エンタメとしての「指輪物語」(1)

「エンタメとしては楽しい」

まだまだ続く「ハリー・ポッターの国籍問題」。今回は少し横道にそれて、トールキンの「指輪物語」とエンデの「はてしない物語」について。
前回エントリでは、「はてしない物語」を主人公が異世界に入り込むタイプのファンタジーとして分類したが、おそらく作者エンデはそのような分類をよしとはしないだろうと推測されるので、その点について少し補足してみる。
エンデの対談集を読むと、ファンタジーについて、ことにトールキンの「指輪物語」についての見解を求められていることがある。おそらく、「はてしない物語」は、ファンタージエンでのストーリーが、人間以外の異種族の共存する世界における剣と魔法の冒険小説とも読めること、「指輪物語」が指輪の放棄の物語であるように、「はてしない物語」が失うことによる再生の物語でもあることから、聞き手は何らかの関係性を両者の間に設定したいと思うのだろう。ところがこれに対するエンデの答えはまことにそっけないもので、「エンターテインメントとしては楽しく読みましたよ」なのだった*1
「エンタメとしては楽しい」キターーーー!
ってなものだ(笑)。多分、エンデはその質問にむかついている。だって「エンタメとしては楽しい」はどう見てもプラス評価ではない。
何故なら、自分は芸術に関わりたいと言い、芸術はその存在自体に価値がある、とか、芸術は主義主張の代弁者であってはならない、と「芸術」に対しては詳細な定義を与えながら、エンデは「エンタメ」とはどういうものか、全く説明していないからだ。そしてまあ、何かを罵るにあたっては言葉の意味はあんまり問題ではないからだ。「このバカ」と言った口で「バカ」をえんえんと定義する人がいたら、その人は罵倒ではなくて、愛情豊かなコミュニケーションを実施しているのだと考えなくてはならない。という訳で、エンデと「指輪物語」の間には冷ややかな関係が成立している。
それでは、エンデはどうして「指輪物語」を評価しないのか。――とようやく本題に入ったところで電車が吉祥寺に着いてしまったので、またしても以下次号。

*1:確か、「オリーブの森で語りあう」だったと思う。手元に本がないので正確な引用ではない。悪しからず。