2009秋ベルリン+@旅行記(3)

coalbiters2009-10-04

昨日は明大講義を聞いて来たのだが、一度に一つのことしか出来ない鳥頭ゆえ、先に旅行記を片付けてしまいます。

DAY2-1:壁、観光資源、壁、稀に過去。

着いたらいきなり腹痛週間に突入してしまった。8月に初稿〆切をぶっちぎらせ、私を午前中職場のトイレに缶詰にした恐怖の腹痛週間である。航空券を取った時の予定では大丈夫だった筈なのだが、夏は周期が一週間短縮されることをすっかり失念していたのであった。漢方飲んで備えはしたものの、こればっかりは体のご機嫌次第、なので「見知らぬ土地で腹痛で動けなくなったら、私も困るがお前も困るだろ。私も無理しないから、お前もそこは聞き分けて、腹痛だけは起こしてくれるな」と脅してすかしてホテルを出発する。

イーストサイド・ギャラリー

最寄駅となるベルリン東駅の構内を確認、時刻表を入手した後、川沿いの道に出ると、そこがイーストサイド・ギャラリーだった。ベルリンの壁に壁画を描いて屋外ギャラリーにしてしまおうという趣向だが、壁崩壊20周年に向けて、お色直しの真っ最中。
 (1)元のボロい壁。
 (2)隙間にパテなど詰めて修復中。
 (3)壁画を描き直す。足場の中におじさんがいます。
 (4)完成。よく見ると、オリジナル1990誰それ、コピー2009誰それ等とサインがある。
ギャラリーの前の道路はやたらと幅広く、そこそこ通る車は結構なスピードで飛ばし、歩道には、修学旅行らしいドイツの中高生のほかは、ナップザック背負った観光客らしいのがちらほらいるだけ。途中、川側へ降りられるようになっていたので覗いてみると、川岸はウォーターフロントといった風情できれいに整備されていた。

シュプレー川西岸

オーバーバウム橋を渡って西岸を戻ること約1km、Bethaniendammで壁の跡に再会する。周囲は教会などの立つ閑静な住宅地、壁の跡は細長い公園になっていた。公園の案内板から推測した限りでは、以前は運河で、埋め立てて壁にしたらしい。同じ頃、資本主義諸国の一端たる日本国では、川を埋め立てて高速道路にしていた訳だ。意図は違えどやってることは一緒という歴史現象の共時性にしばしくらくらする。なお、ガイドブックに紹介されていたトルコ人の野菜畑(壁の西側にはみ出していた東の土地を占拠して畑作を始めたトルコ移民がいたのだ)は今も健在であった(写真右)。
 

Zimmerstr.-Niederkirchnerstr.

 
ツィンマー通りとフリードリヒ通りの交差点にチェックポイント・チャーリーがある。ということで、20年前には壁のそびえる不景気な通りだったに違いないのだが、今やバリバリのオフィス街で、現代建築のガラスの壁が通行人を睥睨していた。

上の写真の場所から数百メートル西、ツィンマー通りがニーダーキルヒナー通りに名前を変えたあたりに残っている壁。この壁の向こうはかつてSSやゲシュタポの本部があった場所で、わずかに顔をのぞかせた地下遺構のほかは更地だ。ベルリンでは時々、埋め忘れたかのように唐突に過去が顔を出す。

観光資源としての壁、壁、壁


観光資源の壁と言えば、何をおいてもチェックポイント・チャーリーだろう。言葉のゴロもいいし。周囲は見事なまでに観光名所化して、各国語のガイドを集団で囲む観光客でごった返している。とはいえ、銀座の真ん中に検問所があるのは(しかもそれが観光名所になっているのは)、やっぱり途轍もなくシュールな光景ではある。交差点には壁建設から崩壊までの経緯がパネル展示してあった。

運動不足がたたって足腰の痛みにひいひい言いながらポツダム広場駅にたどり着いたら(腹痛は足の疲れの裏に隠れてしまった)、ここにも壁の展示。確かにポツダム広場駅も壁際だったとは言え、いささかインフレ気味である。思うに、この原因は以下によるのであろう。

  • 壁崩壊を記念することは快い/必ずしもベルリンにおける全ての見解がそうであると言うつもりはないが、公式見解に近ければ近いほど、壁崩壊はドイツ再統一を象徴するものであり、当事者にとってはなかなか快いことである。この日の午後、ウンター・デン・リンデンをよろよろ歩いていたら、歴史博物館の宣伝カーが通り過ぎたのだが、そいつは恥知らずにも「Wir sind ein Volk」をキャッチコピーにしていた。それで私は見事に釣られて、歴史博物館の展示を必ず見てやろうと心に決めたのである。
  • 壁崩壊を記念することは誰の心も痛めない/壁崩壊をドイツ再統一の象徴と見做すか否かについては、まして再統一の象徴として祝うか否かについては現在でも微妙な見解の相違がある筈だが、壁崩壊そのものにスポットを当てるならば、悪が滅びたのだと当事者が主張しても、おおっぴらに反対できる人間はいないだろう。壁崩壊は少なくとも「Wir sind das Volk」の帰結ではあり、また、悪しき冷戦の終結を象徴するものである。
  • 壁崩壊を観光資源として最大限活用できるのは今回が最後/実は壁が立っていた期間は30年に満たないのであり、次の記念年たる2019年には、壁のあった期間よりその後の期間の方が長いことになってしまう。それに30年経てば、世代は完全に交替する。我が身の来し方をかえり見て壁巡礼に訪れる歯車のごとき物好きは10年後にはいないであろう。お祭り騒ぎができるのはあくまでも同時代史である限りであって、歴史的過去の領域では観光資源といえども、もう少し沈着冷静に扱われる必要がある。

と、考察らしきものに至ったところで、以下次号。

2009年9月22日の旅程(1)


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