2009秋ベルリン+@旅行記(6)

coalbiters2009-10-07

DAY3-1:オドラ、オーデル、クライスト。

夜、何度か腹痛で目覚めかけたものの、朝起きたら峠は越えているようだったので、予定通り鉄道の旅をすることにした。Oの方のフランクフルト、オーデル河畔のフランクフルトを訪れて、ついでにポーランドへ足をのばしてこようという趣向である。ガイドブックに載っていなかったので、グーグルの地図を刷って持って行った。そう言えば、鉄道パスはドイツ鉄道のホームページで購入したら、一週間も経たないうちに郵便受けに入っていた。げにおそるべきインターネットの便利さよ。
ベルリンから1時間、改札は一度も回って来ない。8時半にフランクフルト(オーダー)着。駅から中心部までは彼の国の常として歩いて10分位だが、歩いている人はあまりいない。道路の真ん中を路面電車が猛然と頻繁に走り回っていて、たいていそれに乗っている。10分位、歩けよと思うのだが。
 社会主義時代の文化施設っぽい建物。閉鎖されているのか?
 こちらは改修のあとも新しい古風な建物。

ヴィアドリナ大学。ブランデンブルク公国最古の大学だそうだ。19世紀にベルリン大学等に吸収されて閉鎖されたものの、近年ヴィアドリナ欧州大学として復活したとのこと。街の栄枯盛衰が如実にうかがえるエピソードだと思う。今ではドイツ・ポーランド国境の人口10万人に満たない小地方都市だが、かつてはオーデル川の渡河地点として、東西方向と南北方向の交易ルートが交わる一大交易拠点だったのだ。
街の目抜き通りは例によってカール・マルクス通りという名前だが、漫然とどこにでもありそうな店が並んでいるばかりでまとまりが悪い。市庁舎や教会など、古くからの街の中心部は大通りから一歩引っ込んだ界隈に隠れている。

歩くこと数分、右折すればポーランド

オーデル川にかかる橋の上に検問所の建物が残っていたが、閉鎖されていた。車も人も、さえぎられることなく橋を渡る。

ポーランド側のスウビツェという街は、オーデル・ナイセ線によってポーランド領になったものの、元はフランクフルトの新市街で、昨今は双子の都市として、共同プロジェクトなどをいろいろやっているらしい。
 
ポーランド側の川岸をしばらく散策した。おじさんたちがひねもす釣り糸を垂れ、浅瀬には水鳥が憩い、叢の花には蝶がたわむれ、教会の塔が水面に映え、静かで美しいところだった。これまで、ヨーロッパの風景画を見ては「すかしてやがる」感がぬぐえなかったのだが、空気のはかなげで透明な感じは絵のとおりだと反省しながら歩いていた。とすると、それらの絵における画家と対象の距離は、私が考えていたより大分近いことになる。
ドイツ側に戻って、また川岸を歩く。街の地図はドイツ語とポーランド語の2か国語表示だった。それによると、街は川の中州と言うべき場所にあったらしい。グーグルの地図を見た時、川岸から大分離れたところにいかにも河岸らしくしつらえた「ハンザ通り」なぞがあったのでどういう構造になっているのだろうと思ったものだが、往古はハンザ通りのあたりには水路があったとおぼしい。坂の上の鉄道駅は、街の後背に位置することになる。道端の林檎の木には実がなり、公園の薔薇が咲く。時々お年寄りとすれ違う。それにしても静かだ。
10時になったのでクライスト博物館に行った。フランクフルト・オーダーはこの劇作家の生誕の地なのである。私はドイツ語の授業で彼の「拾い子」という短編を読んで「何て鋭くクールな言葉なんだろうドイツ語は!」と感嘆し、ひょっとすると独文専攻になったかもしれないほど入れ込んだ。筋だけ読んでも馬鹿なだけなので邦訳はおすすめしないが*1、杓子定規で重たい筈のドイツ語が、副文とか動詞のかかり方でかみそりみたいな切れ味に変容していて、訳しながらぞくぞくし、かつ、「こんな訳じゃ駄目だ」と自分の日本語力の無さに絶望していた記憶がある。ってその一作しか読んでないんだけど。平日の午前中にたずねる物好きは私くらいしかおらず、1時間貸切状態。展示はクライストの父だか祖父だかの紹介からはじまって、若き日の原稿、戯曲の上演の記録、戯曲にインスパイアされた現代の芸術家の作品等々からなるオーソドックスなもの。2011年だかが没後200周年なのでその時には盛り上げるらしい。
駅へと戻る途中、市庁舎と教会と広場からなる中心部を横切る。教会はホタテ貝のしるしがあって、「ヤコブの道」とか解説があったからてっきりヤコブ教会なのだろうと考えていたら、マリエン教会だった。ヤコブの道というのは――私がきちんと説明を理解しているならば――サンチャゴ・デ・コンポステーラへの道ではなくて、ポーランドにおける巡礼ルートらしい。建物はかなり痛んでいて修復中だった。今も教会として使われているのか定かではない。壁画はすっかり色褪せてしまっているし、壁の漆喰はボロボロ、内部では20年前の大転回を題材にした現代美術展をやっていた。
 
左は17-8世紀のものかしらん。髑髏と天使の組み合わせとはげかかった壁画。右はもっと古いのではないかと思います。ほとんど消えてしまっているが、中央の青っぽいのが、幼子イエスを抱いたマリア様だと思う。下の写真の柱の足元にあるピンク色は現代美術の展示。

そろそろ自然の欲求にかられてきたので、足早に駅に向かう。12時前の列車で街を後にした。
続く。

*1:20091008追記。私の読んだ訳は、確か戦前の大家の先生のものだったように記憶しているが、その後ぐぐったら種村訳が原文の雰囲気をよく出しているらしい、という記述に行き当たった。そうであるなら、ぜひ日本語で読んでみたいと思う。