2009秋ベルリン+@旅行記(7)

coalbiters2009-10-08

DAY3-2:で、ペルガモン。

で、ペルガモンなのであった。
ベルリンのガイドブックでは「何があってもペルガモンだけは」と、「ナポリを見て死ね」並の扱いをされているペルガモン、シュプレー川の中州に5つの博物館を擁し、「シュプレーのアテネ」の令名高いこの都市にあっても一際高くそびえ立つ美の殿堂ペルガモン博物館である。これを見ずにいられようか(棒読み)。
母は気乗り薄な私に是非行けと厳命した。トルコに旅行した時、現在はベルガマなるペルガモンの地を案内した現地のガイドさんは、ドイツ人がいかに悪巧みによってトルコの宝を持ち去ったかを切々と訴えたという。ドイツ人がどんな非道いやつらか、その目で確かめていらっしゃいという訳だ。
私が気乗り薄だったのは、数年前に東京国立博物館で開催された「世界遺産・博物館島 ベルリンの至宝」展がつまらなかったからもある。世界遺産の権威に寄りかかったぬるい展示だった(と私は思った。当時の辛口の感想はこちら)。そんなものをベルリンまで来て見たくないが、博物館学に関心がある以上、避けて通る訳にもいかない。かくして、以下、博物館の運営や展示手法といった観点を中心に、(博物館島大英博物館ルーヴル美術館に比肩しうると主張しているので)ペルガモン博物館と、私が見聞したことのある大英博物館とを適宜比べながらまとめてみる。素朴な感激を求めたい人に役立つ情報はありませぬ。

博物館の理念に関する考察

博物館はモノを収集し、保存し、展示するところである。つまり、モノだけでなく、それにまつわるコンテキストもひっくるめて博物館は存在する。ところが昨今、モノとコンテキストという博物館の二本柱は安泰とは言えない。
まず、モノについては、複製技術や情報技術の発展により、オリジナルでなくてもかなり「使える」情報に容易にアクセスできるようになったこと。博物館は利用者をそこに来させるために、その行為に何らかの新たな価値を与えなければならなくなった。また、コンテキストについては、植民地や発展途上国から、合法非合法問わず特徴ある文化財その他を収集した、という過去の経緯からして、ややもすると博物館の存在自体が政治的に正しくないものとのレッテルを貼られかねない状況にある。これらに対して(多分全世界的に)博物館が行ってきている努力は、

  • 博物館を訪れる、という体験そのものが、こじゃれたデートスポットや風光明媚な観光地などの場合と同様、来館者にとって意義あるものとなるように工夫する。
  • 研究を行う一方、広く教育普及活動を行うことで、博物館が人類共通の遺産の守り手であり、かつ最先端の学術的成果を一般にもたらす知的価値の生産者であることをアピールする。

といったところに集約されるのではないかと思う。かような観点から見ると、ペルガモン博物館は大英博物館に大きく遅れを取っている。

敷居の低さは折り紙つきだし、理念的には万人に開かれている。ペルガモン博物館は入場料を取る時点で、人類共通の遺産の守り手から、木戸銭を取ってげてものを見せる見世物屋の側に転落してしまう。見世物が悪いとは言わないが、その内容たるや。
人類共通の遺産とは魔法の概念である。大英博物館は人類共通の遺産の守り手だから、エルギン・マーブルを持っていてもいい。何故ならそれは人類共通の遺産だから。まあ、相手を納得させられるかは微妙だが、なかなか反対しづらいことは確かだ。「おまえが言うか」という素朴な実感から生じる反論では、相手の土俵に乗ったことになってしまう。一方、見世物小屋では見せる者と見る者は区別され、両者の合意によって見世物が供給される。

  • それで、ペルガモン博物館はゼウス大祭壇やイシュタル門を自分の商売道具とする正当な権利があるのか。

ペルガモンはある、と言っている。ほんのちょろっとだけ書いてあった説明によると、10年にも及ぶ粘り強い交渉の末、トルコ政府から許可を貰ったのだそうだ。それだけでいいのか。

博物館島世界遺産である件

いや、済まない。
大体、博物館島はそれ自体が世界遺産になっている。つまり、博物館島の成り立ちとか景観とかに価値が見出されたのであって、収蔵品が世界遺産指定された訳ではない(というか、ことペルガモンに関して言えば、大英博物館古代ギリシャのコレクションには全く歯が立たない。何しろ大英博物館には、ピンからキリまでの壺絵の中から最上級のだけを一部屋分、スーパーの陳列棚のごとく大量展示する、といった馬鹿馬鹿しさの極みを実現してしまう超弩級の物量がある)。ところで博物館島は完全武装して父神ゼウスから生まれたアテナ女神と異なり、一世紀の歳月をかけ、プロイセン/ドイツの権力中枢の意向を踏まえて形成されたものである。ペルガモン博物館に至っては、あんな格好をしているくせに、完成したのは1930年だ。とすれば、博物館群がいかなる意図によりつくり出され、コレクションがどのようにして収集されたかをきちんと説明することは世界遺産の存在意義上不可避であろう。そしてその際、できるならば「人類共通の遺産」に対して、沈着冷静な立場からのコメントを求めたいものである。
しかし、「ベルリンの至宝」展や、ベルリン滞在中に肌で感じた文字には書かれない都市の自己認識から判断する限り、現在のベルリンはかような批判的距離を自己の過去に対して取り得ないようなのだ。ナチを批判することはできる。東ドイツについて総括することもできる。しかし、大ドイツ、一つのドイツに対しては駄目っぽい。ひょっとすると、一つのドイツもやばいかも、という考えをすっかり失念しているか、うっかり失念していることにしているようにも思う。まあ、一つのドイツが色褪せたら高失業率のぱっとしない光景があらわになってしまうからかもしれないが。
人のことを言えた義理ではないが、自分を客観的に見ることのできないモロモロは一般的にイケテナイ。よって、博物館自体に関していくらだって刺激的な補助線を引けるところ、大時代的な復元で満足しているペルガモン博物館、ひいては博物館島も、博物館のあり方としては、今いちクールでない。

彼らは再現展示が大好き

どれが鶏でどれが卵か知らないが、パノラマと体験学習も好きらしい。その場にいる臨場感を求めるのか――とすると、やっぱり客観視の才能はあまり十分ではないのかも。展示スペースと資材と(相手国の了承)があれば、ドイツ人は建物を丸ごと再現する。いずれかの要素に不足があれば、壁だけはいで来て貼りつける。で、天井をスカイブルーにしたり、口を開けた墳墓の絵なぞを正面の壁に掛けたりして再現の足しにするらしい。上の階の片翼はイスラム美術の展示スペースになっているのだが、そこでも一面に壁を埋め込んだり、部屋ごと移築したり、手法は一向変わらないのだった。
まあ、一度ぐらいは見て損はないか。イシュタル門の色煉瓦はたいそうグラデーションが美しく、写真を撮りまくったので、しばらくはパソお絵描きの絵の具に不自由しなさそうだ。

2009年9月23日の旅程。

  • 7:25/ベルリン東駅発
  • 8:25/フランクフルト(オーダー)駅着
  • 10:00/クライスト博物館(〜11:00)
    • マリエン教会
  • 11:55/フランクフルト(オーダー)駅発
  • 13:05/フリードリヒシュトラーセ駅着
  • 13:30/ペルガモン博物館(〜16:30)
  • 18:00/ベルリン東駅着

続く。次はいよいよプラハ日帰り編です。連休明けくらいの更新か。