2009秋ベルリン+@旅行記(10)

coalbiters2009-10-14

DAY4-3:プラハアンダーグラウンド(3)

プラハには8時間滞在できるとして、旧市街2時間、ユダヤ人地区2時間、マラー・ストラナ2時間、食事・移動・予備2時間という見積もりを立てていた。マラー・ストラナに渡った時点でほぼ予定通り。

薬学歴史博物館を求めて

行き当たりばったりに観光名所を拝む、という今回のプラハ行でほとんど唯一、予定に組み込んでいた場所があった。マラー・ストラナにあるという薬学歴史博物館である。まあその、プラハには個人的な思い入れがありまして、つまり、数年前、私はとある作品の、薬学に縁の深いとある登場人物にすっかりはまってしまったのだが、私の頭の中でその人物は1989年にプラハに住んでいたことになっていたのですな。で、センチメンタル・ジャーニーついでに、かような妄想とも他の1989年のモロモロとともに綺麗さっぱりお別れして身綺麗になろうと、この旅行を計画した段階では考えた訳です。お別れどころか、更なる泥沼にはまってしまったというのはこの夏のブログをお読みいただけば一目瞭然だが――真っ正面から百ぺんばかと言われても私は反論しない。閑話休題
 
狭い道でトラムに跳ね飛ばされそうになったりしながら、地図を頼りに坂道を登る。扉の鋲が麗々しい左の写真は確かイタリア大使館。扉を開ければ外国だ。右の写真は一体ごとに顔の違う謎の車止め。努力は買うけど観光客は誰も気づいていなかったよ。博物館があるというネルドヴァ通りはレストランや土産物屋が立ち並ぶ細い通りだった。こんな所にあるからには余程小さい博物館である。見落としたら大変だと目を皿にしながら番地を数えたが見当たらない。とうとう通りが尽きてしまった。
へろへろしながら番号を数えつつ今度は坂を下る。やっぱり見当たらない。というか、その番地には確かに建物があるのだが、どう見たって土産屋だ。絵葉書とか売っている。何度見直しても駄目。秘密の入口があったとしても、私の前には開かれなかった。
傷心のあまり坂の上の名所を見に行く気も失せ(実のところ、運動不足の身にはきつい坂だった――ルーベンス的には美女、とか言って自分の不節制の言い逃れをしていてはいかんな)、カレル橋を目指して下った筈が、見事に道に迷う。いつまで経っても川に行き当たらない。道しるべは観光地にもかかわらずチェコ語の表記しかないし、交差点からは7つも8つも道が分かれている。しかもそれらは真っ直ぐには出来ていないらしい。さらに運の悪いことに太陽は雲にお隠れだ。途中、日本大使館らしきところから日本人職員らしき男性が出て来たので後をついていったのだが、あっさり振り切られてしまう。
 
カレル橋のたもとに戻って来た頃には疲労困憊。すぐ近くで大々的に自己主張しているカフカ博物館をうらめしく眺める。

Forgotten Prague

カレル橋近辺の旧市街の雑踏を流されるうち、クレメンティヌムに押し込まれるが、ベルリンスケールで見学者入口を探していたら通り抜けてしまった。2haの広い構内とガイドブックは書くのだが、ベルリンのコンクリ柱立ち並ぶホロコースト記念碑も2haだ。気がついたらわびしい回廊でこんな看板の前に立っていた。

ガイドブックによればクラム・ガラス宮殿というところで、内部はコンサートや企画展のある時以外は一般公開されていないと言う。
 
またしても地下。これは企画展なのだろうか。一般公開というのは一般的に、かような倉庫っぽい地下室を公開することを意味するのだろうか。ひょっとすると、プラハの人々は地下室にただならぬ愛情と審美眼を寄せていて、さまざまな時代、さまざまな様式の地下室をめぐり歩いては至福の時を過ごすのだろうか。店番のおばあさんたちは例によって持ち場を放棄して、お喋りに余念がない。チケットには手書きで通し番号と金額が書かれていた。

帰路のアクシデント(私ではなく)

18時29分、アムステルダム行のEN456は定刻どおりプラハ本駅を出立した。18時45分、Praha Holesovice駅着。すでに理由もなく5分の遅れ。今朝方の女の子が乗って来た。帰りも勉強していたかどうかは判らない。ほどなく日が暮れたので、私は23時から5分ごとにアラームが鳴るように携帯電話をセットして爆睡モードに入ったからである。その後も順調に遅れたらしく、ドレスデンを発車したのは定刻から30分遅れの21時20分頃だった。
もう一度寝直そうとした時、ドアが猛然と開き、ドイツ鉄道の車掌ではない女性二人がものすごい勢いで突進して来た。「この列車はどこへ行くの」と近くの乗客をつかまえて詰問する。「ベルリンです。ベルリンに11時30分」と答える声が聞こえた。「ベルリンですって。あたしたちはN-burg(私にはノイブルクとか何とか聞こえた)に行くのよ。この列車はN-burgに行くんじゃないの?」「いいえ、ベルリンです」「何ですってえ」そのおばさんは絶叫した、「そんな馬鹿なことある訳ないわ」ドスドスと通路を鳴らしながら彼女たちはドイツ語を話せそうな乗客に同じ問いを繰り返し、その度に同じ答えをもらって、すっかり逆上して別の車両に去っていった。
しばらくして悄然とドアの開く音がした。「ああ、あたしたちはN-burgに行くつもりだったのに。ベルリンに行っちゃうなんて。こんな夜中に」先刻よりは少し弱々しい調子でその声は嘆いた。どうやら最初に答えた客がいろいろ慰めているらしい。意識が戻るたび、「N-burgなのに。ベルリンじゃないのに。ああ」と声は繰り返していた。あなおそろしや。
後で時刻表をたどって確認してみた。18時29分にプラハ本駅を出発してドレスデンに向かう列車は実はEN456とEN458を連結したものである。この列車は定刻どおりならドレスデンに20時47分に到着し、このうちEN456は20時51分にドレスデンを発ってベルリンへ、私が乗っていた二等車両以外の寝台車はさらにアムステルダムを目指す。一方、EN458はドレスデンを21時15分に出発してフランクフルト・アム・マインに向かうが、プラハから引っ張ってこられた二等車両はドレスデンの先のライプチヒまでEN458と連結されているものの、ライプチヒで切り離され、23時39分にナウムブルク中央駅に着く。従ってN-burgはナウムブルクであり、おばさんたちはどこかで間違えて、EN458の二等車両ではなくEN456の二等車両に乗り込んでしまったのだ。あなおそろし。
嘆きのおばさんたちを乗せたまま、列車はほとんど定刻どおり23時40分にベルリン東駅に到着した。いつの間にか30分の遅れを取り戻していたことになる。みんなに慰められたおばさんたちもしおしおと下車した――と思う。無事にナウムブルクにたどり着けただろうか。

2009年9月24日の旅程。

  • 5:00/ベルリン東駅発
  • 10:30/プラハ本駅着
  • 11:00/カロリヌム(〜12:00)
    • 旧市街広場
  • 12:30/ユダヤ博物館(〜13:45)
    • マラー・ストラナ
    • カレル橋
  • 16:00/クラム・ガラス宮殿(〜16:30)
  • 17:00/夕食(〜17:30)
    • ヴァツラフ広場
  • 18:29/プラハ本駅発
  • 23:40/ベルリン東駅着

プラハでの食事がよりにもよってマクドナルドになってしまったのは、いくら何でもの痛恨事であった。次回に期したい。続く。