佐藤亜紀@明大講義[2009年度第2回]

前のエントリで「国民国家nation-state」を引こうと手持ちの「西洋史辞典」(S58,H5改訂、東京創元社)を取り出したら、「国民国家」は事項として収録されていないことが判明。そういうものなのか? それでいいのか? 例え火薬庫に火をつけるようなものだとしても、逃げちゃダメなんじゃないのか? 釈然としない。さて。

明治大学商学部特別講義「文学と表現」:2009年6月13日(土)

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マキノ的要約

表現の違いとは世界をどのように見るかの相違であるという前回のテーマに従って小説の話に入る前に、ケーススタディとして18世紀から19世紀にかけての絵画の様式、特にゴヤのそれの変遷について検討する*1。オットー・ディクスの絵というやつを見られたし(たしかコルプがプティのそんなタイトルの作品を踊っていた筈)、古典主義とロマン主義の対立って様式に即して見た場合に本当にあったの? という分析はたいへんエキサイティングだったけれど、何となくおあずけをくらった熊のような気分でもある。
さて、とは言え、というか、当然のことながらと言うか、1時代1様式ということはあり得なくて、18世紀のフランスのアカデミー絵画においては大別して2つの様式が併存していた。一つはプッサンに代表されるフォルムに重きを置く絵画、もう一つはルーベンスに代表される動きや色彩、空気感を描く絵画だ。両者には、はやりすたりはあれども優劣というのはなく、むしろ当時意味を持っていたのは画題、つまり、崇高な絵画である宗教画・歴史画か、風俗画や静物画などの世俗の絵画か、という点だった。つまり、ダヴィッドかブーシェか、ではなく、彼ら対シャルダン、という構図だったと考えるべきとのこと。
そのような見方からすると、いわゆる古典主義とロマン主義との対立というのは、作品に即してその表現様式の問題として考えた場合、存在していたのだろうか、という問いが成り立つ。つまり、ロマン主義の雄みたいなイメージのあるドラクロワはスタイルとしてはルーベンスを継承している一方、アングルはプッサン的と言える。引き続き2つの様式は併存していた訳で、世界史的見方を離れないと絵そのものを見誤る。
ということで、ドラクロワの「サルダナパロスの死」とアングルの「トルコ風呂」のスケベ比較(笑)。まあつまり、両者の絵を見れば、世界の見え方も女の見え方も違っていたのは歴然、ということ。そして、かっちりした構図でまとめて、おそらくはサルダナパロスの視点から殺される女たちを見ちゃってたりするかもしれないドラクロワより、最晩年にもなって自分的フェチポーズの女たちを覗き穴から見るようなシチュエーションの絵を描いちゃったり、オダリスクの背骨を増やしたりしちゃうアングルの方が、様式的にはやばいことをしていたのではないか。そのアングルの変ぷりは20世紀に入らないと判ってこなかったが、美のために自然を歪めるというのは写実とは相容れない態度で、行き着く所は抽象絵画ということになる。
とは言うものの、アングルは薄皮一枚の上に何とかおさまっているが、たまに薄皮をつきぬけて、その下の行ってはいけないところまで行ってしまう人がいて、それがゴヤである訳だ。しかしながら、ゴヤも最初からああだった訳ではなくて、当初はアカデミー風に上手い絵を描いていたらしい。例えばスペイン戦争を題材にした絵として、メジャーな「5月3日」と対になった「5月2日」は蜂起してフランスのマムルーク騎兵を襲う市民を描いているが、きわめて伝統的でモニュメンタルな歴史画になっている。つまり、歴史をある安心できる物語のパターンで解釈しているという訳で、言うなればリハビリ用だ。一方、蜂起が失敗して処刑される市民を描いた「5月3日」の方はのっぺりシンプル5頭身で、非常にカリカチュアライズされていて、どうあってもモニュメントなんかじゃない。で、実際のスペイン戦争がいかに悲惨だったかというあたりを版画を映しながら概説。フランス軍としてはカワイコちゃんについていったら物陰で喉首かっ切られたみたいな目にあうと、村ごと始末しないとやってられないし、占領される身としては、ただ飯食いの軍隊がいるだけでも確実に飢餓が発生する。フランス軍の兵士さえ、疲れていきなり自殺しちゃうようなひどい状況で、そこに描かれる顔というのは、(オットー・ディクスの場合もそうだが)もう人間の体をなしていない。
で、ゴヤの場合、薄皮一枚の世界をつきぬけてしまった原因は戦争だったけれど、戦争にかぎらず、薄皮一枚にしがみつかない所に行っちゃった時、どういう表現が出て来るのか、という続きは、(まあ、創作者の側にとってはどこまで行っちゃえるか、ということなのだが、しかし行っちゃっても駄目なものは駄目、と釘をさしつつ)10月3日(土)以下次号。私はその間人間じゃなくなって歯車になっている見込。無事に戻って来られますように。南無南無。

*1:去年の第2回を発展させたような内容で、その回の私的まとめはこちら。何だか方向違いの考察を書いてある気がするが、ドラクロワとアングルの違い、というところが去年は今イチ判ってなかったのだ。