2009秋ベルリン+@旅行記(12)

今回の旅行では、この本にたいそうお世話になった。

ベルリン―“記憶の場所”を辿る旅

ベルリン―“記憶の場所”を辿る旅

壁の回で紹介したトルコ人の野菜畑も、今回の核シェルターも、この本で発見したのだった。アクセスガイドつきの優れもの。ただし、ベルリンはものすごい勢いで変わりつつあるから、もう少しすると改訂版が必要になるかもしれない。

DAY5-2:核シェルターとベルリンの物語

冷戦なりし頃、1999年に恐怖の大魔王が降って来なくても、それまでに核ミサイルで世界は滅びているに違いないと、私は固く信じていた。核戦争は、私にとって、老若男女、主義貧富の差その他を黙殺して万人に等しくもたらされる死のメタファーという点において、逆説的に人類の平等と人間の尊厳を担保する概念だったらしい。その結果、20世紀の私は、富める強者と貧しい弱者の間でこうまでも死への距離に格差が生じるもので、富める強者にとっては自分の頭上に爆弾が降って来て逃げ惑う図なんて想像の範囲外なのだとは考えつきもしなかったのだ。9.11でアメリカ(というか、アメリカに同化したメディア)が腰が抜けるほど驚いているのを見、しかしながら株式市場が大暴落しなかったのを見て、ようやく認識したのだが。閑話休題

核シェルター・ウンター・クーダム

ウーラントシュトラーセ駅から地上に上がると、そこはクーダムだった。西ベルリン随一の繁華街らしい。ベルリンの歴史に関する展示施設(核シェルターつき)THE STORY OF BERLINは普通にしゃれたビルの中にある。ビルの入口に案内が出ていて、入口からチケット売り場まで足跡がついていたけれど、そうでなかったらこんなところに博物館の類があるとは思えない。
チケットを買うと、売り場のお姉さんが「核シェルターを見学しますか?」と聞く。12時から英語のガイドツアーがあるから入口に集合するようにとのことだった。時間に集まって来たのは十数人。ガイドのお兄さんに引率されて、いったんビルの外に出る。横あいの通用口のようなところに、

核シェルター入口。シェルターじゃないブンカーじゃんとか言って萌えない、そこ。階段を2、3階分くだった扉の先にそれはあった。

左から2番目の黒い服の人がガイドさん。ここでは約4000人を収容するらしい。シェルター内部は、見渡す限り簡易4段ベッドで埋まっていた。
 
今でも非常時に備えて維持しているらしい。シューゴーシューゴーとダース・ヴェイダーの呼吸音のような音を轟かせていたのは換気装置(写真左)。右の写真は病人用の部屋。他の場所と同じくむき出しのコンクリートの上に簡易ベッドが並ぶ。奥に見えるのは、私の聞き間違えでなければ遺体の収容袋。多分、治療のための場所ではなく、衛生上の理由による隔離部屋なのではないか。換気もする、発電する、地下水を汲み上げる、ポンプが壊れれば備蓄した水を使う用意周到の避難場所だが、機能するのは14日だけだと言う。その間も温度と湿度の高い劣悪な環境が見込まれるらしい。
 
左の写真は洗面所とトイレ。他に台所や司令所がある。司令所は分厚い透明な扉の向こうにあって、少しはましなベッドを備えており、係員や医師が詰めるらしい。ちなみにシェルターへの入場に際しては厳密な人数管理を行い、入場者が一定数(数十人)に達すると(どんな大群衆が殺到しようとも)外側のドアがしまり、その一団を内部に収容した後、次の一団を入れる仕組みだとか。すでに放射能を浴びている場合は、そこでシャワーを浴びなくてはならない。何と言う合理性、あり得ない遵法精神。彼らはユダヤ人だけでなく、自分たち自身をも貨物のように扱うことに抵抗が無かった訳だ(非常時の措置としてはやむを得ない、とかとりあえずは言わないこと!)。このような核シェルターを発想する思考においては、シャワーから水を出すかガスを出すかの判断は依然としてシステムの外部にあり(何しろシステムの利用者たる避難民は貨物だ)、システム自体に判断の当否を検証し、誤りを回避する機能が存在しない状況に対する違和感、危機感は薄いのではないか。そのように思い至った時、いったん観光客としての扱いに乗ってしまえば非常に快適、というベルリンでの実感と考えあわせて、かなり怖くなった。

ベルリン、歴史、時々おしゃれ、時々悪趣味

核シェルター内のツアー時間は15分ほど。シェルターの扉のところで解散。建物の中に戻って展示を見る。カラフルなアクリル板を重ねたり、光の効果や映像を活用したり、一体どこのブティックかという内装に度肝を抜かれる。
 
展示は中世から。オリジナル資料の展示ではなく、パネルや映像を多用した体験型で、プロイセンの軍服を並べた部屋では服を吊る柱の後ろに説明が書いてあったり、床に映像を投影したり、19世紀の学術に関する部屋では、本棚に並べられた本の背表紙のボタン(禁帯出とかのシールを貼るあたりにある)を押すとディスプレイにその著作に関する情報が出て来たり、工夫されている。内容自体は手抜きのない真面目な仕事なので、気軽に来て、楽しみながら見て回るコンセプトの展示としてはなかなかのスグレモノではないだろうか。一つ、成程と思ったのは、最初の方の展示で、ベルリンにおけるイスラム教徒の起源の説明があったこと。近世の早い段階にはオスマン・トルコの使節団やムスリム商人が滞在していたらしい。信仰と寛容といった文脈で、室内をきっちり三等分して、キリスト教(新旧ごたまぜか、新教のみかは判断できず)、ユダヤ教イスラム教の宗教儀礼等を説明していた。
ただし、調子に乗ると際限なく悪趣味になるのがドイツ人の悪い癖らしく、時代が下るにつれ、やめてくれな展示が増えて来る。
 
写真左は、例の、ゲッベルス及び許しがたい馬鹿学生どもによる焚書の説明。通路の床一面に埋め込まれているのは本。やめてくれ(泣)。どうして赤の他人の私が他人の馬鹿の結果を見るために本を踏まなくてはいけないのか。しかし他に通り道は無いから、ここを進むしかない。背表紙たちは、遠藤周作のやさしいイエス様のように「わたしを踏め」などとは言わない。全く、私を本を踏む羽目に陥らせた、ゲッベルス及び許しがたい馬鹿学生及びその他ナチ野郎どもは、絶対許してやらん。右の写真は通り抜け禁止の回転ドア。実際押しても動かず、「通り抜けできません」と貼り紙が貼ってある。奥の部屋はナチに対する抵抗運動の展示。
ちなみに、パンフレットで確認したら、3宗教の展示、焚書通路、ハーケンクロイツ回転ドアのいずれも展示デザイナーはこの方。それにしても、「政治的正しさ」に対する嗅覚の鋭さというか、政治的正しさを笠に着た嫌がらせ的アプローチの冴えというのは、コンセプトデザイン、展示デザインのいずれの段階で出現したのだろうか。続く。