロジェクトをどうやって生き延びさせるか。その際、どこまで方向転換して、どの価値は守り通すのか。例えば光州のプロジェクトは、民主化運動の記憶と結びついた光州という都市を荘厳し、あわせてソフトパワーでアジアのパワーバランスに参画する(ことにより地域の安定化に寄与する)という当初の目的から、コンテンツ産業の振興といったより元が取れる方向に舵を切りつつあるらしい。なので、アジアの連帯と交流という当初の価値を重視する立場からすれば確かに不誠実で日和見なのだが、現状を踏まえてプロジェクトを潰させず、長い目で見て成果を最大にするにはどうすればいいか、という点に腐心しているらしいところが好ましいと感じた。多分、文化という分野では内容だけでなく、旗を掲げておくこと自体に意味があるだろうから。もっとも日本の官僚氏が同じようなことをやったら、私は韓国人の記者のように突っ込みまくるだろうけれど、というのも偽らざる心境だが。

*1:日本円に換算すると150億円くらいか?

*2:念のため、私的な見解の上、詳細を理解しきれていない人間の聞き取ったメモですから理解不足の点はご容赦。