2009秋ベルリン+@旅行記(4)

coalbiters2009-10-05

引き続き。この日は壁めぐりだけじゃなく、腹痛をだましだまし、ユダヤ博物館やナチ関係の場所も見て来たのだった。

DAY2-2:ユダヤ博物館とホロコースト記念碑。

いきなりベルリンまで行く気になったのは、リベスキントのユダヤ博物館を見てみたかったからだが、ユダヤ博物館を見たかったのは、それが現代思想やら表象文化論やら(ジャンルあってる?)の本に必ず出て来たからだけでなく、ユダヤ人差別から大虐殺に至る経緯を他人ごととは思えなくなったからだった。
現在私が住んでいるのは東京の東側で、東京大空襲で焼け野原になる前にも、関東大震災であやうく焼け野原になりかけている。あやうくなりかけた、というのは当時の罹災状況図を見ると私の住所の数百メートル手前で全焼地域が終わっているからで、思うに当時の一帯は、難民キャンプをひっくりかえしたような大変な混乱ぶりだったのではなかろうか。要するに関東大震災時に地名のついた事件の起こった土地であり、自警団などによる朝鮮人虐殺の生じた場所である――というのは越して来る前から承知していた。が、例によって郷土史の棚を見ると、虐殺事件は実家の近くでも起こっていたのだった。初耳だと思って実家の方の郷土史の本を読んでみれば、確かに言及がある。私はその本を子供の頃から知っている筈なので、つまり都合の悪い話には耳を塞いでいたことになる。それが一つ。
ただし、その本によると、被害者は朝鮮人ではなく、確か朝鮮人と間違えて殺された横浜の商社のぼんぼんなのであった。救援物資を積んで上陸したところを誤解されたと言うのである。
何だ、その免罪符ちっくな話のつくりは。
ひょっとするとそのようなこともあるのだろうが、ちょっと敷衍すればそのストーリー展開はドイツあたりの修正主義論者の主張にぴったり重なる――確かにユダヤ人には気の毒なことであったかもしれないが、ドイツ人同胞も悲惨な目にあったんだ。もともと史実より都市伝説を垂れ流す類の郷土史本であるだけに、その挿話は地元民の心性をストレートにえぐり出していると言えよう。これが二つ目。
といった経緯を身内に話したならば、そのうちの一人が――さすがにしのびないので明示はしない――ちっとも後ろめたくも悪びれたところもない口調で言ったのだった。「ああ、××(地名)あたりでも結構殺したらしいよ」戦前生まれに今更再教育はできないとしても、もう堪忍してください。ということで、想像力の無い人間にも多少の洞察力を与えてくれる外からの視点を求めて、歯車はベルリンくんだりまで来たのである。

ユダヤ博物館

リベスキント設計の建物についてはものの本に沢山書かれているので省略するけれども、ホロコーストの軸とエグザイルの軸が交差して、何遍頑張っても道に迷ってホロコーストの軸に出てしまう地下の構造は、シャープすぎると思いつつ、感覚的に結構つらい。ようやっとのことでエグザイルの軸から、上にオリーブが植わったコンクリ柱の立ち並ぶ中庭に出ると、床に傾斜をつけられていて柱の間を真っ直ぐに歩くことができない。これでもかこれでもかと畳み掛けられた後に階段を登ってようやくメインの展示が始まる。
メイン展示は1000年来のヨーロッパ、特にドイツのユダヤ人の歴史で、コンピュータを駆使したり、体験型にしたり、クイズ形式にしたり、子供でも興味を持てるように頑張って展示しているのは判るのだが、ハコと比較してあまりにも微温的、かつ第三者的で、さらに首都の基幹館の展示としてはいささか物量が足りない感じだった。例えば、○○県立歴史博物館の展示がテーマ性ストーリー性の強いパノラマ系展示なのは構わないとして、東京国立博物館が常設展でそれをやったらあんまり誉められたものではないだろうと私は思うのである。近世のあたりでグリックル・バス・ユダー・レイブ(夫の死後その事業を引き継いで手広く商売し、市当局に睨まれると商用と称して一族率いて脱出し、ヨーロッパ各地で子供たちを結婚させて商売の足がかりとし、自伝も書いたユダヤ人の女性)の特集をやっていて、ここで彼女の例を出すのは、私が単にN.Z.デーヴィスの「境界を生きた女たち」の彼女の章を読んで知っていたからだが、研究書の要旨を地図やイラストの素直な展示にするのは、多少なりとも野心のある博物館のすることではないだろうと。博物館はモノに語らせる場所である筈だ、その行為がいかにいかがわしかろうと。揚句にこんなキュートにポップに展示されてしまっては、どういう態度を取ってよいのか判らない(写真左。確か、ハインリヒ・ハイネに関する展示であった)。
 
他人事じみ、妙に客観的な淡白な展示に、逆説的に問題の困難を感じるものの、だからといって展示の質が免罪されるものでもなし、ともやもやするうち、気になったのが窓に植わっている針なのだった(写真右)。最初はこの針も含めて建物の設計かとも思ったが、大量生産品っぽいテープで貼り付けてあるようだし、日本でも案内板の上なんかに時々植わっている鳥避けなのではないかと考えつく。しかし、ユダヤ博物館の窓はたいていかなり小さくて、この写真の窓も顔と両手をつければ埋まってしまう位のサイズなのだ。針を植えなくても鳥は入って来られないのじゃないかと思う訳です。でもどの窓にも律儀に針が生えている。杓子定規な融通のきかなさが何かを防ぐためにあるのか、そうでないのかよく判らないけれど、この針のあり方はちょっと嫌かもと思ったことだった。何か微妙に、新宿西口のホームレス避け斜めベンチくさい。

ホロコースト記念碑

 
ユダヤ博物館にもコンクリの列柱が立っていたけれども、こちらはブランデンブルク門にほど近いホロコースト記念碑。一区画にひたすら、腰かけられるのから見上げるのまで、高さのさまざまなコンクリート柱が立ち並ぶ。資料館は地下にあるのだが、大量に訪れるドイツの中高生のために入場制限中だった。展示を見終わったらしいクラスが幾つか、入口近くの柱に腰を下ろして、教師に見守られながら討論していた。
続く。