2009秋ベルリン+@旅行記(1)

coalbiters2009-10-01

ヒッキーの歯車が旅に出た訳。

ふと思い立ってベルリンに行って来た。
実は去年の夏、月山に登る計画があったのである。それまで文学なんて屑だ作文なんぞはロクデナシの所業だと主張してはばからなかった我が老父が、70にして奥の細道を自転車で走破する野心に目覚めてしまい、揚句ブログまで始めてしまったのは何かにたぶらかされたとしか思えないのだが、残る行程もわずかになったところで娘に山登りの護衛を依頼してきたのだ。おりしも月間超勤100時間期間を順調に更新中のこととて躊躇したのだが、年寄りを一人2000m級の山に行かせる訳にもいかない。覚悟を決めて帰省したところ、父は私をしみじみと眺めて宣言した。
「おまえは来なくていい。自分一人なら何とかなるが、おまえまでいては助かるものも助からん」
体重計に乗ると「あんたは60歳」呼ばわりされる身とはいえ、いくら何でも、倍以上の年齢の年寄りに足手まとい扱いされるのはあんまりな屈辱である。という次第で、今年は体力を増強して旅行に行ってやろうと固く心に決めた。まずは日帰りで高尾山。それから電車を乗り継いで銚子あたりはどうだろうか。
――高尾山が何故ベルリンに、銚子がバルト海に化けるのか。
まあ、ここ数年、漠然とリベスキントのユダヤ博物館に行ってみたいと思っていたのだ。もっともそれだけならヒッキーの歯車は動かないのだが、昨今の友人知人の出産ラッシュを受けてはたと気づいてしまったのである。今年が壁崩壊20周年であることに。
つまり、私が結婚して子供などある身だったら、今頃、我が子を肩車しながらこういうことを語って聞かせているかもしれない――パパがおまえくらいの頃は、世界は資本主義諸国と社会主義諸国という二つのグループに分かれていて、それぞれアメリカとソビエトという国が率いて冷戦という戦争をしていたんだ。いつ核ミサイルが降ってきて世界が滅びるか判らなかったんだよ。日本はアメリカの手下だったから、パパたちはソビエトとその仲間は悪の帝国だと教えられてきた。実際、勝手にソビエトとかに物を売ったりしてはいけなかったんだ。云々。
思い立った時に心おきなく馬鹿なことをしたいがために独身を身上としている歯車ではあるが、この想像にはいささか動揺した。ドイツが躁状態で抱きつき合い、一方ルーマニアではチャウシェスク夫妻が処刑されたあの年のクリスマス、私自身歓喜の歌的に世の中ハッピーユートピアと無邪気に信じ込んだあの年の瀬からもう20年経っちゃったのか。こちとらは精神構造は当時とあんまり変わらず、ただただ救いようなくねじくれてこんがらかり疑い深くなってしまったのだが。
ちょっと道を誤ったかと思った。私にはシュピーゲルグランツがいなくて幸いだった。で、やばい契約をするかわりに航空券を検索して、ぽちっと押した。いや、ここ10年というもの、国の内外含め泊まりの旅行をしていなかった身には十分魔が差したとも言えるが。
ということで、以下次号。