2009秋ベルリン+@旅行記(5)

coalbiters2009-10-06

ベルリンはでかい。
しかしそれに甘んじていてはいつまでたっても帰りつけないぞ。

DAY2-3:掘り出されつつある都市。でもナチはゴミ箱へ。

テロのトポグラフィー

ナチの遺構なんておっかないものは避けて通りたかったのだが、壁にくっついて来たのでやむなく見学することにした。

前々回紹介したニーダーキルヒナー通りの壁の裏側は建築工事を前にした発掘現場といった様相を呈していて、ナチ時代にはSSやゲシュタポの本部が置かれていたところである。よって敷地内にはこの場所の由来を記したかなり大規模なパネル展示がある。当初は貴族だか王族だかの館があったという話が、すぐにナチによって使用されましたとなり、SSの歴代幹部の写真や機構図が続くうち、ゲシュタポの話も入り交じり、時代はだんだん抜き差しならなくなって、犠牲者の話、ユダヤ人の移送の話、抵抗運動の話、その当時の幹部の話弾圧の話が見開きで左右から見学者に迫る。見学者にはドイツ人のみならず、英語を話す歴史マニアっぽい中年男性のグループや、最初は歌って踊っていたラテン系の観光客もいたのだが、30分かかって最後まで読み終える時にはみんなしゅんとして下を向く。するとその視線の先には掘り出された建物の地下部分があって、

先刻の展示ではこの建物には地下牢がありましたと説明されていたことを思い出し、不吉な予感に駆られることになる。どうやらやはり地下牢の跡であるらしく、ネット上の情報によれば、以前は地下牢のスペースに展示をしていたとか。長らく建設予定の展示施設をめぐってすったもんだがあったようだが、ようやく着工にこぎつけたとの説明のとおり、剥き出しになった地下遺構の間に足場が組まれて工事が進んでいた。

空っぽの図書館

地下には歴史が眠っている。常套的な表現ではある。ただしベルリンではこの埋もれている歴史を掘り起こし、まさに掘り起こされたところ、地上と地下の境目で塩づけにしておく。多分、一つには、掘り起こしたままほったらかしておけるほど、この都市が大きくて隙間があるからだ。もう一つには、普請中のこの都市では、完全に堀り上げてしまうと、それは現在と未来に属するものになってしまい、過去の記憶が失われるからだ。そしてまた、埋もれたままにしていては、都市はすみやかにそれを忘れるからだ。健忘症の都市に強制的に思い出させるために、ベルリンにはめったやたらと記念碑がある。
フンボルト大学の前、シュターツオーパーの横のベーベル広場は、1933年、道を踏み外した学生どもによって本が焼かれた場所だ。ここにも地下の歴史をのぞかせる記念碑がある。広場の中央にガラス板が嵌め込まれ、中をのぞくと真っ白い空っぽの本棚が見える(学生たちの足元で白っぽく反射しているのがそう)。おそらく、この記念碑は、現在のフンボルト大学の、ぎっしりつまった本棚と対比をなしている。フリードリヒシュトラーセ駅から博物館島へ向かう道の途中に大学の校舎があり、その半地下の図書室には、白い本棚に沢山の蔵書が並べられているのが足元の窓から見えた。

掘り出されるベルリン宮殿と埋められる共和国宮殿

話の都合上すっ飛ばしたが、ここに至るまでにブランデンブルク門をくぐり(しかし門というのは横からたどり着いても有難くも何ともないものである)、帝国/連邦議会議事堂を拝み(しかし行列していたので見学するのはあきらめた)、ウンター・デン・リンデンを縦走し、大きな本屋で念願のズーアカンプ版ペーパーバックのツェラン全詩集を買い、等の観光行為も行っていたので、私はもう半死半生だった。しかも朝方はえらく冷え込んでいた癖に、午後の3時を過ぎたベルリンはたいそう暑く、周囲はみな半袖。寒さ対策は万全の私は脂汗を流しつつ、休める場所を求めむなしくさまよう(いや、ベンチは沢山あったと書かなければ嘘だが)。
 
ウンター・デン・リンデンが終わり、橋を渡ったところに再び忽然とあらわれた発掘現場。周囲には木の遊歩道がめぐらされ、ここがかつて何であり、今後どうなるのかを説明したパネルが並べられていた。かつてはプロイセンの王宮であり、1918年にはバルコニーからカール・リープクネヒトが演説し、戦後駐車場にされ、かわりに東ドイツの政治の中枢が建ったこともあるが、今は取り壊され、王宮が復元されるのを待っている状態。王宮の復元にあたっては、去年コンペが行われ、プランが決定したようだが、なお沢山の寄付が必要とされているらしい。再建後の王宮は文化施設他として使用される予定云々。
要するに、帝政時代の王宮は現代によみがえるのだが、東ドイツ時代の共和国宮殿はアスベストを理由に完膚なきまでに更地にされたということ。庶民レベルのオスタルジーはOKでも、東側の権力の根は根こそぎにしようとする強固な意思が露骨にちらちらしている。見てください、この何も残ってない草原を。ご丁寧に誰かがハートマークまで描いてるぜ。

2009年9月22日の旅程(2)

続く。